ミラクルナイト☆第197話
朝の水都女学院高校、秋の澄んだ空気に包まれた校舎の中庭には、朝日を浴びて光る噴水の水飛沫。制服姿の乙女たちが三々五々登校していく中、正門からゆっくりと現れたのは、制服の襟を丁寧に整えた奈理子だった。
「奈理子さん!登校したのねっ」
すぐさま駆け寄ってきたのは、やや幼げな顔立ちのクラスメート、すみれ。両手で教科書を抱えながら、心底嬉しそうな顔をしていた。
「うん、ごめんね。体調、もう大丈夫だから」
奈理子が微笑むと、すみれは安堵の溜息をつき、そっと奈理子の手に紙袋を差し出した。
「これ、休んでた間のプリント……それと、数学のノート、写しておいたよ。筆跡、汚いけど……」
「ありがとう、すみれさん。ほんと助かるよ」
そんな二人の和やかな空気を裂くように、コツコツ、と響く足音が近づいてきた。
「ふん、病み上がりにしては随分と晴れやかな顔してるわね、奈理子さん」
現れたのは、完璧にアイロンのかかったスカートを揺らしながら歩く、冷たい美貌の持ち主・菜々美だった。無表情に見えるが、どこか勝ち気な眼差しが奈理子を見据えている。
「菜々美さん……お見舞い来てくれてありがとう」
「別に心配してたわけじゃないけど、まあ――病み上がりのあんたに、これをあげる」
そう言って、菜々美は制服のポケットからきらびやかな封筒を取り出し、スッと奈理子の前に差し出した。
「これ、水都ファミリーランドのプレミアチケット。今週末限定のナイトパスつき。知り合いに頼んで取ってもらったのよ。行くでしょ?」
「えっ、いいの? これ……すごく貴重じゃ……」
「アンタ、まだ本調子じゃないでしょ。身体動かす前に、気分転換も必要だと思って。まあ、お礼は戦って証明してくれればいいから」
菜々美がツンと横を向いたその隣で、すみれが信じられないとばかりに口を尖らせた。
「なにそれ、ズルい! 奈理子さんと遊びに行くの、わたしも……」
「招待してないもの。いい?これは“支援”よ、私が“応援してる”ってこと。あんたみたいにベタベタしてるのとは違うの」
「な、なによその言い方!」
「二人とも、喧嘩しないで……!」
困惑する奈理子の腕に、チケットの封筒がそっと握らされる。少しだけ重みのある厚紙の感触。だが、それ以上に奈理子の胸に残ったのは、二人の少女の温度差のある優しさだった。
「ありがとう、菜々美さん。本当に……嬉しい」
「べ、別に……どういたしまして、なんて言わないけど」
「ふーん……勝手にすれば」
ぷいとそっぽを向いたすみれの頬は、うっすらと赤くなっていた。
その日の午後、奈理子のスマホには水都ファミリーランドのマップと、特設お化け屋敷の情報が続々と届いていた。それが、ある怪人によって仕掛けられた"罠"であることを、まだ誰も知らない。
雲ひとつない秋晴れの日曜日。水都の郊外にある大型遊園地「水都ファミリーランド」は、朝から多くの家族連れとカップルで賑わっていた。色とりどりの風船が空に舞い、ジェットコースターの歓声が澄んだ空気に響く。そんな中、人目を引く三人の女子高生の姿があった。
制服ではなく、私服に身を包んだ奈理子、菜々美、すみれの三人。奈理子は控えめなワンピース、すみれはパーカーにミニスカートの元気系スタイル、そして菜々美は白いブラウスとフレアなスカートを品よく着こなしていた。
「観覧車の頂上、めちゃくちゃ綺麗だったねー!」
すみれが嬉しそうに飛び跳ねる。手には大きなりんご飴。
「まったく……はしゃぎすぎよ。あれくらいで叫ぶなんて、子供みたい」
そう言いながらも、菜々美の指先には上品に選ばれたクレープが。いつもより柔らかい表情の彼女に、奈理子はふと目を細めた。
「でも、ありがとうね、菜々美さん。チケット……三人分、手配してくれて」
奈理子が感謝の気持ちを込めて言うと、菜々美は少し顔をそらした。
「べ、別に。すみれさんが泣きそうな顔していたから仕方なくってだけよ」
「それでも、ありがとうだよっ」
すみれが満面の笑みで言い、菜々美はむっつりと口を結んだ。
そんな和やかな空気のなか、ふと視界に入ったのが、仮設の大型テント。周囲には「新設!水都ファミリーランドお化け屋敷《黒闇ノ館》」と書かれたポスターが張られていた。ぼんやりと霧が這う入口から、不気味な音楽が漏れ聞こえる。
「ねえっ、あれ!入ってみようよ!」
すみれがぴょんと前に跳び出し、振り返った。
「えっ……わたし、ちょっと怖いかも……」
奈理子が苦笑いしながら眉をひそめると、すみれは嬉しそうに彼女の手を取った。
「だいじょうぶだって!ミラクルナイトと一緒なら、怖くないもん!」
「ちょ、ちょっと……」
奈理子が戸惑う横で、すっかり後方に下がった人物がひとり。
「わ、私は遠慮するわ……その……服が汚れると困るし……ええ、ええ、そういう理由よ」
菜々美がきっぱりとそう言って、腕を組んだ。
「ふーん、へー、菜々美さんって怖がりなんだ」
すみれがニヤリと挑発気味に言うと、菜々美の眉がピクリと跳ねた。
「怖がってなどいないわ。ただ、衛生的な問題を考えての判断よ」
「はいはい~」
軽く流したすみれは、奈理子の手を引いてお化け屋敷の門へと進んでいく。
「わ、わたし、本当に怖いのにぃ……」
弱々しく笑う奈理子を引っぱって、すみれはずんずんと暗がりへと吸い込まれていった。
その後ろで、菜々美はそっとひとつ息を吐いた。
「……ばかじゃないの、あんなのに喜んで……」
でもその声には、どこか寂しさが滲んでいた。
「キャーッ!」
すみれの悲鳴が、密閉された薄暗い館内に木霊した。
ぎゅっと握った奈理子の手が震えている――いや、それは奈理子の手も同じだった。
「な、なに今の……! 上から……濡れた、なにかが……っ」
すみれが叫びながら頭を押さえた。
館内は真っ暗。細い誘導灯が床を這っている以外はほぼ視界ゼロに近い。背後で、ぬめりとした音――ずるっ、べたん、ぬちゅっ――が耳にまとわりつくように響いた。
「……うぅ、こ、こわい……っ」
奈理子はぎゅっとすみれの腕を握り直す。
突然、頭上から冷たいものが**ぽたっ……**と額に落ちた。
「ひゃっ!? な、なに……!?」
奈理子は慌ててそれを拭った。触れた指先に、ねっとりとした感触――
「こ、これ……コンニャク……?」
それはまさしく、冷たく弾力のある半透明の物体だった。上を見上げると、うっすらと吊るされた無数の糸状の影が揺れている。
(まさか……これ、全部……!?)
