ミラクルナイト☆第220話
穢川研究所 ― 研究室
無機質な白い壁に囲まれた研究室。机に広がる数々のデータシートを前に、篠宮=ブナシメジ男は項垂れていた。
「……私の策が……。トウモロコシ男まで失ってしまうとは……」
深い落胆の声を漏らす篠宮に、奥の椅子から九頭博士が低く笑いながら言葉をかける。
「気にすることはない、篠宮くん。次の手はすでに手配している」
「……所長……」
篠宮は顔を上げたが、その目はまだ迷いに沈んでいた。
九頭は机の上の小箱を撫でながら呟く。
「ヒロインを倒す方法は一つではない……。今回は別の力を借りることになる」
鄙野 ― 鄙比田温泉 公衆浴場・脱衣所
「九頭先生がこれを紗理奈さんへ、と……」
絹枝は、赤いリボンで丁寧に包まれた小箱を紗理奈に差し出した。
「何なに? 所長からのプレゼント??」
と紗理奈は目を輝かせる。
「中には……?」
柚月が隣で首を傾げる。
「……奈理子さんの、パンツです……。これで魔物を作って欲しいと……」
絹枝が言いにくそうに答えると、脱衣所に沈黙が走った。
「はあ!?」
「パンツの魔物? あの人、何考えてるの……」
呆れる紗理奈と柚月。
「九頭先生からの伝言です……『私の大切なコレクションだ。決して無駄にはしないでくれ』とのことです」
「……コマリシャスに伝えとくわ」
紗理奈は額を押さえた。
「でも意外に面白いものができるかもね」
柚月はくすりと笑う。
「でも、どうして公衆浴場なんですか?」
鄙野出張に期待していた温泉らしさが無く、不満げな絹枝。
「温泉を楽しむなら、地元人しかいない公衆浴場が一番なのよ」
柚月は手慣れた様子で浴衣を脱ぎ始める。
「柚月さん、鄙野に来てからすっかり温泉通になったんだよ」
紗理奈が笑う。
「……2人とも、温泉を満喫しているんですね」
絹枝は小さく呟いた。
そんなとき、ガラリと脱衣所の扉が開く。
「おっ、紗理奈と柚月姉さん! 新入りもいるアルな! オマエもヘマして鄙野に飛ばされたアルか?」
独特なイントネーションの声と共に入ってきたのは、タオルを肩にかけた女性。
「……誰ですか?」
絹枝が小声で柚月に囁く。
「紗理奈の温泉仲間、ファンユイよ」
柚月は肩をすくめて答える。
「柚月姉さんも仲間アル!」
ファンユイは豪快に笑った。
「さ、みんなでお風呂に入ろう~! 絹枝ちゃんも早く脱ぐアル!」
と紗理奈がにこにこしながら絹枝を急かす。
「絹枝アルか? 古風な名前アルね」
ファンユイはじろりと絹枝を見てニヤリと笑った。
「……そうですか……」
絹枝は小さくため息をついた。
魔界のプリンセス・コマリシャスの地上拠点 ― 1Kアパート
「おー!これは……水都の守護神の染み付きパンティ!!」
タンポポタイが目を輝かせ、両手を合わせて拝むように見つめた。
「触っちゃダメよ」
紗理奈が素早くショーツを取り上げ、コマリシャスの前に掲げる。
「さて……どんな生き物と組み合わせるかね。猫か犬か……」
紗理奈が横目でコマリシャスを見る。
「猫はダメだよ。すばしっこくて捕まえられないもん」
コマリシャスはぷくっと頬を膨らませた。
これまで昼寝している猫で魔物を作ろうとしたが、魔法陣が現れるたびに目を覚まし逃げ出してしまったのだ。
「犬は単純すぎるし……鳥とか?」
「羽パンティ怪人とかちょっと嫌なんですけど……」
紗理奈が苦笑する。
三人があれこれ案を出し合っていると、隅で控えていた老執事のじいやが、珍しく口を開いた。
「姫様……」
「なに、じいや?」
「この下着には、乾燥しておりますが、水都の守護神ミラクルナイトの体液が染み付いております。生物と合成せずとも……パンツだけで魔物が生まれるのではないでしょうか」
「ん? ミラクルナイト=奈理子の魔物ができるってこと??」
紗理奈が目を丸くする。
「はい。水都の守護神と同等の力を持つ魔物が誕生するかもしれません」
「同等って……あの弱っちい守護神じゃ、あんまり強そうじゃないじゃん」
コマリシャスは退屈そうに足をぶらぶらさせる。
「ですが……事実として、これまで我らの同志の多くがミラクルナイトに敗れ去ってきたのもまた真実にございます」
