ミラクルナイト☆第205話
放課後の校舎を、奈理子はひとり歩いていた。
水色のセーラー服の襟を、乾いた風がかすかに撫でる。季節は確かに秋なのに、奈理子の胸の奥には、蒸れたような熱と不安が燻っていた。
「奈理子さーん、バス停まで一緒に帰りましょう!」
遠く廊下の先、クラスメートのすみれが手を振っていた。しかし奈理子は、軽く笑みを浮かべて手を振り返すと、
「ごめんね、今日ちょっと急いで行くところがあるから」
と、足早に校舎を抜けていった。うそだった。ただ――一緒にいるのが、少し怖かった。
靴箱でローファーに履き替え、校門を出る。夕陽がオレンジ色に沈んでいく街並みの中、奈理子の白い頬に影が差していった。
「……わたし、今日も誰かに見られてた気がする」
独り言のように呟いて、制服の袖で額の汗を拭った。気のせいか、ふと目が合った通行人の視線が、異様に粘ついているような――そんな感じすらする。
(……まさか、またあの香り……?)
数日前から、風に混ざってかすかに漂ってくるあの香り。花と墨と薬草が混ざったような、鼻の奥に残る感覚。それを感じた瞬間、胸がザワザワして、視界の端に“誰か”が見える気がするのだ。
――違う。幻覚。そう自分に言い聞かせる。
だけど、今日の奈理子の足取りは、明らかに重かった。
誰もいない公園の遊歩道。ブランコが軋む音がやけに耳につく。
「はぁ……」
と一つ息をついて、スマホを開いた。SNSの通知はあるのに、どれも“他人の幸せ”ばかりがタイムラインに並んでいて、奈理子の心に響かなかった。
(私って……誰だっけ)
スマホの黒い画面に映る自分の顔――
ぱっちりした瞳に、つややかな髪。人が言うには「天使のよう」な、白く清楚な少女。
でも、奈理子の中では、その顔と“ミラクルナイト”の顔が、少しずつズレ始めていた。
「こんなに怖がりで、弱くて……ほんとに、誰かの役に立ててるのかな」
――誰もいない公園の風景が、ふっと色を失う。
世界が沈むような錯覚に、奈理子は気づく。
その瞬間、またふわりと――あの香りが鼻をくすぐった。
「っ……!」
一瞬、視界の端に、美青年らしき姿が浮かんだ。
でも、見たはずのその姿は、次の瞬間には街灯の陰に消えていた。
「幻覚……じゃない……」
そう気づいた時には、すでに奈理子の意識はまた、現実と夢の境目を彷徨い始めていた。
スカートの裾が、誰もいない風にそっと撫でられる。
彼女の白い脚に冷たい感覚が這い上がってくる――それは、過去に幾度も味わった“誰かに見られている”恐怖の記憶と結びついていた。
水都公園の遊歩道。
水都の青空は遠く、ここは“白い楽園”。水色のセーラー制服を着た奈理子は、広々とした花畑の中を歩いていた。周囲にはやわらかな陽光が差し、吹き抜ける風は甘く優しい。鳥のさえずりと共に、どこからともなく聞こえる「奈理子ちゃーん」という人々の声。見知らぬはずの市民たちが、愛と歓声で奈理子を迎え入れる。彼女の足元に咲く花々は、奈理子が通るたびに咲き誇るように舞い、まるでこの世界すべてが奈理子のもののようだった。
「こんな世界が…ずっと続けばいいのに……」
そう呟いた奈理子の表情は、ほのかに赤みを帯びた陶酔の色を含んでいた。その心の奥底に、「現実なんてもう戻らなくていい」という小さな声が芽吹きかけていた。
