ミラクルナイト☆第199話
【水都郊外・穢川研究所 地下第六指令室】
白い花嫁装束の残滓をまだ纏うかのような風情で、柚月は静かに九頭の前に膝を折った。
「……申し訳ありません。『花嫁の罠作戦』は、ミラクルナイトの予想外の根性により失敗しました」
その声には、いつもの妖艶さではなく、微かに揺れる悔しさが滲んでいる。
「コンニャク男も再び消滅……私の触手も、蔦も、あの娘の意地の前では……」
椅子にもたれかかる九頭は、面白がるようにその報告を聞き流すと、うっすらと微笑を浮かべた。
「気を落とすことはないよ、柚月くん。君は充分に“魅せて”くれた。あれだけ多くの観客の前で、奈理子くんの心を揺さぶった。立派な成果さ」
柚月は伏し目がちに顔を上げる。
「ですが……あの娘の心を折るには至りませんでした。まだ……芯が残っている……あの瞳には」
その時、傍らに控えていた秘書・絹絵が、いつもの飄々とした口調で口を挟んだ。
「奈理子さん、想像以上にタフですね。あれだけ恥をかかされてまだ折れないとは。まるで……奈良漬け」
「ふふふ、酔いが回るまでに時間がかかる、という意味かな?」
九頭は立ち上がり、壁面の巨大スクリーンを見上げる。映し出されているのは、泡立つ水都の地下水路の地図と、怪人“アブサワガニ”のアイコン。
「だが、そろそろ潮時だ。次は“泡”の番だよ。蟹と虻の合成怪人……アブサワガニ。奴の“泡”は特別製だ。混乱、恐慌、恐怖、羞恥……ミラクルナイトの精神を真に蝕むには最適の泡だ」
「……サポート、ですか?」
柚月の瞳に、また妖しい光が戻り始める。
「うむ。君の蔦は群衆の拘束に使えるし、泡と絡めれば思わぬ相乗効果も生まれるだろう。……泡の海に沈むウェディングドレス姿のミラクルナイト。想像してごらん」
九頭は、その姿を思い浮かべるように瞼を閉じ、満足げに微笑んだ。
「**泡姫の誕生だ。水都の民の前で、泡のベールを纏った美しい敗北者が誕生する……**ふふ……完璧だ」
「……また始まった……」と呟く絹絵。
だが柚月は、膝をついたまま、静かに笑っていた。
その笑顔は、あの時の白園麗華ではなく、蔦に微笑むツルバナ女のものであった。
【アブサワガニ作戦・ステップ①】
―泡の奇襲「バブルシールド・タウン」―
場所:水都タワー前広場、午後3時過ぎ。放課後、制服姿の高校生たちや買い物客でにぎわう商業エリア。
その日、水都の空は抜けるような秋晴れだった。陽光がアーケードの硝子屋根に反射し、制服姿の少女たちの笑い声が響く中、異変は静かに、そして確実に始まっていた。
「ん……? なにこれ、泡?」
誰かの足元に、ぷくりと膨らむ白い泡――
最初は洗剤でもこぼしたのかと思われたその泡が、次の瞬間、**“自立して移動した”**ことで、状況は一変した。
「ひぃっ! な、なにこの泡――動いてるっ!?」
「うわっ!? ちょっと服にくっついたんだけど、溶けてる!? わ、わたしのセーターがっ!!」
泡は生きていた。いや、“生きているように”振る舞っていた。
何もかもを覆い隠し、溶かし、時に包み込み、服の繊維や電子機器を侵食していくそれは、まさに無差別な泡状兵器であった。
そして――
「ごきげんよう、水都の市民たち。泡と愛に包まれて、心も身体も素肌になぁれ♪」
空中に響く、柔らかく甘い――だが明らかに敵意に満ちた女性の声。
アーケードの中心、泡の中心に出現したのは、優雅な白と赤の和装に泡の装飾を纏った“泡の姫”――
「アブサワガニ、参上☆」
両腕のカニ鋏を振り上げると、口から泡をぷくぷくと吹き出し、空中に美しい光のシャボンのような幻影を作る。
「この泡はねぇ、ただの泡じゃないの。感覚神経を麻痺させて、羞恥心と抵抗力を奪う『媚泡』なのよ。んふふふっ♥」
その言葉通り、泡に包まれた数名の女子高生が、制服のボタンを自分から外し始めるという異常行動を起こし始める。
「やだ……なにこれ……身体が、熱い……っ」
「きゃっ、制服が勝手に……あぁあっ、これじゃあ――!」
商店街の一角はパニックに陥る。
その光景を、ビルの上から冷静に見下ろすのは、黒いスーツに身を包んだ女性――柚月。
いや、すでに変身済みのツルバナ女。
「さすがアブサワガニ……お前の泡、えげつないわね。ふふ……あの子(奈理子)の前で発動させたら、どんな顔するかしら♪」