じいやの声には重みがあった。
「このパンツで生まれた魔物も、ミラクルナイトみたいにいい匂いするかな?」
タンポポタイは鼻をひくひくさせて笑う。
「アンタたち、ほんと奈理子の匂いが好きよねぇ……」
呆れる紗理奈。
「守護神の匂いと体液は、俺たち魔物にとって最高の御馳走だからな!」
ますますはしゃぐタンポポタイ。
「……まあ、面白そうだからやってみよっかな。弱そうだけど……」
コマリシャスは小さく笑みを浮かべ、パンティを両手で掲げた。
その横で、紗理奈は
(本当に面白くなってきたわね……)
と密かにスマホを取り出し、絹枝に報告のメッセージを送るのだった。
ニセミラクルナイト誕生
水都郊外、コマリシャスのアパート近くの空き地。
夜気に包まれた地面に魔法陣が浮かび上がり、中央に置かれた奈理子の少し黄ばんだ白いショーツが水色に輝きはじめる。
「……いよいよね」
紗理奈が緊張した声を洩らす。
「うおー!いい匂いが漂ってきたぁー!」
タンポポタイは鼻をひくひくさせて大興奮。
やがて、まばゆい光の粒子が舞い散り、光柱の中から少女のシルエットが浮かび上がる。
黒髪のミディアムボブに白いリボン。
ノースリーブの白いブラウスに、水色の大きなリボン。
脚には白いブーツ。
そして、舞い上がる白いプリーツスカート――。
「奈理子そっくり……」
紗理奈が息をのむ。
「水都の守護神ミラクルナイトだぁー!可愛い!いい匂いだーッ!!」
歓喜の声を上げ、思わず地面を転がるように喜ぶタンポポタイ。
しかし、コマリシャスは腕を組んで冷静だった。
「でも……なんか弱そう」
光が収まると、美少女は地に降り立ち、コマリシャスの前に膝をついた。
「プリンセス。水都の守護神ミラクルナイトでございます。なんなりとご命令ください」
その声音は奈理子に瓜二つだった。
「……うん」
コマリシャスは宿敵そっくりの少女に手を取られ、思わず戸惑いの表情を浮かべる。
「水都の守護神だー!いい匂いだーッ!」
タンポポタイは歓喜のあまり、ニセミラクルナイトのスカートをめくり、中に鼻を突っ込んだ。
「……貴方は?」
驚くニセミラクルナイト。
「俺はタンポポタイ様だ!お前は俺の後輩だから、俺の言うことをちゃんと聞くんだぞ!!」
「はい……」
従順に頷くニセミラクルナイト。
「よし!じゃあ早速、そこの草叢で可愛がって――」
肩に腕を回すタンポポタイ。
「待ちなさい!」
鋭く声を張ったのは紗理奈だった。
「見た目はそっくりでも、能力はどうなのよ? 本当に使えるの? ……飛べる?」
「この人間は……?」
と首をかしげるニセミラクルナイト。
「紗理奈は人間だけど、コマリシャス様に忠誠を誓う仲間だ」
タンポポポタイが説明する。
「……飛んでみてよ」
コマリシャスが指を鳴らす。
「はい」
ニセミラクルナイトは白い翼――ミラクルウイングを広げ、ふわりと夜空に舞い上がった。
「……光弾は?」
と紗理奈。
「はい。ミラクルシャインブラスト!」
手をかざすと、水色の光弾が閃光となって地上に撃ち込まれる。
「わわわわッ!!」
慌てて転がり避けるタンポポタイ。
「……いい感じじゃない」
紗理奈の口元に笑みが浮かぶ。
「フフ……面白いこと、思いついちゃった」
コマリシャスは白いスカートを翻すニセミラクルナイトを見上げながら、紗理奈へと悪戯っぽく笑いかけた。
水都公園・午後
休日の公園は親子連れで賑わっていた。噴水のそばで遊んでいた子供たちが、空から舞い降りる白い影を見て歓声をあげる。
「わあっ!ミラクルナイトだ!」
「奈理子ちゃんだー!今日も可愛い!」
水色の光を纏ったミラクルナイト…にしか見えない少女が、ふわりと着地する。純白のスカート、水色のリボン、華奢な体躯。誰が見ても本物の奈理子=ミラクルナイトだ。
しかし、その振る舞いは違った。
「お菓子ちょうだい!」
ニセミラクルナイトは、子供が大事そうに持っていた綿あめをひったくると、その場で頬張った。
「えっ……」
呆然とする子供の前で、口の周りをベタベタにしながら笑う。
さらに、公園の売店へ駆け込むと、アイスクリームを勝手に取り出し、店員に代金も払わず飛び去った。