ずるっ、ぬるん――
今度はすみれの肩に、ぷるんとした塊が乗った。
「ひ、ひぃぃぃ~~っ! 奈理子さーんっ、肩に、肩にのってるぅぅぅっ!!」
二人してパニックになっていると、足元が急にぎしっと軋んだ。
足を一歩踏み出すと、まるでゼリーの上に乗ったかのようにぐにゃっと床が沈む。
「な、なにこれ……っ、まともに歩けない……! 床、ぬるぬるしてる……!」
実際、足元には薄くコンニャクの膜のようなものが敷かれており、歩くたびにぬちっ、べちょっと音が鳴る。
(このお化け屋敷、異常……! ただの演出じゃない……!)
奈理子は直感した。
ここに張り巡らされている不自然なほど大量のコンニャク、湿った空気、そして異様なぬめり――
(これは、絶対……奴らの仕業だ……!)
「……ま、前に何かいるっ……!!」
すみれが震える指で暗闇を指差した。
ぼうっ、とランタンの灯りに浮かび上がったのは――
巨大なコンニャクの塊のような影。
「ひっひっひっ……お楽しみは、これからだよ……♪」
それは、コンニャク男だった。
水都ファミリーランドのお化け屋敷は、すでに奴に乗っ取られていたのだ――!
「すみれ、逃げて! 外に出て、菜々美さんと一緒に逃げて!!」
奈理子が叫んだ。
「え!? な、奈理子さん!? ま、待って、奈理子さんは……!?」
「わたしは……っ、ちょっとやることあるから!」
そう言って、奈理子はお化け屋敷の奥へ駆け出していった。
もう心の中では、変身のための準備が始まっている。
(まったく、いつもいつも……遊園地くらい、普通に楽しませてほしいのに……!)
奈理子のスカートの裾がふわりと跳ね、暗闇の中へと消えていった――
すみれが泣きながらお化け屋敷の出口へと駆け出していく。その小さな背が安全な明かりの中へ消えていくのを確認した奈理子は、息をひとつ吐き、手にしたアイマスクにそっと指を添えた。
(――よし、ここで変身して一気に!)
心を静め、アイマスクを装着しようとしたその瞬間だった。
「まさか、奈理子が……この館に来るとは思わなかったよ……」
ぬるり、と背後から迫る気配。コンニャク男だ。すでに奈理子のすぐ後ろにぴたりと迫っていた。
「わぷっ!? う、うそっ――!」
瞬間、ぬめぬめとした何かが背中から這い上がってきた。足元には透明なゼリー状の膜。身体がうまく動かない。このまま変身しようとすると――無防備な下着姿をコンニャク男の前に晒してしまう!
(こ、このタイミングで……!)
「はっはっはっ! ミラクルナイトが変身する瞬間、服が消えるんだったよねえ~? このヌルヌルの中でそれができるかなあ?」
「くっ……!」
逃げなければ。変身できない今の状態で戦うのは危険すぎる。
奈理子はすかさず横に飛び、足場のぬるぬるを滑るように使って脱出。壁にぶつかるように転がって、すぐさま立ち上がると一目散に裏手の非常口へ走った。
「ひぃっ……このぬるぬる、くさいし冷たいし最悪ぅ……!」
髪が乱れ、ワンピースの裾もところどころ濡れている。だが背後の笑い声からは逃れた。
(今は……変身する隙がない。いったん引いて、態勢を立て直すしか……!)
ガシャン、と非常口の扉を開け、奈理子は外の眩しい午後の光の中へと飛び出した――。
こうして、水都ファミリーランド・お化け屋敷脱出作戦は、奈理子の変身失敗という苦い形で終わったのだった。
水都ファミリーランドの一角、「黒闇ノ館」の入り口付近――。
「た、た、たた、たすけてぇぇぇぇえええっ!!」
お化け屋敷の重たい扉を突き破るように、すみれが転がるように外へ飛び出してきた。顔は真っ青、足はガクガク、小刻みに震えながら地面に尻もちをついていた。
「す、すみれさん!?」
菜々美が目を見開いた。
「か、怪人……か、かい、かいじんが……出たのぉ……! 館の中に……ぬ、ぬるぬるの、ぬるぬるのがっ……!!」
「はあ!? なに言ってるのよアンタ、ここ遊園地よ? そんなもん、出るはずないじゃない」
菜々美は思わず声を荒げた。とはいえ、すみれの怯え方は尋常じゃない。菜々美が絶句していると、さらに数十秒後。
「ひ、ひえええっ! で、出たのよ! ほんとうに出たのよぉぉぉ!!」
今度は奈理子が、顔面蒼白、髪を乱しながら泣き叫びつつ館の中から飛び出してきた。ワンピースの裾は少し濡れ、頬には光る涙の筋。思いきり泣きながら、菜々美のほうへ駆け寄ってきた。
「な、奈理子!? あんたまでどうしたのよ!」
「ぬるぬるだったの! あの、触ってきて、わたし、変身もできなくてっ……っ、こ、コンニャク男……だったの……間違いないの!」
「と、とにかく、ぬるぬるで、すっごく、冷たくてっ……背中にくっついてきてっ……っ!!」
すみれも奈理子の隣で必死に頷く。
二人とも本気で怯えている。だが、黒闇ノ館の入り口は静まり返っており、誰かが追ってくる様子も、異常な物音もない。
「……はあ。信じらんないわね」
菜々美は肩をすくめ、ため息を吐いた。
「どうせ、演出で吊ってあったコンニャクでも背中に当たったのを、怪人と勘違いしたんでしょ。お化け屋敷なんてそんなもんよ。あー、あたし、入らなくてほんっっっとによかった……!」
手を胸に当て、心底ほっとしたように呟く菜々美。その隣では、奈理子とすみれがまだわなわなと震え、互いに顔を見合わせていた。
「……ほ、ほんとうに……コンニャク男だったんだけどな……」