だがその瞬間、花畑の奥に、ひとつの「黒い裂け目」が走る。そこから異形の影が現れる──ヒトデカズラ。赤紫色の肉厚な蔓がうごめき、中央には不気味な笑みを浮かべる星型の仮面。
「あらあら、もうすっかりこの世界に馴染んでるみたいね……」
──本能的に奈理子は後ずさる。しかし、その背後にいたのはもうひとりの影。白無垢の花嫁衣装を着た女、ツルバナ女であった。その瞳は慈愛にも似た歪んだ甘さで満ちている。
「奈理子さん。あなたはもう、戻る必要なんてないのよ? この世界は“あなたが本当に望んでいた世界”なんだから」
「違う……こんなの、私が……」
「じゃあ、なぜ……目を背けないの?」
と、ツルバナ女が囁く。
「なぜ……その頬が紅いのかしら? 本当は……気持ちいいのでしょう?」
奈理子の背筋を、ゾクリとした快感に似た悪寒が走る。周囲の花々が一斉に変容し、赤紫の蔓を持ったヒトデ型の植物に姿を変え、彼女の足を、腰を、指先を優しく縛り始める。あっという間に拘束される奈理子。
ヒトデカズラは、奈理子の白いショーツのクロッチに触れる寸前で、指をふわりと止めた。
「それは、君が守り続けてきた“純白の証”。でもね……君自身がそれを重荷に感じているなら、手放したっていいんだよ」
──それは甘い誘いだった。
白い夢の中に溶けてしまいそうな心地よさ。
だが。
「……やめて……」
震える声が、小さく響いた。
「逃げなきゃ……こんなの、間違ってる……!」
ようやく声を上げ、力を振り絞る奈理子。右手を胸に当てる。
「ミラクル……チェンジ!」
閃光と共に制服が白と水色の戦闘衣へと変わり、ミラクルナイトが現れた──はずだった。しかし、変身直後に待ち構えていたのは、ヒトデカズラの蔓。視界の端から伸びたそれが、ミラクルナイトの両手を後ろに絡め、足を絡ませ、白いブーツの先までぎゅうっと締め上げた。
「だめっ、動けない……! なんで、変身してるのに……?」
「この世界では、あなたの“意志”こそが力。あなたがこの夢から逃れたいと思えなければ、力なんて……無意味なのよ」
ツルバナ女の声が響く。
そして、ヒトデカズラが再び、ミラクルナイトの耳元で囁いた。
「貴女がこの世界を望んでるって、身体はもう気づいている。見ろ……その頬、目、震える唇……全部、欲している顔になっているじゃないか……?」
「うう……ちがう……私は……っ、私、ミラクルナイトは……!」
彼女の言葉が続くことはなかった。空間が白く染まり、ミラクルナイトの視界は「満たされた幸福」の波に呑まれていく。ツルバナ女とヒトデカズラの“二重の精神支配”が、彼女の意志と記憶を優しくも執拗に包み込み、浸透していった。
彼女の身体は変身を保ったまま──だが、その瞳は虚ろで、まるで夢を見る人形のようだった。
その唇から漏れたのは、戦士としての言葉ではなく──
「ここにいても……いいよね……?」
甘く、壊れかけた囁きだった。
巨大な食虫花の花弁が、静かに脈動している。そこに横たわるのは、純白の戦士――ミラクルナイト=奈理子。その表情はあまりに穏やかで、まるで幼い子どものような寝顔だった。ヒトデカズラの身体から伸びた蔓が、花の内側を優しく包み込み、彼女の身体を守るように絡んでいた。
「奈理子の確保、成功ね」
アジトの薄暗い光の中、ツルバナ女が静かに花の中を覗き込む。露のような艶を帯びた唇が、ゆるやかに微笑を形作っていた。