「ちょっと!代金!!」
店員が叫ぶが、ニセミラクルナイトは知らん顔。
「どういうことだ?ミラクルナイトが……」
「ヒーローが食い逃げなんて!」
「信じられない……」
人々のざわめきが広がる。子供たちの憧れの笑顔は、たちまち不信の色に染まっていった。
そのころ
雑誌取材を終え、凜と共に水都公園へ向かっていた奈理子は、人混みのざわめきを耳にする。
「ちょっと聞いた?ミラクルナイトが子供から綿あめ奪ったって!」
「売店で食い逃げしたらしいよ」
「英雄だと思ってたのに……」
「えっ……?」
奈理子の顔が青ざめる。
「私、そんなことしてない……」
しかし、通りすがりの市民からも冷たい視線が突き刺さる。
「可愛い顔して最低ね」
「やっぱりただの人気取りか」
奈理子は訳が分からず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
翌日・水都の街
スマホの画面に次々と流れるニュース速報とSNSの投稿。
《ミラクルナイト、公園で食い逃げ!?》
《子供から綿あめを強奪!ヒーローの仮面の裏は?》
動画投稿サイトには、ニセミラクルナイトが子供の綿あめを奪い、売店からアイスを持ち去る姿が鮮明に映っていた。
「やっぱり動画が出ちゃった……」
奈理子は震える手でスマホを握る。
コメント欄には――
「ショックすぎる」
「水都の守護神(笑)」
「結局、人気に溺れたただのパンチラアイドルか」
「信じてたのに裏切られた」
奈理子の目に飛び込む言葉はどれも辛辣だった。
ミコール本社
広報部にも問い合わせの電話が殺到していた。
「なぜこんな子をモデルにしているんですか!」
「企業イメージが傷つきますよ!」
社員たちは頭を抱える。だが一部には――
「でも、あれだけ拡散してるのは逆に話題性じゃないか?」
「白でも黒でもバズれば勝ちだ」
と冷ややかに笑う者もいた。
水都タワー広場
大型ビジョンではワイドショーが特集を組んでいた。
「水都の守護神と呼ばれるミラクルナイトですが……」
キャスターが険しい顔で言うと、映像には綿あめを奪う瞬間の映像が繰り返し流れる。
スタジオのコメンテーターが口を開く。
「これは許されませんね。子供の心を裏切ったんですから」
「いや、これまでの戦いも全部演出だったのかもしれないよ?」
観衆はビジョンを見上げながらざわめいた。
「奈理子ちゃん、そんな子だったなんて……」
「もう応援できないよ」
奈理子の部屋
「違うのに……私じゃないのに……!」
ベッドに伏せて泣く奈理子。
凜は彼女の肩を抱きながら言った。
「分かってる。私も寧々も、奈理子がそんなことする子じゃないって信じてる。でも、市民は映像を信じてしまうのよ」
「じゃあ、どうすれば……」
奈理子は涙を拭うが、答えは見つからなかった。
鄙野・コマリシャスの1Kアパート
ちゃぶ台の上にはノートPCが置かれ、SNSで炎上する奈理子の映像が再生されていた。
「見て見て!ミラクルナイトの信頼がどんどん落ちてるよ!」
コマリシャスが床でバタバタと手足を動かして喜ぶ。
「市民の声は冷たいのね。まさかここまで効果が出るとは」
紗理奈がにやりと笑った。
「これで守護神とやらも立場なしだな!」
タンポポタイが腹を抱えて笑う。
部屋の片隅では、ニセミラクルナイトがきちんと正座し、コマリシャスの次の言葉を待っていた。
「さて、信用失墜作戦は大成功。次はどうする?」
と紗理奈が尋ねる。
「うん…次はあれだよ。ミラクルナイトと仲間をケンカさせて、バラバラにしちゃうの!」
コマリシャスが子供のように笑う。
「仲間分断作戦か……面白い」
紗理奈の目が光る。
「お姉様方、命令を」
ニセミラクルナイトが静かに口を開いた。
「じゃあ……新しいお友達を呼んじゃおうかな」
コマリシャスが手を掲げると、床に魔法陣が広がった。
紫色の光とぬめる音。そこから現れたのは、巨大なスプレー缶の頭を持つナメクジの怪人。
「ヌルヌル〜……我が名はナメクジスプレー……粘液と刺激で、心も体も溶かしてやろう……」
「ひゃー!気持ち悪いけど強そう!」
コマリシャスは笑う。