地上では、泡で滑って転ぶ人々、服を脱ぎかける者、スマホのカメラが一斉に沈黙していく混乱の中、街の放送設備が乗っ取られた。
「この街は、これより**“バブル・シールド・タウン”**として、私アブサワガニ様がいただくわ! みーんな泡姫にしてあげるっ♡」
◆
奈理子は制服姿のまま校舎の窓から、泡に包まれ始める街を見つめていた。
「まさか……また……?」
【アブサワガニ作戦・ステップ②】
―ドリームキャンディ出動・寧々の覚悟―
水都市立中学校。放課後の帰り支度で騒がしい教室の一角、教科書の整理を終えた杉原寧々は、自分のスマホの通知を一つタップした。
そこに表示されたのは、SNSに溢れる「#奇跡の花嫁」「#白ドレスの守護神」「#コンニャク男大暴れ」などのタグとともに拡散された動画と画像。
――ウエディングドレス姿で式場を歩く奈理子。
――変身し、再び現れたコンニャク男に振り回されるミラクルナイト。
――そして、背後から決定的な一撃を放つ自分=ドリームキャンディの姿も、ほんの一部で映っていた。
だが、コメント欄はおおむねこうだ。
「ミラクルナイトやっぱ可愛い…」
「花嫁奈理子、尊すぎる…!」
「もう女神だよあの子」
「え、てか後ろで棒持ってる子誰?」
寧々は思わず溜息をついた。
「……やっぱり、奈理子さんは目立つんだよね。ドレス、似合ってたし……」
黒板消しを片付けながら、誰にも聞かれないよう小声で呟く。
「……でも、だからこそ――守らなきゃって思うんだよ、私は」
ミラクルナイトは美しくて、人気があって、でも――強くはない。
寧々が変身するドリームキャンディは、決して派手ではないけれど、あの人を守るための戦士だと、そう信じている。
「それが、私の使命……ううん、役目だから」
そのときだった。
開け放たれた教室の窓の向こう――商店街方面から、遠く**パアアアアアンッ!**という奇妙な破裂音と、子供たちの悲鳴のようなものが風に乗って届いてきた。
「……!」
寧々の表情が引き締まる。
外を見ると、白い泡がアーケード街の空にまで昇っているのが見えた。
泡……また怪人の仕業!?
すぐにスマホを操作し、通信アプリで【水都緊急防衛連絡】のボタンを押す。
「杉原寧々、現地確認に向かいます!」
バッグを手に、寧々は中学生の制服のまま教室を飛び出した。
「奈理子さんは……まだ学校かな? でも、私が先に行かなきゃ!」
その瞳には、もう嫉妬もため息もなかった。
ただ一人の仲間を守る決意を湛え、ドリームキャンディは泡の街へ走る。
【アブサワガニ作戦・ステップ②】
―泡の街に現れた影とドリームキャンディの突入―
白い泡は静かに、しかし着実に街を包んでいった。
水都商店街の通り、駅前ロータリー、公園の噴水広場――まるで祭りの後のように、あちこちに泡の山がうず高く盛られている。
泡に触れた人々は、口々に言う。
「冷たい……いや、ぬるい?」
「うわ、服がべたべたに!」
「これ、洗っても取れない泡じゃない!?」
泡に包まれた一角で、子供が転び、誰かの叫びが上がる。
「おい、誰か! 変なのが泡の中に……!」
――ズルッ、ヌルヌルッ。
泡が盛り上がった。
現れたのは、かつて奈理子を苦しめたあのウズムシ男……に似た、だがどこか質感の異なるコピー。
さらに、その背後からはぴょんと跳躍して、カエル男のような姿をしたコピーが着地した。
「ピョコ♪ ピョコ♪ ぷくぷく泡の音~」
「ふええ、なつかしい匂いがしますね、カエル兄さん……ん? 兄さん……?」
「ピョコ、違うな。オレたち、複製体。オリジナルの兄さんじゃない」
「じゃ、ボクはボクだ~!」
泡の中から這い出るように複数のウズムシ男コピーが現れ、道行く人々を囲もうとする。
「だ、誰か……ヒーローを呼んでぇ!!」
◆
「ここまで泡が……!」
制服の裾を翻し、ドリームキャンディ――杉原寧々は走っていた。
すでに人気のない通りを抜けると、そこには泡の中心に立つ巨大な甲殻類の影が見えた。
ザリザリと泡の中からせり上がるその姿。
上半身は虻の複眼、下半身は甲羅に覆われた蟹の胴体。
両腕は鋏となり、泡を纏った大鎌のようにギラついている。
「この泡で街を制圧し、ミラクルナイトを泡姫として取り込む――それが俺様の任務だ!」
そう豪語するのは、新たなる敵――アブサワガニ男!