「どんな夢を見ているんだろう。戦うことも、恐れることも、何もない世界かな?」
ヒトデカズラはツルバナ女の横に立ち、星形の仮面をわずかに傾けた。
「ええ。友達に囲まれて、誰からも愛されて……苦しみも迷いもない、幸せな夢をね」
ツルバナ女は小さく頷き、ミラクルナイトの顔をそっと撫でるように視線を滑らせた。
「邪魔が来ないうちに、連れて帰りましょう」
ツルバナ女の命に従い、ヒトデカズラの蔓が食虫花を抱え上げるように持ち上げた。眠り続けるミラクルナイトをそのままに、ふたりは闇の中へと姿を消していった。
そのころ、水都神社の境内には緊張した空気が流れていた。巫女服のまま、凜が携帯を何度も見つめていた。
「奈理子と連絡が取れないのよ。通学路も見て回ったけど、痕跡すらないの」
凜の言葉に、隣に立つ寧々が腕を組む。
「最近、学校帰りを狙われてますからね……でも、最近の敵はちょっと性質が違う気がします」
「そう。奈理子が襲われるのは“いつものこと”だけど、ここまで痕跡が無いのは不自然よ。まるで、存在ごと消されたみたいな……」
ふたりの沈黙が夜の神社に染み込んでいく。
「でも、ファンが騒いでないんですよね。奈理子さんって、何かあるとすぐSNSに写真が出回るし、あのファンクラブも動くはず」
「ってことは……人知れず拐われた可能性が高いってことね」
寧々の口調が鋭さを帯び、凜の目が据わる。
「こうなったら、今までの敵の行動パターンを洗い出すしかない。……そうね、奈理子が狙われた時の共通点を探せば」
「アジトに繋がる糸口が見えるかもしれません」
「徹夜覚悟ね」
と凜が苦笑する。
「そうですね。今夜は凜さんの部屋に泊まることにしてください。凜さんが電話してくれると私の親も安心します」
月光の下、ふたりの戦士は決意を新たにした。やがて、過去の敵の出現場所を時系列で地図に落としていくうちに、ある“特定の区域”――水都旧市街に位置する廃業した結婚式場周辺で、頻繁に不可解なエネルギー反応があったことを突き止める。
「ここ……まさか」
「うん。ツルバナ女の……匂いがする」
「行ってみましょう、凜さん」
「もちろん。奈理子を助けるわよ」
ふたりはその夜、静かに神社を抜けて出撃の支度を整えた――ミラクルナイトを取り戻すために。彼女たちの胸には、迷いなき使命の灯が、今も確かに燃えていた。
ツルバナ女のアジト――かつては華やかな宴が行われていたであろう廃れた結婚式場の地下バンケットホールは、今では一面に植物が絡まり、静謐かつ異様な空間へと変貌していた。天井から垂れ下がるツル、床を這う根、そして中心に聳えるのは――巨大な食虫花。
その中に、白い天使が囚われていた。
ミラクルナイト。純白のコスチュームは、今や酸性の消化液によってその大半が溶かされ、かろうじて残るのは白いブラとショーツだけ。柔らかな肢体が半透明の花弁の奥に浮かび、寝息を立てている。
「ふふ……気持ちよさそうね。夢の中で、今ごろ誰に可愛がってもらってるのかしら?」
ツルバナ女が艶やかに微笑みながら、花の縁に身をかがめる。光を反射する艶やかな蔦が、彼女の体にまとわりつき、まるで妖艶な花嫁のように揺れていた。
その隣で、ヒトデカズラがにやけた声を漏らす。
「今の奈理子はな、過去に最も恐れ、最も屈辱を受けた“宿敵”たちと、順に再会してるのさ。まずはアマチャヅル男。次にモチノキ男。そして、今は――ウデムシ男。」