「ニセミラクルナイトとナメクジスプレー。二人で出撃して、市民の前でミラクルナイトたちを仲違いさせるのよ」
紗理奈の冷徹な指令が飛ぶ。
「承知しました」
ニセミラクルナイトが深々と頭を下げる。
「ヌルヌル〜……仲間割れは得意だ……」
ナメクジスプレーも気色悪い声を響かせた。
「さあ、行け!水都を分裂させろ!」
コマリシャスが小さな手を振り上げると、二体の影は夜の鄙野から水都へと飛び立っていった。
水都女学院高校・1年2組の教室
「……」
机に突っ伏す奈理子。その周囲にはスマホを覗き込みながらヒソヒソと話すクラスメイトたち。
「奈理子さんが公園で子供を泣かせたって、本当?」
「最近、ちょっと評判よくないよね……」
そんな声が絶えない。
「絶対、誤解だよ!」
隣の席のすみれが必死に庇った。
「奈理子さんは、そんなことする子じゃない!」
そこへ、バンと教室のドアが開いた。怖い顔の菜々美がやって来る。
「奈理子さん!」
「菜々美さんまで奈理子さんを疑っているの?!」
すみれが立ち上がり、鋭い視線を返す。
しかし菜々美は一歩も引かない。
「こんなの、どう考えても敵の罠でしょ!落ち込んでる暇があったら、正体を突き止めなさいよ!」
「怒鳴らなくてもいいでしょ!」
すみれが反発する。
その空気を切り裂くように、教室の入口からどよめきが広がった。
生徒会長・一花と風紀委員長・紫が姿を現したのだ。
「菜々美さんの仰る通りです」
一花の声は静かだが力強い。
「何があっても、水都女学院の生徒は奈理子さんを信じています」
紫もにこりと微笑む。
「私たちがついてるから、元気出しなよ」
「一花さん……紫さん……」
奈理子の瞳に少し光が戻る。
放課後・帰宅途中
「私を信じてくれる人がいる……だから、私がしっかりしなくちゃ……」
夕暮れの街を歩きながら、奈理子は小さく呟いた。
そのとき、目の前の路地からヌルヌルとした影が現れる。
「ヌルヌル〜……我が名はナメクジスプレー」
「あなたの仕業ね!」
奈理子は素早くカバンに手を伸ばし、アイマスクを取り出そうとする。
だが、それより速く――
「少し眠ってもらうぞ。プシャーッ!」
刺激臭を放つ霧が彼女を包んだ。
「うぅ……ん……」
その場に崩れ落ちる奈理子。
「これが水都の守護神か。他愛もない」
ナメクジスプレーは奈理子のスカートの中を覗き込みながら冷たく言い放つ。
そこに姿を現したのは、奈理子と瓜二つのニセミラクルナイト。
「うまくいきましたね」
彼女は従順に頭を下げた。
「これで本物のミラクルナイトは来ない。作戦を実行するぞ」
ナメクジスプレーが低く笑った。
水都タワー前広場
突如として現れたナメクジスプレーがヌルヌルと液体を撒き散らし、市民は逃げ惑う。警報が鳴り響く中、空からひらりと降り立ったのは――白いスカートをはためかせ、水色の粒子を纏ったミラクルナイト。
「ミラクルナイトだ!」
「やっぱり奈理子ちゃんは来てくれた!」
スカートがふわりと舞い上がり、白いショーツが一瞬きらめく。悪い噂はあったものの、その姿はあまりにも清楚で可憐。市民の心は一瞬で彼女に取り戻されていた。
「やって来たな、最弱ヒロイン!」
「負けないわ!」
打ち合わせ通りに挑発し合うナメクジスプレーと“ミラクルナイト”。しかしその正体は、本物ではないニセミラクルナイトだ。
「信じているぞ、奈理子!」
「奈理子は俺たちの守護神だ!」
「噂なんて嘘だって、見せてくれ!」
市民の声援は熱を帯びる。
「喰らえ!」
「きゃあ〜!」
ナメクジスプレーが放つ液体を浴びて、わざとピンチを演じるニセミラクルナイト。その表情は弱々しくも可憐で、観衆の心をわしづかみにした。
「ピンチの奈理子、可愛い〜!」
「奈理子最高ー!」
広場は熱狂の渦に包まれる。
その時――
「奈理子さん!」
「任せてください!」
駆けつけたのは風の戦士セイクリッドウインドと、中学生戦士ドリームキャンディ。二大ヒロインの登場に市民はさらに盛り上がる。
「奈理子、よく頑張ったわ!」
セイクリッドウインドが駆け寄り、ニセミラクルナイトの肩を支える。
「奈理子さん、私たちが来ました!」
ドリームキャンディも励ます。
「ありがとう、凜さん、キャンディ……」