「……ねえ、菜々美さん……信じてくれないの……?」
「んなワケないでしょ!」
呆れきった顔で一喝する菜々美。
「ったく、アンタたち、ほんっとお子様なんだから!」
奈理子とすみれが同時に「むうっ」と膨れるのを見て、菜々美は小さく笑った。
その笑顔の裏に――彼女なりの、ほんの少しの心配があったことに、今の二人はまだ気づいていなかった。
薄明かりに包まれた、ツタと花に覆われた廃工場。そこは今、ツルバナ女のアジトとなっている。
その空気を震わせるように、ズズッ…ぬちょっ…という不気味な音と共に、コンニャク男が入り口から現れた。体を揺らしながら、妙に上機嫌な様子で床を這う。
「ヒッヒッヒ……いやぁ、見たかい柚月さまァ! あのミラクルナイト、泣きながら逃げてったぞォ〜! ぬるりん攻撃、見事にヒットォ!」
コンニャク男はゼラチン質の体をわざとぶるんと震わせ、頭上に跳ねた自分の粘液を自慢げに振り払った。口元はねっとりと笑っている。
「しかもよぉ〜、一緒にいた小っこい子、すみれって子も腰を抜かして大騒ぎさぁ! やっぱりこういうのは“遊び心”が大事だよねえ、オレってば天才!」
奥の椅子に腰かけていた柚月は、コンニャク男の報告を静かに聞いていた。彼女のドレスは艶やかな花嫁風、薄紅のツタがその肢体を優雅に這っている。
「まあ……ふふっ、おかえりなさい、コンニャク男。ずいぶんと楽しんできたみたいねぇ。また遊園地で遊んでいたの?」
「うっす! いやぁ、まさかあんなにビビるとは思わなくてさ〜。こっちまでテンション上がっちゃってよォ。あれは完全にトラウマ級だぜ、ヒッヒッヒッ」
ツルバナ女はゆるりと立ち上がり、長いツタの一本をコンニャク男の肩へと絡ませる。
「でも……ねぇ、あなた。今回の任務は“驚かせる”ことではなかったはずよ?」
「え、えっ!? いや、あの、まあ……その……目立ちすぎず、目立つっていうか、その……!」
「ふふふ。まあいいわ。今回は顔見せにすぎないもの……。けれど、次はそうはいかないわよ。今度は、奈理子ちゃんを“ちゃんと”捕まえて、連れてきてちょうだいね?」
「は、はいっ、柚月さま!」
そのとき、奥の暗がりからもう一体の影がぬるりと現れた。ウズムシ男である。
「ふにゃぁ〜ん、オレたちも出番あるぅ〜? 奈理子ちゃんと、遊びた〜い」
「ふふ、もちろん。あなたたちにも働いてもらうわ。ねえ……次は、もっと“直接的に”いきましょう」
ツルバナ女の目が妖しく細められた。その瞳には、獲物を逃さぬ花の毒――艶やかな狡猾さが宿っていた。
翌朝の水都女学院高校。
水色セーラー服に身を包んだ女子生徒たちが、朝のホームルーム前の教室で賑やかに会話を交わしていた。その中には、ひときわ騒がしい話題が渦巻いていた。
「ねえ知ってる? 昨日、奈理子さんがコンニャクで泣いたって!」
「ほんとに!? なにそれ、かわいすぎるんだけど~!」
「お化け屋敷でコンニャクが顔に当たっただけで、怪人が出たって叫んで飛び出したらしいよ~。まさに"ミラクル"ナイトって感じ?」
「えー、それで正義のヒロイン名乗ってるの? ギャグすぎるって!」
そんな声が、奈理子の耳に痛いほど届いていた。背筋を伸ばして机に向かっていたが、内心は波立つ水面のように乱れていた。
――まさか、こんなに早く噂が広まるなんて。
聞こえてきた笑い声の中心には、やはり彼女の姿があった。
春宮菜々美。市議会議員の娘で、容姿端麗、才色兼備。水都女学院の“氷の華”とも称される完璧なお嬢様。
菜々美は取り巻きたちにスマートフォンを見せて、得意げに笑っていた。
「ふふ、見て。この顔。ほんっとに涙目で飛び出してきたのよ。お化け屋敷で泣くなんて、いかにも奈理子さんらしいわよね。可愛い顔して、お子様なのねぇ」
「さすが菜々美さん! 撮影のタイミング、最高すぎです~」
あの時、自分を“親友”だと言ってくれたはずの菜々美。その言葉を信じて、一緒に遊園地に行って、すみれと一緒に笑って、楽しい時間を過ごせた――そう思っていた。
けれど、こうして現実を突きつけられた今、その信頼は脆くも崩れていく。
(やっぱり……菜々美さんは、意地悪なお嬢様だったんだ……)
頬に冷たいものが流れそうになるのをこらえ、奈理子は机に俯いた。
昨夜、あの出来事を話した相手はもう一人いた。
《えっ、あんた本気で怪人だと思ったの!? ぶはっ、奈理子、アンタほんと、真面目なんだから~!》
電話口の風間凜の声は、優しい笑いだった。けれどその言葉すらも、奈理子の胸に棘のように刺さった。
「……私、本当に見間違えただけだったのかな……?」
制服のポケットの中で、手のひらがぎゅっと握られる。
「……コンニャクにびっくりして……それで……」
ふと顔を上げると、教室の窓の向こうには、どこまでも青く晴れ渡った空が広がっていた。
だけどその青空が、今の奈理子にはどこか遠く、届かないように思えた。
放課後の水都女学院高校。柔らかな陽光が校舎の壁に斜めの影を落とし、空は秋のはずなのにどこか蒸し暑く、制服の襟元にじんわりと汗がにじむ。だが、それでも奈理子の歩みは止まらなかった。
「やっぱり……あれは、コンニャク男だったんだよ……」