「まあ。ウデムシ男とはずいぶん仲良しになったのねぇ」
ツルバナ女は微笑むが、その目には少しの冷笑が浮かんでいる。
「奈理子がどれだけ足掻こうと、夢の中の彼らには逆らえない。彼女の潜在意識が呼び出した、愛しき“支配者”たちだからね」
「……その話、九頭先生が聞いたら嫉妬して怒りそうね。“俺よりウデムシ男に堕とされるとは…”なんて」
くすくすと笑い合うふたりの背後――突如、空気を裂くように扉が叩きつけられた。
「大変です!!」
半ば転がり込むように現れたのは、ウズムシ男。
「どうしたの?」
ツルバナ女が眉をひそめる。
「外に、セイクリッドウインドが現れました!」
「……風間凜?!」
立ち上がったツルバナ女の裾がひるがえる。
「どうしてここが……まさか、追跡されてた?」
「ドリームキャンディもいます!」
とウデムシ男が焦りをにじませる。
「ふたりとも揃ってるのね。なら……!」
ツルバナ女はすぐに判断を下した。鋭く声を放つ。
「私が外に出て、あのふたりを抑えるわ。ヒトデカズラ、奈理子は任せたわよ」
「任された。夢の中で、彼女をもっともっと深く……“可愛がって”やるさ」
ヒトデカズラの星形の瞳が、妖しく光る。
「お前たち、ついて来なさい!」
ツルバナ女は配下のウズムシ男たちを引き連れ、重たい鉄扉の向こうへと姿を消していった。
静寂が戻ったアジトに、再び花の脈動だけが響き始める。
ヒトデカズラは花にそっと手を置いた。ミラクルナイトの白い下着越しに、かすかに花弁が呼吸するように上下する。
「さあ……奈理子。次は、“本当の愛”を教えてあげる。君が本当に望んでいるものを、ね……」
花の中の奈理子は、まだ目を覚まさない。
白い夢に、深く堕ちていく。
地上へと続く結婚式場の外階段。
くすんだ曇り空の下、ツルバナ女の長い蔦がふわりと風に揺れた。
「やれやれ。まさか“ナメコ姫”が、こんな泥臭い現場までいらっしゃるとはね」
皮肉たっぷりにツルバナ女が笑うと、背後のウズムシ男たちがざわついた。
「そうだ、風間凜は社長のセフレだったんだ!」
「ヌルヌルの肉壺にするためにナメコの能力を与えられた“ローションいらずのナメコ姫”……俺もヤリたい!」
「うるさい」
セイクリッドウインドの声は、風のように静かで鋭かった。
かつてアイドルステージで舞っていたその足は、今や戦場の大地を疾走し、ベッドを濡らしたその体は、神域の巫女として聖なる風を纏っている。
そして――
「風よ、砕け!」
突風と共に、**鉄扇〈ガストファング〉**が閃く!
一振り、風を切る。
「ぎゃああああっ!」
「うわっ!?脚がっ……!」
数匹のウズムシ男が、強烈な風圧に吹き飛ばされ、式場の白いフェンスをバラバラにぶち破って空へ舞った。
「くぅぅ〜〜っ!やっぱ“ナメコ姫”は格が違うぜぇぇ!!」
「一度でいいから、踏まれてみたかった……!」
「そんなの、おれもっス!!」
倒れて泡を吹きながらも、どこか幸せそうな表情を浮かべる下っ端ウズムシ男たち。もはや完全にファンのそれである。
「調子に乗るなよ、裏切り者がっ!!」
別の個体が背後から襲いかかるが――
「風陣、反転。」
セイクリッドウインドがくるりと回転すると、舞い散る白い紙片が空中で渦を巻き、鉄扇に吸い込まれていく。
次の瞬間――爆ぜた!