ニセミラクルナイトは儚げに微笑んだ。その演技に、セイクリッドウインドもドリームキャンディもすっかり信じ込んでしまう。
「これで守護神の手下二人を欺いた……!」
陰でほくそ笑むナメクジスプレー。
「信用失墜から仲間分断へ……次の段階だな」
作戦は順調に進んでいた。
ナメクジスプレーの液体で地面が濡れ、観衆は遠巻きに見守っている。そこに立つのは、ミラクルナイト(に見える)少女。
「奈理子はしばらく休んでて!」
セイクリッドウインドがニセミラクルナイトを庇うように前に出る。
「奈理子さんをイジメる者は許さないわ!」
ドリームキャンディもキャンディチェーンを構えた。
「凜ちゃん、今日も期待しているよ!」
「キャンディも頑張れ!」
市民の声援は熱を帯び、ヒロインたちの士気を高めていた。
「任せといて!」
とセイクリッドウインドが答えた瞬間だった。
――ふわり。
「……あっ」
ドリームキャンディの目が点になる。
「ん?」
セイクリッドウインドは太腿に冷たい空気を感じた。何が起きたのか理解できずにいると――
「おー!今日の凜ちゃんのパンツは白だ!!」
「お姉さんの白パン、色っぽい!」
観衆がどよめく。
ニセミラクルナイトが背後からセイクリッドウインドのスカートを捲り上げていたのだ。
「なッ……奈理子、何すんの?!」
慌ててスカートを押さえるセイクリッドウインド。
「白いパンツは私のトレードマークです。被るので、凜さんは色を変えてください」
悪びれない様子のニセミラクルナイト。
「な……何言ってるの……??」
セイクリッドウインドはその言葉の意味が理解できない。
「オバサンに白いパンツは似合いませんよ」
「……っ!」
セイクリッドウインド=風間凜(23歳)には、その一言が深く突き刺さった。
「奈理子さん……偽物?……それとも敵に操られているんですか?!」
ドリームキャンディが困惑する。凜から「偽物の存在」の話は聞いていた。だが、目の前の姿はまさしく奈理子そのもの。疑うことは難しかった。
「顔を見せなさい!」
セイクリッドウインドは素早くニセミラクルナイトのアイマスクを剥ぎ取る。
そこに現れたのは――奈理子の素顔。
「奈理子……?」
たじろぐセイクリッドウインド。
「何するのよ!」
至近距離からニセミラクルナイトの掌が閃く。
「ミラクルシャインブラスト!」
水色の光弾が放たれ、セイクリッドウインドの身体を直撃。
「きゃあッ!」
吹き飛ぶセイクリッドウインド。
「凜さん!!」
ドリームキャンディが駆け寄ろうとする。
「何だ何だ?仲間割れか?」
「奈理子、やっぱり悪い子になっちゃったのかな?」
市民の間に動揺が走り、どよめきが広がっていく。
ミラクルナイトの名を騙る影が、少しずつ水都市民の信頼を侵食しはじめていた――。
セイクリッドウインドが吹き飛ばされ、広場のざわめきは一気にざわつきから怒号へと変わっていった。
「やっぱり噂は本当だったのか……」
「ミラクルナイトが仲間を攻撃するなんて!」
「最弱ヒロインどころか、裏切り者じゃないか!」
観衆のスマホが一斉に掲げられる。
動画配信は瞬く間に拡散し、SNSのトレンドには「奈理子裏切り」「#ミラクルナイト失墜」の文字が並んでいった。
「何でこんなことに……」
ドリームキャンディは震える声で呟いた。
彼女のスマホにも通知が次々と入り、画面には辛辣なコメントが溢れていた。
《仲間割れとか最低》
《可愛いだけで何も守れない》
《キャンディは奈理子の尻拭い役か》
「ちがっ……違う、奈理子さんはそんな人じゃ……!」
必死に否定しようとするが、目の前の“奈理子”が凜を撃った事実が頭から離れない。
「本当に……奈理子さんなの?」
ドリームキャンディは信じたい気持ちと、目の前の現実との板挟みで視線が揺れた。
ニセミラクルナイトは、そんなドリームキャンディに向かってにっこりと微笑む。
「キャンディ、あなたは私を信じてくれるわよね?」
「……っ!」
声も仕草も奈理子そのもの。
ドリームキャンディの胸がズキリと痛んだ。
「奈理子さん……だって……」
迷うキャンディの耳にも、市民の罵声とSNSの通知音が絶え間なく届く。