ひとりごとのように呟きながら、奈理子は校門を出る。水色のセーラー服の襟が、風にふわりと舞う。放課後の時間を使って再び水都ファミリーランドへと向かう。アイマスクもスカートのポケットにこっそり忍ばせている。すみれもあのお化け屋敷を「変だった」と認めた。自分の記憶も錯覚ではなかったと、奈理子は確信していた。
だが――。
「ふふっ、まさか本当に確かめに行くつもりなの?」
声がして足を止めると、門の脇に立っていたのは、やはり水色のセーラー服に身を包んだ美少女、菜々美だった。少し細めた瞳が冷たい笑みを浮かべている。腰に手を当てて、奈理子の姿を見下ろすように。
「菜々美さん……」
咄嗟に身構える奈理子。あの動画の件があってから、どうにも菜々美を見ると身体が強張ってしまう。
「今日も、お化け屋敷で泣きに行くの?」
わざとらしい声色で菜々美が言うと、その口調にはからかうような響きがあった。
「……笑ってくれてもいいけど、私は、本当に怪人がいたと思ってる。すみれさんも、見たって言ってた」
「ふぅん、そっか。でも、女子力の高い奈理子さんなら当然ご存じだと思うけど――」
菜々美はふっと笑いながら、スマホを指先で弄ぶようにくるくると回して見せる。
「コンニャクってね、一度冷凍して解凍するとスッカスカになるの。表面はブヨブヨ、中はスカスカ。まるで……誰かさんみたいに」
「え……?」
「だから、冷凍庫にでも閉じ込めたら、一撃かもよ? ま、女子力が高い奈理子さんなら、冷凍コンニャク料理くらい得意かしら?」
そう言って、菜々美はにこりと微笑む。意地悪ともとれる言葉だけれど、どこかアドバイスのようにも聞こえる。奈理子はその意図が読みきれず、ぽかんと口を開けて菜々美を見つめた。
「……それって……」
「何の話かしら?」
とぼけるように言って、菜々美はすっと身を翻した。水色のスカートが夕陽を受けてきらめき、足早に去っていく菜々美の背中を奈理子は見送った。
「……冷凍したら、スカスカに……?」
まだ理解が追いつかないまま、奈理子は再び歩き出す。制服の襟を正し、胸の内で何度も繰り返す。
(私は、逃げない。今度こそ、ちゃんと確かめるんだ)
目的地はひとつ。水都ファミリーランド「黒闇ノ館」。
次なる対決が、そこに待っていた。
平日の午後。人影もまばらな水都ファミリーランドのメインストリートを、制服姿の少女がひとり歩いていた。水色のセーラー服の襟が風に揺れ、陽射しに少し汗ばんだ額を拭いながら、奈理子は意を決したように立ち止まる。
目の前にあるのは、特設アトラクション『黒闇ノ館』。
おどろおどろしい装飾が施された仮設の屋敷。その入り口では、古びたランタンが軋みながら揺れている。10月限定という文句のわりには、どうしてこんなに本格的なのか。奈理子は内心で毒づいた。
「どうして、夏休みじゃなくて10月なのよ……まだ暑いけど、中間テストも近い微妙な時期に……」
けれど、来てしまった以上は引き返せない。凜には昨夜、電話で「コンニャク男がいた!」と訴えたけれど、「お化け屋敷の仕掛けでしょ?」と笑われた。それはそうだ、理屈だけなら、凜のほうがずっと大人で、まともだ。
寧々には、今回は声をかけていない。中学生のあの子にとって、ここは入場料も高すぎる。特にこの黒闇ノ館は、期間限定のせいか別料金で、しかもかなり強気な値段設定だった。高校生の奈理子でも少し痛い出費だ。
「私だけで、なんとかしなきゃ」
そう小さく呟いて、奈理子は鞄から小さなアイマスクを取り出した。
「……いないでほしい、でも……いたら、その時は」
誰もいない角の陰に隠れ、周囲を確認してからアイマスクを静かに目元へと当てる。キュッ、とゴムが頬に当たる感触。変身中はほんの数秒だが、まるで全身が無防備になるような緊張感に包まれる。
「コンニャク男はいませんように……」
囁くような声と共に、ミラクルナイトへの変身が始まった。淡い水色の光が奈理子の身体を包み、白と水色のスカートがふわりと揺れる。数秒後、そこに立っていたのは、水都の守護神・ミラクルナイト。
そのまま、ミラクルナイトは慎重に『黒闇ノ館』の中へと足を踏み入れる。人の気配は薄く、時折、録音された呻き声と、どこかで風鈴のように鳴る古風な音が響く。
(……冷たっ)
突然、天井から吊るされたゼリーのようなものが頬に触れた。
「ひやぁっ!? な、なに、もうっ……!」
悲鳴を飲み込み、頬を手でぬぐう。冷たい感触に鳥肌が立つ。コンニャクじゃない、たぶん。たぶん、お化け屋敷の演出。
(でも……違う。これ……)
どこかで、奈理子の本能がざわめいていた。
(この冷たさ……このぬるっとした感じ……)
あの夜と、同じだった。
今度こそ確かめなければ。確かに、ミラクルナイトがいることを知られた上で、コンニャク男が出てきたら、それは偶然じゃない。
そう――ここで、決着をつける。
光も届かぬ『黒闇ノ館』の中。ミラクルナイトの足音だけが、湿った床に静かに響いていく。
【黒闇ノ館・深部】
「ひゅぅぅぅん……グゥオオオ……」
不気味な音響が響く中、ミラクルナイトは背筋を伸ばして慎重に歩を進める。だが、その足元から――ぬるり。
「……!? つ、冷たっ!」
床の隙間から這い出すようにして、灰色に透けたゼラチン質の影がにゅるにゅると姿を現す。
「いらっしゃ〜い♪ 奈理子ちゃ〜ん♡」
「っ……! コンニャク男っ!」
天井のわら人形よりも不気味な笑みを浮かべて、コンニャク男が立ちはだかった。その姿は、前回よりもぬめり感2割増し。ぷるぷると揺れる身体の一部が、まるで歓迎のジェスチャーのように波打っている。