「ぎょえええぇぇぇっっ!!」
襲いかかってきたウズムシ男はそのまま天高く吹き飛ばされ、電柱に突き刺さってピクピクと痙攣するだけの生物になった。
「凜さんだけじゃありませんっ!」
キャンディチェーンを腰に巻き、ドリームキャンディが地面を蹴って駆け込んでくる。
「奈理子さん、絶対助けますからねっ!キャンディシャワ――!」
ドリームキャンディから放たれた虹色の光が、次々と敵に降り注ぐ。光の粒子に包まれながら、悲鳴と粉塵が舞った。
「ひぃいいいい!中学生とは思えねぇぇっ!」
「こいつもヤバいっすよ、ツルバナ女様ぁぁ!!」
完全にパニック状態のウズムシ男軍団。
だが、ツルバナ女の声がそれを鋭く貫いた。
「落ち着きなさい、あの巫女は精神を抉られるのが一番効く女よ!」
その声に呼応するように、数体のウデムシ男たちが「精神毒霧」を口から吹きかけようとした――が。
「……誰が、昔の私だって?」
「風斬――“白浄祓ノ陣”」
地面に凜が鉄扇を叩きつけた瞬間、周囲の空気が爆ぜ、空間そのものが“浄化の白”に包まれる。毒霧すら吹き飛び、蔦の動きも鈍くなる。
ウズムシ男たちはその白き風にさらされながら、崩れ落ちるように倒れていった。
「……うっふふ。少しはやるようになったじゃない、ナメコ姫」
ツルバナ女が一歩、セイクリッドウインドの方へと歩み出る。
その視線の裏には、過去を知る者としての底意地の悪さ、女としての対抗心、そして、かつて自分よりも愛された女への嫉妬が潜んでいた。
「貴女のような女に、“巫女”なんて肩書きは似合わないと思ってたけど……今日の風、少しは本物みたいね」
「言いたいことはそれだけ?」
凜の眼差しは、冷たい。だが、かつてアイドルだった頃のきらめきが、その奥にかすかに灯っていた。
「この風はね――“奈理子を想う風”よ」
「……っ!」
「だから、私は立つ。そして、倒す。次に吹く風は、貴女の退場の合図よ、ツルバナ女」
その宣言と共に、再び風が鳴る。
巫女と中学生――2人の女戦士が、仲間のために、まっすぐに、清らかに戦場を駆け抜ける。
そして今、アジトの中では――
ミラクルナイト=奈理子が、静かに目を覚ましかけていた。
薄暗いツルバナ女のアジト。その外縁に広がる花蔓の迷宮を切り裂いて、二人の戦士が駆ける。
「キャンディ、行くよ!」
「ええ、凜さん!」
凜と寧々。かつて互いに他人だったふたりは、いまや深く信頼し合う戦士として並び立っていた。
「来たわね……裏切り者のお姫様と、そのお守役」
ツルバナ女がしなやかに立ちはだかる。艶やかな花嫁風の衣装に身を包み、全身を蔦が這うように彩る。背後には、うごめく蔓の大群。そして、無数のウズムシ男たちが蠢いていた。
「ナメコ姫、またその姿を拝めるとは……」
「ナメコ姫なんて名前、とうに捨てたわ」
凜――セイクリッドウインドの声が冷たく響く。彼女は一歩踏み出し、手にした鉄扇《ガストファング》を広げた。
「その蔦、全部吹き飛ばしてあげる」
瞬間、鉄扇から迸るかすかな風が、鋭利な刃となって空を裂いた。巻き上がる風刃が、ツルバナ女の蔓を次々に斬り裂いていく。
「……ちぃっ」
ツルバナ女が顔を歪めた。その刹那、ドリームキャンディが間髪入れず突っ込む。キャンディチェーンがムチのように唸り、蔓を叩き払った。
「ツルバナ女! 奈理子さんを返して!」
「返す? 何を言ってるのかしら。奈理子ちゃんは今、夢の中で幸せを味わっているのよ?」
ツルバナ女は指を鳴らした。周囲の蔓が一斉に伸び上がり、触手のように襲いかかる。だがセイクリッドウインドの風刃はそのたびに鋭く閃き、絡みつこうとする蔓をばらばらに切り裂いた。
「そんな攻撃、もう通じないわ」
「……ならば、こういうのはどう?」
ツルバナ女の声が低く艶めく。次の瞬間、彼女の身体から赤紫の毒花が咲き乱れた。それはただの花ではない。空気中に微細な香気を漂わせる、幻覚性花粉を含んだ《媚蔓花(びまんか)》――ツルバナ女の奥の手だった。
「これが、私の“極花・媚蔓夢牢”よ」
花粉が空中に舞い散り、瞬く間に戦場を包み込む。甘く、ねっとりとした香りが二人の鼻腔を刺激した。
「くっ……頭が……ぼんやりする……」
「香りが……からだの感覚が……!」
セイクリッドウインドの動きが鈍る。ドリームキャンディの視線もふらついた。周囲の空間が、波のように揺れ始める。目の前のツルバナ女が何人にも見えた。
「この香りは精神に作用する。正気を保つのは、強い想いだけよ。あなたたちに、そんなものがあるかしら?」
ツルバナ女は艶やかに笑う。蔓がふたたび動き出し、幻惑されたセイクリッドウインドの鉄扇を絡めとった。
「凜さん!」
「だめ……動けない……風が、吹かない……」
「やめてっ!」
ドリームキャンディが飛びかかるが、彼女の足もまた蔓に絡めとられる。苦しそうに呻くふたり。
「さあ、次は夢の中で……ふふふ。さようなら、ナメコ姫」
その瞬間、空間の奥から一筋の光が――?