水都の街全体が、ゆっくりと“ミラクルナイト不信”へと傾きはじめていた。
ドリームキャンディは、奈理子そっくりのニセミラクルナイトを前にして心が揺れていた。
しかし、セイクリッドウインドは違った。
「私がオバサンですって?!」
怒りに震え立ち上がるセイクリッドウインドがガストファングを構える。
「風が吹けば、また凜さんの恥ずかしいパンチラ動画が大量にアップされますよ」
ニセミラクルナイトは冷ややかに告げる。
「うっ…」
一瞬怯むセイクリッドウインド。仕事の途中に駆け付けたために今は白いパンツだった。白を見られるのは紺やターコイズブルーより、ずっと恥ずかしい。中学生の頃からミラクルナイト=パンチラヒロインをやり続け、今は下着モデルでもある奈理子と凜は違う。23歳の凛は大勢の人々にパンツを見られることに、慣れていなかった。
「何をゴチャゴチャ言ってんだ?来ないなら、こっちから行くぞ。コスチューム・ブレイクミスト!」
ナメクジスプレーがプシューと溶解スプレーをまき散らした。白煙のように拡がるコスチューム・ブレイクミスト。刺激臭とともに、衣服の繊維をじわじわと溶かす悪夢の霧がセイクリッドウインドを襲った。
「くっ……視界がっ!」
セイクリッドウインドは咄嗟にガストファングを盾のように構えた。だが、風を起こせばこの場に集う何百台ものカメラが彼女の姿を余すところなく記録する。
「風を使えばまたネットが凜さんの動画で溢れますよ」
にやりと笑うニセミラクルナイトの声。その冷たい一言に、セイクリッドウインドの腕が止まった。
「うっ……」
脳裏をよぎるのは、自分の白パンツが全国配信されてしまう光景。紺やターコイズブルーのときよりも、仕事で選んだ清廉な白は“羞恥の象徴”のように思えた。
「そうだそうだ、またパンチラ動画だ!」
「二十代で変身ヒロインは無理があるんじゃ…?」
観衆のざわめきが波のように広がる。だが逡巡の一瞬が命取りだった。
(私は……まだ市民に必要とされているの……?)
胸の奥に、重く沈む疑念が芽生える。
「喰らえぇッ!」
ナメクジスプレーの噴霧が凜を直撃。熱を帯びた液体が制服のようなコスチュームを舐め、生地がジュクジュクと音を立てて解けていく。
「わっ、な、なによコレ?!」
裾からビリビリと裂け目が走り、太腿が露わになっていく。
「おぉーっ!!」
「凜ちゃんの生脚だー!」
「白パンツも丸見え!」
観客席からどよめきと興奮が爆発した。
必死にスカートを押さえるセイクリッドウインド。だが手が足りない。溶けかけた布地は次々と剥がれ落ち、観衆の前に白いショーツがはっきりと晒されていく。
「ダメえぇぇ!!」
せくリッドウインドの悲鳴。
しかし、そんなセイクリッドウインドを優しく声を掛けたのは、よりによってニセミラクルナイトだった。
「よかったですね。オバサンの白パンツで、凜さんの好感度は極大アップです」
「奈理子さん……?」
ドリームキャンディの胸に動揺が走る。
「私は野宮奈理子。信じて、キャンディ」
水色の光を纏い、ニセミラクルナイトは堂々と告げた。
一方で、コスチュームを溶かされ、羞恥と怒りに震えるセイクリッドウインド。
「私が……オバサン……? ふざけないでッ!」
せくリッドウインドの声は怒りで震え、しかし身体は露出の羞恥で固まっていた。
追い打ちをかけるように、ナメクジスプレーが粘液の霧を吐き散らす。
「プシャァァァ!」
ナメクジスプレーの放ったどす黒い霧――コスチューム・ブレイクミストが、瞬く間に広場を覆った。
「きゃあっ!」
思わず目をつむるドリームキャンディ。しかし、その前に水色の光が広がる。
「フェアリーシールド!」
ニセミラクルナイトが放った光の結界が、粘液の霧を弾き返した。
「奈理子さん……助かった!」
ドリームキャンディは胸を撫で下ろす。
一方で――。
「う、うわっ……!」
避けきれなかったセイクリッドウインドのコスチュームが、じゅるりと音を立てて溶け崩れていく。更に、ブラの紐が溶け落ちる…… 広場のざわめきは一気に歓声へと変わった。
「おー!凛ちゃん、完全に下着姿にされた!」
「清楚なお姉様の白い下着、似合いすぎる!」