「よく来てくれたねぇ、さすが水都の守護神。まさかお一人様とは思わなかったけど♡」
「ここに現れるなんて……やっぱりあなた、ここの仕掛け人だったのね!」
「まさか〜。わたしはただこのヒンヤリ空間を満喫してただけ♪ けどさ……ひとつだけ言っとくよ?」
コンニャク男は指を一本、ぷるんと立てて、にやりと笑う。
「ここは“民間施設”だからぁ? 市の持ち物じゃないの。うっかりビームでも撃っちゃって、壁一枚でも壊したら――」
「……!」
「お代、なんと数千万円〜。わかるぅ? 施設の修繕費に、風評被害の補填、入場料返金、ついでにスポンサー企業からもクレーム殺到〜♡」
「なっ……」
「そうなったら、君のファンクラブも解散かなぁ? ファンクラブの会長さん、今頃泣いてるかもよぉ〜♡」
「そ、それは……困る……!」
ミラクルナイトはぎゅっと歯を噛み締めた。光弾なんてもってのほか。迂闊にキックも出せない。ここで戦えば、ミラクルナイトの明日は無い。
「ふふん……ってわけで、ど〜するぅ?」
「……今日は撤退するわ!」
くるりと振り向き、スカートを翻して全力ダッシュ。
「おっとぉ!? 逃げるのぉ〜!?」
「た、退却! 一時退却よ! これは戦略的撤退なの!」
出口の明かりを目指して駆け出すミラクルナイト。その背後で、コンニャク男が面白そうにぷるぷる跳ねながら後を追い始めた。
「追ってきませんよ〜にっ! ……いや、このまま見過ごすわけにはいかない、ちょっとだけ追ってきて……やっぱりやめてぇぇっ!」
【黒闇ノ館・外】
眩しい午後の陽射しに、目を細めながら飛び出すミラクルナイト。だがその瞬間――
「よぉぉぉう♡」
「ようこそ〜♡」
「ひさしぶりぃ〜♡」
「えぇぇぇぇえええええ!?」
目の前に立ち塞がる、3体のウズムシ男!
前回よりもおしゃれなスカーフを巻いて、スケベ視線を全開に、笑顔で仁王立ちしている。
「奈理子ちゃんの太もも、今日もいい感じぃ〜♡」
「今日のスカート、丈短めじゃなぁい? サイコー♡」
「お迎えに上がりましたぁ〜♡」
「ぐっ……!」
一難去ってまた一難!
コンニャク男の次はウズムシ男軍団が道を塞ぐ!
ミラクルナイト、早くも最大のピンチ!
しかも――
「くっ、ここで光線技は……建物の前で撃ったら、向こうの壁に当たるかもしれないしっ!」
ミラクルナイトは叫んだ。
「スポンサーからのクレームだけは……避けなきゃ……!」
気高く戦うヒロインに、ふりかかるのは怪人よりも――
大人の事情!!
「こりゃ〜楽しくなってきたぁ♡」
「追いかけっこするぅ〜?♡」
「お尻ぺんぺんの刑ぃ〜♡」
果たしてミラクルナイトはこの災難から抜け出せるのか!?
【水都ファミリーランド・黒闇ノ館前】
ミラクルナイトが黒闇ノ館を飛び出すと、眩しい午後の日差しが目に差し込む。
「はあ……はあっ……!」
しかし、目の前に立ち塞がるのは、さきほどの――
「どこ行くの〜♡ さっきの“きゃあっ”って悲鳴、最高だったよぉ〜」
にゅるんと地面から這い上がってきたウズムシ男たち三体が、ミラクルナイトの進行方向をブロックする。
「うふふ、スカートひらり。見えそで見えない。……いや、見えた♡」
「ぴちぴち〜♪水都の守護神の太もも、今日も見れてよかった〜♡」
「やめなさいよっ!」
ミラクルナイトが軽く睨みを利かせた、その時だった。
「……そのくらいにしておきなさいな。お嬢様の舞台に、あんまり品の無い合いの手は似合わないわ」
しゅるり、という音と共に、甘く香る風が吹き抜ける。
そして、ウズムシ男たちの背後――
蔦が花嫁のヴェールのように風にたなびき、その中心に現れたのは妖艶な美女。
全身に絡みつく薄紅色の蔦が肌に沿い、そのすべてが触手であるかのように蠢いている。
「……あなたが、ミラクルナイト?」
「っ……あんたが、新しい怪人……!」
「名乗るほどのことではございませんが……呼ばれるなら“ツルバナ女”とでも。ふふ、あなたの無垢な水……わたくしの蔦で、濡らして差し上げますわ」
蔦がすうっと地を這い、ミラクルナイトの足元へと忍び寄る。ぞくっとする感触。
背後では、ぷるんと揺れながらコンニャク男がにゅるっと現れる。
「うっふん♡ 追いついた〜、奈理子ちゃん。君を待ってたよ〜」
「えっ……!? 前も後ろも!?」
左右からもウズムシ男の分身がにじり寄る。逃げ場がない!
「(くっ……このままじゃ囲まれる! でも、まだ戦えるほどの体力もない……!)」
その時、ミラクルナイトは――
わざと、勢いよくスカートを翻した!
「ひゃっ!」
ばさっ!
「っっっっ!!」
ウズムシ男たちが絶句。
「き、き、きたぁぁあぁぁああっ!!ミラクルナイトの神秘スカートアングル!!」
「録画!録画ーっ!!保存!一生モノぉっ!」
「な、なんなのこの騒ぎ……っ、みっともないわね、ウズムシ男!」
呆れたツルバナ女が蔦を振るが――その隙を突いて、ミラクルナイトはダッシュ!
【園内・観覧車乗り場】
「はあっ……! あそこなら……!!」
ミラクルナイトが滑り込んだのは、園内でも最も高い位置へと移動できるアトラクション、観覧車。
午後の空に、ゆっくりと回るシースルー型のゴンドラが浮かぶ。
係員はすでにカウンター内に引き込まれ、アトラクションは無人状態。
(ここまで来れば、一旦敵の追撃は避けられる!)