意識を手放しかけ、頬を紅潮させながらふらふらと立ち尽くしていたドリームキャンディ――寧々の指が、スカートのポケットに触れた。
「……っ、こんなときに……持っててよかった……」
彼女は震える手で、小さな銀紙に包まれた特製・超激辛薄荷飴を取り出すと、無言で自分の口に放り込んだ。
「っ……!っっっがあああああああああああ!!??」
ビリビリと脳天に突き抜ける強烈な冷刺激が、彼女の意識を叩き戻す。目がぎらりと光り、全身がシャキッと覚醒する。
「っはぁ、っはぁ……効いた……!! これ、ヤバ……」
続けて、ぐったりと項垂れるセイクリッドウインド――凜に駆け寄る。
「風間さん、口開けて! これ入れれば……っ」
「……へっ? ちょ、なにを……ぅえっ!?!?!?!?」
言うが早いか、ドリームキャンディは凜の口に薄荷飴を強引にねじ込む。凜の喉奥で、極限まで濃縮された薄荷エキスが炸裂した。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!?????」
凜の目が限界まで見開かれ、顔を真っ赤にして涙をぶわぁっと流す。
「ぅっ、ぐぅっ、な、なななんなのよこれ!! あ゛っつ!さ゛むっ!いてぇぇぇぇぇぇ!! ふざけんなキャンディぃぃぃぃ!!」
「落ち着いてください!効くんですよコレ!」
「効くとかの問題じゃないでしょうがああああああ!!!?」
しかし――怒鳴りながらも、次第に凜の眉間の皺がほどけていく。
「……あれ?なんか……頭が……すっきり……する……」
「ですよねっ!」
ふたりの目に再び戦士の光が宿る。
「くっ……何よあの飴……!!」
幻惑の花嫁衣裳姿で指揮していたツルバナ女が、忌々しげに舌打ちする。
「《媚蔓花》の花粉が効かない!? ……まさか、そんな即効性の解毒なんて……っ!」
「解毒っていうか……精神が一周回って吹っ飛んだ感じです」
ドリームキャンディが笑みを浮かべてキャンディチェーンを構える。
「凜さん、いきましょう!空気、お願いしますっ!」
「……よっしゃああああああ!!! こっからは私の風のターンよッ!!」
ガストファングが掲げられ、凜が叫ぶ。
「――神風破陣ッ!!」
凜の放つ風の刃が、室内を竜巻のように駆け巡る! 花粉が舞い散るどころか、空気ごと浄化されていく。空気が一変し、異臭も幻惑もすべて吹き飛ばされた。
「バ、バカな……! 私の《媚蔓花》が……!!」
「バカじゃないわよ。あんたの花なんか、風で全部吹っ飛ばしてやったんだから!」
その瞬間――
「逃がしませんっ!」
ドリームキャンディのキャンディチェーンが唸りを上げて伸びる。光の鎖がツルバナ女の足元を絡め取らんと迫る。
「っ、ちっ……ここは一度、引くしかないか……!!」
幻のドレスが風にちぎれ、ツルバナ女は咄嗟に背後の蔓を操って天井を破ると、アジトの奥へと退却した。
「くっ……でも……覚えてなさいよ……!」
その姿が闇に消えていくのを、二人は見送った。
「やった……! 何とか勝てた……!」
「飴の力って、すごいのね……」
そう呟いたセイクリッドウインドの口からは、いまだ湯気のように白い息が漏れていた。
「ヒトデカズラ、撤収よ!」
花弁を引き裂きながらアジト奥へと戻ってきたツルバナ女の声が、空気を震わせる。だが彼女の目に映ったのは、妙な呻き声を漏らし、食虫花を抱えて膝をつくヒトデカズラの姿だった。