「ブラも少し溶けてるぜ!キュッと寄せるタイプだ!」
カメラを構える市民、声を張り上げる若者たち。その視線に晒され、セイクリッドウインドは真っ赤になって両手でブラとショーツを隠した。
「いやッ!撮らないで……!」
必死に叫ぶが、彼女の姿はすでに噴水広場の大画面に映し出されている。
「コスプレおばさんのコスチュームを溶かしてやったぜ!」
ナメクジスプレーの嘲笑が広場に響いた。
「私は……オバサンじゃない!」
涙目で訴えるセイクリッドウインド。しかし、その言葉を掻き消すように、さらに大きな歓声が起こった。
「凜さんって清楚キャラだったの?」
ニセミラクルナイトがわざとらしく首を傾げる。
「そんなことより、凜さんを助けないと!」
ドリームキャンディは必死に訴えるが――
「えい!」
ニセミラクルナイトはナメクジスプレーに向かって水色の光弾を撃ち放ち、セイクリッドウインドの前に立ちはだかった。白い翼を広げ、庇うようなその姿は、凛々しさすら漂わせていた。
「……本物の奈理子なの?」
混乱するセイクリッドウインドが呟く。
「ここは、私に任せて!」
キリリと告げるニセミラクルナイト。
その瞬間、彼女のスカートがふわりと舞い上がり――純白のショーツが鮮烈に翻った。
「今日の奈理子は可愛いだけじゃなくカッコいいぞ!」
「凛々しい奈理子のパンチラ最高ー!」
群衆の熱狂は最高潮に達した。ニセミラクルナイトは、その瞬間、市民の心を完全に掴んでしまったのだった。
毅然とした態度でナメクジスプレーを睨み据えるニセミラクルナイト。
「私は、可愛いだけのヒロインじゃないッ!」
その声は広場に響き渡り、噴水前の市民の心を揺さぶった。
「今日の奈理子はいつもと違うぞ!」
「奈理子の太腿とパンツが眩しいッ!」
「これこそ俺たちが愛する“純白の天使”だ!」
キラキラと舞い散る光の粒子、スカートの裾から覗く純白の布地――。市民は熱狂し、ニセミラクルナイトはまさに“水都の守護神”として讃えられていた。
「……本物よね……?」
白い下着姿のまま、市民のカメラに晒されるセイクリッドウインドは、疑念を抱きながらも目の前の存在を本物の奈理子と認めざるを得ない気持ちに傾いていった。23歳社会人の彼女にとって、観衆の前での醜態は耐え難い屈辱だったが――それ以上に、目の前の“奈理子”の気高さは眩しく見えた。
しかし、一人だけその熱狂に流されない者がいた。
「……やっぱり、何か変」
中学生戦士ドリームキャンディ。彼女は冷静に状況を見つめていた。
凜から「ミラクルナイトの偽物がいる」と聞いている。そして思い出す。自分とセイクリッドウインドが駆け付けた時、奈理子はナメクジスプレーに敗北寸前だったことを。さっきまで劣勢だったはずの彼女が、今や傷一つなく自信満々に立ち振る舞っている――どう考えてもおかしい。
だが、真偽を問うのは今ではない。
(本物か偽物かはどうでもいい。今は、このナメクジスプレーを倒すのが先決!)
そもそも――ドリームキャンディはよく知っている。ミラクルナイトは自分より弱い。もし偽物であったとしても、彼女にとっては取るに足らない存在に過ぎなかった。
「奈理子さん、下がってください」
ドリームキャンディはゆっくりと前へ出る。
「キャンディ、ここは私が……」
と、制止するように声を掛けるニセミラクルナイト。
「いいえ。あんなスプレー缶なんか、一撃でペシャンコにして資源ゴミに出してあげます」
ドリームキャンディは振り返らずに言い放ち、チラリとだけニセミラクルナイトを横目で見る。
「奈理子さんの話は――あとでゆっくり聞いてあげます」
その言葉には、中学生らしからぬ冷静さと威厳があった。
「ロリポップハンマー!」
キャンディチェーンが変形し、巨大なチュッパチャプスが現れる。
ドリームキャンディはそれを高々と掲げ、ナメクジスプレーへと踏み込んだ。
「ロリポップ凄い突きぃーーーっ!」
巨大なロリポップハンマーを構えたドリームキャンディが、全身の力を込めて突進する。狙うはナメクジスプレーの本体。叩き潰せば一撃必殺――市民たちが固唾をのんで見守ったその瞬間。
――バシュッ!