ミラクルナイトは、扉を閉じてゴンドラが動き出すのを待つ。
(あのツルバナ女……そしてコンニャク男、なんて厄介な敵……。それに、今の私は、前回の浄化の後遺症でまだ――)
ミラクルナイトの顔に、少しだけ疲れがにじむ。
ゆっくりと上昇していく観覧車。
夕暮れの陽がミラクルナイトのシルエットを縁取り、水都の街を照らす。
ツルバナ女は、観覧車を見上げながら、微笑んだ。
「ふふ……逃げたつもりかしら?
でも、可愛い花は、高いところに咲いても……いずれはわたくしの蔦で、絡め取られるのよ」
その横で、コンニャク男がぷるんと身体を震わせた。
「奈理子ちゃん、下から丸見えだよ~♡ふひひっ」
ウズムシ男たちは、観覧車の柱の影に潜む。
夜の気配がゆっくりと水都に降りてきていた。
観覧車のゴンドラは、ゆっくりと空へと上がっていく。
ミラクルナイトは、全身にじんわりと浮かぶ汗を拭いながら、透明なゴンドラの中で呼吸を整えていた。
「……はぁ……ふぅ……さ、さすがに追ってこない、よね……」
床も壁も天井も、すべてがクリア素材で作られた“シースルーゴンドラ”。
視界は良好――つまり、逃げ道も隠れ場所も、無い。
「大丈夫……私、ちゃんと逃げられた……今回は私の勝ち……あ、あれ? 窓……どこ?」
ミラクルナイトはぐるりと視線を走らせる。視界360度のゴンドラ内、しかし――
「……えっ、マジで窓ないの!?」
手を伸ばしてみても、どこもかしこも、びっしりと透明なアクリルの壁に囲まれていた。開く場所などない。
「ちょっと待って、うそでしょ……!? ここ、空から脱出できないの!? えっ、じゃあ、あたし……どうすれば……!」
ミラクルナイトはじわじわと追い詰められていく現実に気づき始めていた。
(壊して飛べば……いや、だめだめだめ! この観覧車、超高級最新式って広告に書いてあった……! ひとつ壊したら何千万、いや億かも……!?)
彼女の脳裏に、スポンサー企業・ミコールの広報部長の渋い声が浮かぶ。
「奈理子様、施設破壊はお控えくださいね。請求書、うちには回さないでください」
「ご、ごめんなさいミコールさん……わたし、もう……ダメかも……!」
ゴンドラは、ちょうど最上部で停止した。
地上、はるか下。降り場のあたりには――ツルバナ女、コンニャク男、ウズムシ男たちの姿が、ばっちり見える。
「……え、待って、あれって降りたら終わりじゃん……」
ミラクルナイトの目に、ウズムシ男たちが**「ミラクルナイト♡」と書かれた団扇を振って待機している姿が映る。
「……なんで待ってるの!? なんでそんなアイドルのファンみたいなノリで待ち伏せしてるの!?」
ゴンドラは、きいぃ……と音を立ててゆっくりと回転を始め、降り場へと向かう。
(いや……まだ……何か手は……!)
ミラクルナイトは、再度ゴンドラ内を見渡す。床下収納? 隠しハッチ? トリック脱出口?
――何もない。
「うう……こ、こんな時に、私が忍者だったら……!」
無情にも、ゴンドラは停止。
扉が、音を立てて開かれる。
「よ、ようこそぉぉ〜♡ おかえりなさぁ〜い、ミラクルナイトちゃん♡」
にゅるっ!
「え……ちょっ……!」
ドアが開いた瞬間、3体のウズムシ男たちがにゅるんと侵入。
逃げ場は、ない。
「ちょ、ちょっと待って、あたしまだ何も――わぷっ!? にゃっ!? こ、こらっ、そこはダメぇっ!!」
あっさりと――ミラクルナイトは捕まった。
脚を絡め取られ、腕を引かれ、ぐにゅぐにゅと押し包まれていく感触に、
「やだもう!こんなあっさり捕まるヒロインって私ぐらいじゃない!?」
悲鳴とも叫びともつかぬ声を上げながら、ミラクルナイトはウズムシ男たちに連行されていった。
「くっ……うぅっ、放してよぉ……っ!」
ウズムシ男たちに四肢を軽く絡め取られ、ミラクルナイトは地面に引きずり出された。蔦の絡む降り口の先には、ツルバナ女が微笑を浮かべて立っている。
「おかえりなさい、奈理子ちゃん。あなた、観覧車からの景色はいかがでしたか?」
「景色より……あなたたちの顔ばっかり目に焼きついてるわよ!」
ミラクルナイトはぎゅっと歯を食いしばる。だが、抵抗すればするほど絡まるウズムシ男の粘り気。むやみに暴れれば、さっきのようにスカートをまくり上げられかねない。
(……どうする、私。セイクリッドウインドたちもいない。逃げ場もない。だけど……まだ、諦めるわけには……!)
と、そこで――ミラクルナイトの瞳に、ひらりと光が宿った。
「ま、待って! ちょっと落ち着いて……ね? そもそも、あなたたちの目的って“私を倒すこと”でしょ? だったら……こんな寄ってたかってじゃ、卑怯だと思わない!?」
ツルバナ女は瞬きした。
「……ふふ。まあ、たしかに……美しいものには、美しい幕引きが似合うわね」
「そうそう! でしょ!? ヒロインと怪人が正々堂々、一対一で戦うのって、なんというか……“絵になる”じゃない?」
「ふむ……なるほど、理には適っているかしら」
ツルバナ女が思案顔をしている間、ミラクルナイトは一気に畳み掛けた。
「私、ほら、ああ見えて“水都の守護神”って言われてるし……そんな私が“怪人軍団にボコボコにされた”なんて映像が流れたら、あなたたちの“評価”にも関わるんじゃないの!? 女子力の問題ってやつ!」
「……ふふ。言うじゃないの」
ツルバナ女はウズムシ男たちを制するように手をかざした。
「いいわ。そこまで言うなら、今日は一つ、あなたの覚悟を見せてもらいましょう。コンニャク男――」
「へぇ〜い! 俺ぇっスかぁ?」
「あなた、単騎で行ってらっしゃい。……あなたの弾力が、本物かどうか――見せてもらうの」
「了解っスぅ〜! いやぁ、嬉しいっスねぇ、なんか青春ドラマみたいじゃないスか? オレ、ああいうの、けっこう好きなんスよぉ〜!」
コンニャク男が、にゅるんと前に出てくる。全身をゼラチン質の光沢で包んだ姿が、陽光を受けてぼんやりと鈍く光っていた。
ミラクルナイトはその前に立ち、深呼吸一つ。
(よし、言いくるめた……少なくとも、今は一対一。ツルバナ女も、私の“絵になる”発言に少し心が揺れてた。今しかない!)