「ミラクルナイトさんを……泡姫に!?」
寧々は小さく息を呑んだ。
(まだ奈理子さんはいない。私が止めないと……!)
「あなたが元凶ね! この泡、止めてもらうわよ!」
寧々は変身するために女子トイレに向かって駆け出した。商業施設内は防犯カメラがいたるところに設置されている。しかし、その死角にあるトイレは既に調査済みだ。
女子トイレに駆け込んだ寧々は、、力強く叫んだ。
「キャンディ・スイーツ! ドリーム・キャンディーーーー!!」
オレンジ色の光が爆ぜ、寧々の姿がドリームキャンディへと変わる。
ふわりと広がる橙のスカート。チェーン状の武器を腰に下げ、泡を睨む少女戦士が現れる。
「泡に包まれた街も、コピーの怪人も、あなたも――キャンディの光で清めてあげる!」
泡の中、アブサワガニ男はにやりと口角を吊り上げた。
「小娘が一匹……フン、コンニャクに比べりゃ華がないな」
「うるさいっ!」
ドリームキャンディ、突入!
【アブサワガニ作戦・ステップ③】
―ドリームキャンディの孤軍奮闘―
夕暮れの水都、橙に染まる空の下で、泡はなおも街を覆い続けていた。
白く滑る泡の海、その中心に立つのはドリームキャンディ。
背筋を伸ばし、風にスカートを揺らしながらも、彼女の瞳には焦燥が浮かんでいた。
(敵が、飛んでる……!)
屋根の上に舞い上がるアブサワガニ。
背中の蟹殻が展開し、虻の翅のようなものが小刻みに震えている。
重そうな体格に似合わず、彼はまるで蜻蛉のように、空を舞った。
「ドリームキャンディ! オマエ、飛べないんだってなァ! 地を這うヒロインなんて、どんなマンガの噛ませキャラだよッ!」
「くっ……!」
チェーンを振る。
きらめくオレンジの輝きが空を切り、鞭のようにアブサワガニに迫るが――
「甘いッ!」
ガギィィィン!
チェーンはアブサワガニ男の鋏に絡んだかと思うと、次の瞬間には弾かれていた。
甲羅と鋏、そのすべてがまるで鉄のように硬い。
ドリームキャンディの武器では決定打にならない。
(攻撃が通じない……! 近寄れない……! しかも……)
彼女の視線が街灯の陰に移る。
コピーのウズムシ男とカエル男が、じりじりと取り囲んでいた。
(包囲されてる……!)
さらには――
「おっとォ、足元にも気をつけな!」
ブシュウゥ!
アブサワガニ男が泡を吐いた。
ぬるりとした蟹の出汁入り泡が地面に広がり、ドリームキャンディの足元をすべらせる。
「きゃっ!」
片膝をつくドリームキャンディ。
その隙を突いて、ウズムシ男コピーたちがぐにゃりとした手を伸ばしてくる。
「ダメ……っ!」
寧々は飛び退き、何とか距離を取る。
息が荒く、肩が上下する。
(いつもなら……隆が、見てくれてるのに……)
今日に限って、慌てて学校を飛び出した。
「一人でも戦える」と思っていた――それが慢心だった。
「どうしたどうした? 泡に包まれたお嬢ちゃん、勇ましく飛び込んできた割にはもうヘトヘトじゃねぇか」
アブサワガニ男が空から挑発する。
「ねぇ、泡になって溶けちゃえよ。甘くてトロけるキャンディになってなぁ!」
彼が再び泡を吐く。
それはただの泡ではない。甘く、そして粘着質な泡が、ドリームキャンディの衣装にべっとりと張りついた。
「う、くぅっ……」
身動きが取りにくい。
手も、脚も、まとわりつく泡に取られていく。
その上から、空中のアブサワガニが――
「終わりだァァッ!!」
泡をまとった鋏をかざし、突撃してくる!