背後から放たれた水色の閃光が、ドリームキャンディの背中を直撃した。
「きゃあああっ!」
ドリームキャンディの体が宙を舞い、石畳に叩きつけられる。
「ご、ごめんなさい!援護するつもりが……手元が狂っちゃって!」
手を口元に当て、慌てて謝るニセミラクルナイト。市民の目には“ミラクルナイトが仲間を誤って撃った”ように映った。
「ぐっ……!」
必死に立ち上がろうとするドリームキャンディ。だがその足元に――。
「グランドスプレー!」
ナメクジスプレーが噴射した液体が地面一帯を覆い、ヌルヌルとした滑る床へと変えていく。
「な、なにこれ?!足がっ……!」
ツルリと滑り、体勢を崩すドリームキャンディ。踏ん張ろうとしても足を取られてしまい、思うように動けない。
「ワッハッハ!足元が定まらないんじゃ戦えまい!」
嘲笑を残し、ナメクジスプレーは地面を滑るようにして後退していく。
「待て〜っ!」
ニセミラクルナイトが白いスカートを翻し、ナメクジスプレーを追いかける。その背中もまた、キラキラと美しく輝いていた。
やがて、二人の姿は街路の彼方に消えていった――。
残されたのは、地面に膝をつき、悔しそうに歯を食いしばるドリームキャンディ。白い下着姿を晒したまま立ち尽くすセイクリッドウインド。そして、唖然としながらもスマホを構え続ける数え切れない市民たちだった。
「……どういうことなの……」
ドリームキャンディの呟きが、混乱と熱気に包まれたタワー前広場に静かに落ちた。
SNS炎上
タワー前広場での戦いは、当然のように市民のスマホや中継ドローンによって克明に撮影されていた。戦闘が終わるよりも早く、その映像はネット上に拡散していく。
SNSのタイムライン:
- @miracle_fan
 「え、奈理子ちゃんがキャンディを撃った??? 信じられない……」
- @citywatcher
 「今日のセイクリッドウインドの白パンツ動画、もう10万再生超えてるんだがw」
- @suitolover
 「凜さん泣きそうになってた……あんな顔見たくなかった」
- @idol_otaku
 「偽物説もあるけど、目の前で戦ってたのはどう見ても奈理子だよな」
- @justice_girl
 「ドリームキャンディが一番頑張ってるのに、なんで奈理子は足引っ張ってるの??」
- @kokoro_yowai
 「やっぱり“水都の守護神”は信用できない。炎上して当然」
動画の再生数は爆発的に伸びていき、コメント欄は「仲間割れ」「奈理子は裏切った」「いや、あれは偽物だ!」と真っ二つに割れていた。
一方で、白い下着を晒されたセイクリッドウインドに同情する声や、「清楚なお姉さま最高!」と不謹慎な賞賛も飛び交う。
「奈理子も可愛いけど。恥ずかしがる凜さんもいいよなぁ……」
家に帰り着いた中学生たちがスマホを見ながら青ざめ、カフェに集まった大学生が動画をリピート再生し、SNSはまさに炎上の坩堝と化していた。
鄙野・コマリシャス陣営
魔界のプリンセス・コマリシャスの地上拠点、1Kアパートの居間。
安物のちゃぶ台の上には、ノートパソコンとスマホが並び、SNSの炎上動画が再生されていた。
「ワハハハ!市民はすっかりミラクルナイトを疑ってるぞ!」
タンポポタイが畳を叩いて笑う。
「奈理子がキャンディを撃ったことになっている。これで“水都の守護神”の信用はガタ落ちだな」
紗理奈は缶ビールを片手に、にやりと笑う。
「にせ守護神の効果は抜群ですね。これから市民の信頼は、じわじわと腐っていきます」
じいやが冷静に分析する。
「にしても……ネットで盛り上がってるコスプレオバサンの白パンツ、あれは笑えるね」
コマリシャスが肩を震わせると、
「風間凜も可哀想……でも、清楚なお姉さま扱いされて人気上がってるのは気に入らないわね!」
と紗理奈がはしゃぐ。
正座しているニセミラクルナイトは、表情を変えずにただ一言。
「プリンセス、次のご命令を」
「うん。信用失墜は上々の成果。でも、もっと面白くしてやるんだ」
コマリシャスは頬杖をつきながら、ニセミラクルナイトと隣に立つナメクジスプレーを見やった。
「次は――あの三人を仲間割れさせる。ミラクルナイト、セイクリッドウインド、ドリームキャンディ。仲良し三人組を壊すのは、きっと楽しいよ」
にやりと笑うコマリシャス。その小さな声が、アパートの狭い部屋をぞくりと震わせた。
(第221話へつづく)
(あとがき)













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