「……コンニャク男、勝負よ!」
「へいへいっ! でもぉ、観覧車を壊したら修理費は払ってくれよぉ〜? あれ、けっこうお高いんスから!」
「言ってる場合かあああ!!」
ミラクルナイトは叫びながら、正面からコンニャク男へと飛びかかった――!
観覧車の降り場で待ち構えていたウズムシ男たちにあっさりと捕まってしまったミラクルナイトは、四方から絡みつく糸蒟蒻状の触手に翻弄されていた。
「うわぁっ、ちょっ、やめてっ、そこはっ…!うぅ〜〜〜っ、なんでこんな…!」
ミラクルナイトのミニスカートがひらひらと揺れ、カメラマンでもないウズムシ男たちが
「やったー!」
「うひょー!」
と妙に陽気に歓声をあげる。
「見て!今日のミラクルショーツはよく見ると白地に薄い水玉模様だ!」
「アイドルオタクにはたまらん柄だぜ!」
「だ、誰がアイドルよぉ〜〜〜!うぅ……!」
身をよじりながら必死に触手を払い、なんとかスカートを引っ張り直そうとするも、次々と伸びてくる粘質の束がミラクルナイトの脚に、腰に、腕に絡みついてくる。
「はぁ、はぁ……なんで、私ばっかり……!」
涙目になりながらも、必死でコンニャク男を睨みつけるミラクルナイト。しかし相手はどこ吹く風でニヤニヤと余裕の笑みを浮かべている。
「フフフ……これが“ぷるるん圧迫拷問”だ。痛くもかゆくもないが、精神がすり減っていく……ぷるるんと!」
「ぐぅ……このままじゃ……!」
そのときだった。
(女子力が高い奈理子さんなら当然知っていると思うけど……コンニャクは冷凍して解凍するとスカスカになるのよ)
菜々美の、あの上から目線な言葉が、唐突に脳裏に蘇った。
「……そっか……!」
目を見開いたミラクルナイトの額に、ひと筋の汗が浮かんだ。コンニャク男の体を冷やせば……あのぷるぷるした弾力は消えるかもしれない!
「凍らせる……でも、私、氷の技なんて持ってない……!」
ミラクルナイトは目を伏せ、唇を噛んだ。水のオーラを操るのが彼女の力。だが、冷やすことはできない。それが限界――そう思ったとき、糸蒟蒻のような長くて粘ついた透明の触手がぶるんと宙を舞い、容赦なく彼女の腕に、脚に絡みついた。
「きゃっ……やめなさいってばぁ……っ!」
ミラクルナイトは身を捩った。スカートの裾が捲られ、またウズムシ男たちが
「うおぉぉー!」
「ナイスコンニャク攻撃ー!」
と奇声を上げる。
(くそっ……もう、ヤケよ!)
「ミラクル・アクアティック・ラプチャァァァァッ!!」
怒声とともに放たれた光。両の手からほとばしる水のオーラは、一直線にコンニャク男を目がけて伸び、そして――
「ふぁあぁ〜……気持ちい〜……♡」
水のオーラに包まれたコンニャク男は、なんと気持ち良さげに座り込み、行水でもしているようにゆらゆらと揺れていた。
「なんでよっ!?なんで効かないのよっ!?こっちは本気なのにぃ!」
「なぁ奈理子? お前、俺に何がしたいんだ? 誘ってんのか? おいで〜水風呂〜♪」
「ふざけないでっ!!」
ミラクルナイトは両腕をぶんと振り上げるようにして、さらに水のオーラの流れを強くした。
「私は水都の守護神……!水も氷も、根っこは同じでしょっ!? 凍れ〜〜〜〜っ!!」
「俺は水風呂好きだぜー♡ ほら見て見て、ゼラチンぷるんぷる〜ん♪」
涼しい顔で水の中に浮かぶコンニャク男。しかし――。
「……あれ?」
ぷるるんぷるるんと揺れていた体の動きが、次第に……鈍くなっていく。
「う……わ、ちょっと……?なんか寒くない? え?え? えっ!?」
水のオーラが、見る見るうちに白く霧がかった冷気を帯び始めた。周囲の空気すらひんやりとしてきた。
「な、なんだよこれ!?お、おいちょっと冷たいって!シャレにならんぞおい!」
ミラクルナイトの額に汗が浮かび、全身から青いオーラが噴き出している。
「ミラクル・アクアティックラプチャー・フルパワーッ!!」
(菜々美さん……ありがとっ!)
彼女の叫びとともに、水のオーラは冷気となってコンニャク男を包みこみ――その身体が、徐々に凍てつき始める。
「……よしっ、これで!」
ミラクルナイトの水のオーラが冷気をまとい、コンニャク男のゼラチンボディはぷるんと最後に一度震えたのち――完全に凍りついた。頭のてっぺんから足の先まで、氷の中に閉じ込められた姿は、まるで不気味なゼリーの彫刻。
「勝った……!」
そう思った矢先。
「……はっ!」
勇ましい声と共に駆け出そうとしたミラクルナイトの足が止まった。
「……次は、解凍……!」
意気揚々と拳を握ったものの、直後――。
「……えっ……火の技……持ってない……っ」
彼女の身体からスーッと力が抜けていく。がくりと膝をつき、ふらふらとその場にしゃがみ込んだ。
「……うそ……じゃあ、意味なかったの……?」
肩を落とし、四つん這いになるミラクルナイト。氷の床に反射した彼女の瞳が、ふと正面――凍りついたコンニャク男の姿を映した。
「……カチンコチン……」
小さく呟く。ピクリと眉が動く。
「そうだ……これ……割れんじゃん……!!」
バッと顔を上げたミラクルナイトの目に、再び戦士の輝きが戻る。よろりと立ち上がり、ぎゅっと右の拳を握った。
「カチンコチンになったんなら、砕けばいいのよ……!力技でいくしかない!」
迷いはなかった。
ミラクルナイトは軽やかに地を蹴り、空へ――!