◆
その刹那、ドリームキャンディの脳裏に奈理子の笑顔が浮かんだ。
(奈理子さん……)
(私、まだ……)
拳を握るドリームキャンディの瞳に、闘志が戻る――!
【アブサワガニ作戦・ステップ④】
―ドリームキャンディ、絶体絶命のバブルドーム―
「泡の大渦、ミラーバブルドームっ!」
アブサワガニの叫びと共に、空気が震えた。
泡――ただの泡ではない。
滑らかで厚みを持ち、しかも無数に反射する奇妙な半透明の球体が、
まるで巨大なクラゲのように水都の大通りを包み込んだ。
市民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、
その中心にいたのは、ひとり――ドリームキャンディ。
「なにこれ……っ!? 鏡……?」
どこを見ても、自分の姿。
泡の内側に映るのは、追い詰められた少女の姿だった。
「ようこそ、泡の迷宮へ。ここはオレの“舞台”だ。逃げ道なんてないぜェ」
宙に浮かぶアブサワガニ男が、泡の間を泳ぐように飛び回る。
蟹の鋏が泡に触れるたび、反射した像がにやにやと嘲笑を浮かべた。
「くっ……!」
キャンディチェーンを振るが、何も掴めない。
動く敵の“像”ばかりが視界を乱し、実体が掴めない。
「どれが……本物なの!?」
「おっとォ、こっちだよ♪」
ドリームキャンディの背後から、鋏が迫る!
ガキィン!
間一髪で防御。だが、膝が震えた。
泡の中では音も歪んで届き、敵の位置がまるで分からない。
(落ち着いて、落ち着いて……!)
泡に覆われた外の街では、市民が不安げにその球体を見上げていた。
巨大な泡の迷宮の中に、少女が閉じ込められている――そう見えるその異常事態に、
スマートフォンが向けられ、SNSには瞬く間に「#ミラーバブルドーム」のタグが溢れ始めた。
「もう……体力が……」
足元がふらつく。
そして、泡の中に漂っていた蟹泡がゆっくりと少女の身体に絡み始める。
足首、膝、腰、腕……じわり、じわりと、まとわりつく。
「……動けない……!」
「キャンディが溶けて、泡になっちゃうまであとちょっと♪」
アブサワガニ男の声が響いた瞬間――
「水都の平和を乱す者は、ミラクルナイトが許しませんっ!!」
外から、水色の閃光が泡に向かって放たれた!
「ミラクルシャインブライト!!」
ドーン!!
爆音と共に、外から放たれた水色の光弾が泡に直撃――したはずが、
「何!?」
ぶわっ!!
泡が裂けるどころか、無数に増殖して空間を埋め尽くした!
「えっ、なんでっ!?」
「ふふふ、増えた泡は全部、オレの目玉♪」
泡の内側には、それぞれドリームキャンディの姿が映っている。
彼女がもがくほど、泡が反射し、どこにいるかも分からなくなる。
「セイクリッドウインド、参上!」
緑色の光とともにセイクリッドウインドがタワー前広場に舞い降りる。
ミラクルナイトは更にドームを攻撃しようと構えた。
「待って、奈理子。ドームが……自己増殖してる。強行突破は逆効果よ!」
セイクリッドウインドの声が飛ぶが、
ミラクルナイトは叫ばずにはいられなかった。
「キャンディ!!」
「奈理子……さん……!」
泡の中で、ドリームキャンディは震える唇で微笑んだ。
でも――
(もう、足が動かない……)
――キャンディチェーンすら構えられない。
もう一発すら撃てない。
泡の渦に絡めとられ、視界が霞む。
アブサワガニ男が泡の向こうで、ゆっくりと鋏を掲げる。
「さぁ、フィニッシュと行こうか。泡姫ちゃん♪」
泡の迷宮に沈んでいく、少女戦士の姿――!
【アブサワガニ作戦・ステップ⑤】
―泡の性質に気付いたミラクルナイト、反撃の狼煙―
「キャンディ……っ!」
泡の中で動けなくなったドリームキャンディの姿が、無数の泡の内側に映し出されている。
まるで、彼女の絶望が空間そのものに投影されたかのようだった。
その中心を、獲物を狩る海獣のようにゆっくりと漂うアブサワガニ男。
鋏の先が、キャンディチェーンを切り裂くように踊る。
「泡の中は無音、無視界、無反応。最高の蟹鍋空間だろ?」
アブサワガニ男はご満悦で鋏を振り上げた。
そのとき――
「キャンディを助けるんだ……!」
泡の外、ミラクルナイトは再び光弾を構えようとするが――
「待て、奈理子!」
セイクリッドウインドが腕を伸ばし、彼女の手を止めた。
「さっき、ミラクルシャインブライトを撃ったら泡が増えたでょ。これ……何か、仕掛けがある」
「仕掛け……?」
「泡に触れたエネルギーを反射・増殖してる。
つまりあれは“攻撃”を“力”と誤認して栄養にしてる。
“力を与えれば与えるほど太る”タイプよ」
ミラクルナイトは一瞬絶句する。
いや、それよりも……何かおかしい。
「泡に閉じ込められた寧々ちゃんが、あんなに映ってるってことは……」
ミラクルナイトはじっと泡を見つめる。
鏡のように反射している、無数のドリームキャンディ。
「この泡、自分の姿しか映してない……?」
「はっ……!」
セイクリッドウインドの目が見開かれた。
「やっぱり……反射してるのは相手にとって一番“恐れ”てるものなんだわ……」
「恐れ……?」
「寧々にとって一番怖いのは、“守れないこと”。
奈理子、あなたを守れなかった自分の姿が、あの泡に映ってるのよ。
つまり……!」
「この泡、見た目だけの幻っ……!」
ミラクルナイトが叫んだ瞬間――
泡の表面が微かにひび割れたように見えた。
「心を強く持てば、壊せる……?」
「そういうこと!」
ミラクルナイトは叫ぶ。
「キャンディ! その泡は、幻だよ! 負けるな!」
外から届いたその声は、確かにドリームキャンディの耳に届いた。
「……幻……?」
ドリームキャンディの目に、ほんの少し光が戻る。
(わたしは……奈理子さんを……)
泡が音を立てて震え始めた。
その気配に気づいたアブサワガニ男が、鋏を構える。
「なに……!? バブルドームが……!」
だが、そのとき――
「わたしは、奈理子さんを守るって決めたのよっ!」
バァン!!
泡が爆音と共に砕け散り、
ドリームキャンディが泡の渦から飛び出した!
キャンディチェーンがきらりと光り――
彼女の背後には、ミラクルナイトとセイクリッドウインドの姿があった。
【アブサワガニ作戦・ステップ⑥】
―ツルバナ女、撤退指令。ドリームキャンディ、逆転の一撃―
「キャンディ・チェーン――変形!」
ドリームキャンディの叫びとともに、長くしなやかな鎖が唸りを上げて変形していく。
先端が巨大なロリポップハンマーへと変わり、その表面に七色の光が集い始めた。
「いっけぇええええッ! ロリホップ凄い突きいぃぃっ!!」
突き出されたロリポップハンマーから放たれた七色の閃光が、泡の残滓を焼き払い、アブサワガニに向かって一直線に伸びていく。
空間が震え、周囲の空気さえも甘い香りで満たされる。
「チィッ……!」
アブサワガニが身を翻し、泡のバリアを展開して防御態勢に入る――だが。
「効いてる……っ! もう一撃……!」
ドリームキャンディが追撃を構えた瞬間。
「そこまでですわ♪」
柔らかく、優美な声が空間を割いた。
木々の陰から現れたのは、花嫁のヴェールのような純白の衣装を翻したツルバナ女だった。
その体には淡く輝く蔦が纏われ、妖しく揺れている。
「ツルバナ女……!」
「これ以上は計画外です。アブサワガニ、退きなさい」
「だが……!」
「ふふ、焦ることはありません。あなたの“力”は水都を十分に混乱させましたわ」
その言葉と同時に、彼女の蔦が大地を這い、戦場全体に一瞬だけ薄紅の花粉のようなものを散らす。
観客たちの目が一斉にぼんやりとし、戦場への注目が霧のように薄れていく。