「見せてあげる、水都の守護神の意地っ!」
澄んだ青空に水色のスカートが翻り、彼女はぐるりと一回転。そして……
「ミラクルキィィィィック!!」
飛翔からの急降下!右足に集まる水色の光が、うねるように伸びていく。
「凍ったコンニャクなんて、粉々に砕いてやるんだからああああああああっ!!」
そのまま、凍りついたコンニャク男に向け、鋭く一直線に落ちていくミラクルナイト――!!
(……が、その時――)
「ミラクルキィィィィックッ!!」
ミラクルナイトの足が凍りついたコンニャク男の胴体に突き刺さった瞬間――。
ぱきぃぃぃんっ!!!
氷の破片が空中に弾け飛び、コンニャク男の身体は見事にクラックを走らせて崩れ落ちた。
「やった……やったわ! 私、やればできるじゃないっ!」
スカートを翻し、地面に着地したミラクルナイトは小さくガッツポーズを取った――その時だった。
「……んぎっ!?」
びゅるんっっ
不意に、足元から生えた薄紅色の蔦がミラクルナイトの足首を絡め取った。気づいた時には遅く、彼女の身体は宙へと引きずり上げられ――。
「きゃあっ!? ちょ、まっ……スカート!やめ―――っ!」
ばっさああっ!!
巻き上がった蔦の勢いで、彼女のスカートが空を舞った。
「ちょっ……なんでぇぇぇえ!!?」
制服の下に穿いていた水玉パンツだけを頼りに、ミラクルナイトはくるくると空中で回転し――**ごすんっ!**と地面に叩きつけられる。
「いったぁぁぁ……な、何事……?」
混乱するミラクルナイトの視線の先に、しなやかな動きで現れたのは――
「お見事でしたわ、ミラクルナイト。あなたの奮闘、しかと見届けました」
ツルバナ女だった。
優雅に足音を響かせ、蔦のドレスをたなびかせながら歩くその姿は、まるで花嫁のように幻想的。だが、その瞳の奥に宿る妖しい光が、不気味さを滲ませている。
「う、うそ……あなた……!」
ミラクルナイトが警戒して身構えると、ツルバナ女はふっと微笑んだ。
「ご安心なさい。私は今回はもう用事は済みましたわ。ふふ……コンニャク男が負けるとは思っていませんでしたけれど」
手を振ると、3体のウズムシ男たちがわらわらと現れ、割れた氷のように倒れたコンニャク男を器用に担ぎ上げる。
「では、ごきげんよう。また、すぐにお会いしましょう」
そう言い残すと、ツルバナ女は静かに踵を返し、ウズムシ男たちと共にその場を去っていった。
風が残り香を運んでいく中、地面に座り込んだミラクルナイトは、ぼう然と空を見上げ――やがて、ぽつりと呟いた。
「……勝ったのに……何この感じ……」
その瞬間だった。
ぱちぱちぱちぱち……!
遠巻きに様子を見ていた水都ファミリーランドのスタッフたちや来園者たちから、大きな拍手が巻き起こった。
「ミラクルナイトだ!やっぱり来てくれた!」
「変なのに絡まれてたけど、最後はちゃんと勝ったわね!」
「スカートを脱がされても気にしないその勇気、かっこよかったぞー!」
「奈理子ちゃーん!!最高ー!!」
ミラクルナイトは思わず顔を赤くしながらも、ゆっくりと立ち上がり、照れ笑いを浮かべて片手を上げた。
「え、えっと……ありがとう、水都ファミリーランドのみんな……!」
水都ファミリーランドに、もう一度平和が戻ったのだった――。
観覧車のそばに設けられた植え込みの陰。わずかにひんやりとした夕風が吹き抜ける。
人気(ひとけ)の少ないその場所で、ミラクルナイトは静かに深呼吸を一つ。
「……ふぅ。なんとかなった、かな」
周囲にはもう、ツルバナ女も、ウズムシ男たちも、そして凍りついたコンニャク男の姿もない。
観客の歓声も遠のき、園内の放送で流れるのは、夜のイルミネーションイベントの予告アナウンス。ほんの少し前までの、あのギリギリの死闘が嘘のようだった。
「……変身、解除」
アイマスクにそっと指を触れると、優しい光が奈理子の身体を包み込んだ。
ふわり
白と水色の戦衣は光となって消え、代わりに現れたのは、水都女学院の夏制服——薄い水色のセーラーブラウスに、膝上丈のプリーツスカート。制服のままの姿に戻った野宮奈理子は、静かに地面にしゃがみ込んだ。
「……んぅ……やっぱり、ちょっと痛かったな……」
先ほど地面に叩きつけられた腰がじんわりと疼く。制服のスカートを気にしながら、そっと背中に手をやって埃を払う。
スカートの下は、生パン派の奈理子らしく、ショーツ以外は何も穿いていない素肌のまま——だからこそ、スカートを剥ぎ取られた時の羞恥心もひとしおだった。
「……見えてないよね、きっと……たぶん……お願いだから見えてないで……っ」
自分の太ももを両手で抱きながら、膝をくっつけて小さく縮こまる奈理子。
頬は熱い。心臓はバクバク。たしかに戦いには勝ったけど、スカートが吹き飛んだあの瞬間を思い返すと、冷や汗が止まらない。
「……あー……やっぱ、菜々美さんの言うことも、たまには役に立つんだな……」
ぼそっと呟きながら、ポケットからスマホを取り出し、地図アプリで帰り道を確認する。
辺りは夕暮れ色から、少しずつ夜の帳が降り始めていた。園内のネオンが灯り、明かりが歩道を照らし始める。
立ち上がった奈理子は、背筋を伸ばして前を見た。
「でも……次はもっと、ちゃんと勝たないと……!」
スカートの裾を整えて、再び一歩を踏み出す。
水都ファミリーランドのゲートを抜け、夜の街へと帰っていく奈理子の背中は、どこか少しだけ、大人びて見えた。
(第198話へつづく)












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