「ミラクルナイト……それにあなた、ドリームキャンディ。
今日のところは退いて差し上げます。ですが――」
ツルバナ女の視線が、奈理子に絡みつく。
「“花嫁の顔”は忘れておりませんわよ」
くすくすと笑いながら、ツルバナ女は蔦を操ってアブサワガニを包み、空中へと引き上げていく。
「……助け船、感謝するぞ。次は奈理子を“泡姫”として仕留めてやる」
悔しげに鋏を鳴らしながら、アブサワガニは泡とともに空中で霧散していくように姿を消した。
「……」
ドリームキャンディは、手にしたロリポップハンマーを握りしめたまま、消えた敵の気配を追い続ける。
「奈理子さん……怖くなかったですか?」
「ううん……ありがと、キャンディ。助かったよ」
駆け寄ってくるミラクルナイト。
その背後では、セイクリッドウインドが静かにガストファングを収めていた。
「ツルバナ女とアブサワガニ……次は、こっちが仕掛ける番ね」
【幕間:膕の美学】
―ツルバナ女とアブサワガニ、九頭のもとへ帰還す―
地下深くの研究施設。淡い蛍光灯の明かりの下、ツルバナ女――柚月と、泡の香りを漂わせたアブサワガニが静かに歩を進める。
白衣をまとった絹絵が先導し、開かれた鉄扉の奥には、あの男――穢川研究所所長・九頭の姿があった。
「――戻りました、九頭先生」
深く頭を垂れるツルバナ女。その声には悔しさと、ほんの僅かな苛立ちが滲んでいた。
「ドリームキャンディの抵抗が予想以上でしたわ。結局、ミラクルナイトへの直接攻撃には至らず……申し訳ありません」
「ふん……」
九頭は机の上で組んだ指を外し、ふたりに視線を向けた。
「詫びることなど、ない」
その声は予想に反して穏やかだった。九頭は立ち上がり、壁のモニターに映し出された映像――ミラクルナイトが、泡のドームに向かってミラクル・シャインブラストを放つシーンを再生する。
「見たまえ……あの表情。あの細い肩で、あの非力な手で、必死に仲間を助けようとする健気な姿。ああ……素晴らしかった。涙すら浮かべていたではないか……あれが、“愛”だよ、柚月くん、アブサワガニくん」
九頭は胸元を押さえて震えるように呟いた。
「皆はミニスカートから覗く、程よい肉付きの太腿……スラリとしなやかな生脚にばかり注目する。だが、私は違う。私は――」
九頭は天を仰ぎ、恍惚とした笑みを浮かべながら言った。
「――奈理子の最も美しい箇所は、膕(ひかがみ)にあると思っているのだよ」
「……は? 膕?」
絹絵が眉をひそめる。
「膝の裏側のくぼみだよ、絹絵くん。あの柔らかくも繊細な凹み。人によって深さも形も違う、千差万別の聖域……奈理子の膕は、湿度、弾力、色彩、すべてにおいて完璧だ。あれは芸術だ。あの小さな窪みの中に、ミラクルの全てが詰まっているのだ!」
「(また始まった……)」
絹絵は顔を伏せながら静かにため息を吐いた。
だが、職務は遂行せねばならない。彼女は無理やり話題を引き戻すように口を開く。
「所長、次の作戦はいかがいたしましょう? 今回の騒動で水都の治安とヒロインたちの体力は確実に消耗しております」
「うむ……そうだな」
九頭は再びモニターに目を向けた。泡の中に消えていく市民たち、逃げ惑うヒロインたち、そして立ち上がる奈理子――その姿がゆっくりと再生されている。
「ツルバナ女には、引き続き“奈理子の精神を揺さぶる作戦”を命じよう。アブサワガニには……街を泡で支配する計画の第二段階を開始してもらう。
君たちには、まだまだやってもらうことが山ほどあるのだからな……!」
「……ふふ、了解いたしましたわ。今度こそ、奈理子の膕まで蔦で包み込んで差し上げます」
「泡の湿度なら任せておけ……!」とアブサワガニが拳を泡立てながら応じる。
こうして、九頭の変態的な偏愛に呆れながらも、ツルバナ女とアブサワガニの次なる任務が、静かに動き出すのであった――。
(第200話へつづく)












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