「……どうしたの!? まさか、セイクリッドウインドたちがもうここまで――」
ツルバナ女が不安を露わにし、ヒトデカズラへと歩み寄ろうとした――そのときだった。
「ぶちゅぅぅっっ!!」
ねっとりと粘つく音と共に、食虫花が大きく開口し、その中からずるりと吐き出されたのは――
白いブラとショーツだけを身にまとった、うっすら汗を浮かべたミラクルナイトだった。
「……なっ……!!」
思わず息を呑むツルバナ女。
「ミラクルナイト……!? まさか……夢から……覚めたの!?」
「っふぅ……」
床に膝をつきながら、濡れた睫毛を伏せていたミラクルナイトが、ゆっくりと顔を上げる。頬にはまだ赤みが残り、唇は震えていたが――その瞳には確かな光が戻っていた。
「おのれ……! ミラクルナイト……っ、許さんぞ!!」
ヒトデカズラがギリギリと食虫花を握りしめ、怒りに震える。仮面の奥から、あざけるような声が響く。
「私を……起こしに来てくれて、ありがとう」
ミラクルナイトは、そっと立ち上がる。
「あなたが……夢の中に現れてくれなかったら、私は――永遠に、目を覚まさなかったかもしれない……」
夢の中――ウデムシ男の執拗な責めに、感情も思考も麻痺し始めていたミラクルナイト。そこへ入り込んできたのが、ヒトデカズラだった。
『ふふふ……ずいぶん楽しんでるじゃないか。お前のこういう顔が見たかったんだよ』
そう言ってヒトデカズラが興奮気味に干渉してきたそのとき――ミラクルナイトの心の奥で、なにかがぶちっと切れた。
――あぁ、ここが「現実」じゃないなら、抵抗していいんだ。
夢の中で、ヒトデカズラに反撃を加えたミラクルナイト。その精神的ショックが連動して、ヒトデカズラの実体にも影響を及ぼし、結果、彼はミラクルナイトを自ら吐き出す羽目になったのだった。
「……私の、うっかりだったか……」
ヒトデカズラが舌打ちしながら立ち上がる。背後で花弁が怒りのようにバサバサと揺れる。
そのとき、アジトの天井が――風の一撃で吹き飛ばされた。
「……奈理子!!」
「おっそいよぉ……!」
飛び込んできたのは、セイクリッドウインドとドリームキャンディ!
「またコスチューム脱がされてるじゃない、奈理子……」
セイクリッドウインドが腰に手を当て、呆れたように言う。
「脱がされたんじゃないの!! 溶かされたのっ!!!」
必死に反論するミラクルナイト、腕まで下がったブラの紐を直しながら顔を真っ赤にして立ち上がる。
「どっちも一緒です! まだ戦いは終わってませんよ!!」
ドリームキャンディがキャンディチェーンを構え、戦闘態勢に入る。
「くっ……っ!」
ツルバナ女が後ずさる。予想外の逆転劇。そして、3人のヒロインが並び立つ瞬間が、いま訪れた。
可憐な白。鋭き風。輝く飴色。
アジトの中心、宙に舞い落ちるヒトデの粘液と花粉の中で、3人の姿がくっきりと浮かび上がる――。
「さあ、反撃よ」
セイクリッドウインドが鋭く呟いた。
「覚悟してもらうわよ、ツルバナ女。今度は、私たちが“夢”を見せてあげる番!」
「行くわよ、ヒトデカズラ……一気に潰すわ!」
「望むところだ。ターゲットは――もちろん奈理子だ。脆くて、美しい。」
ヒトデカズラの目がミラクルナイトを捉えると同時に、四方に伸びる花弁状の蔦がしなやかに舞い、背後から伸びるツルバナ女の毒蔦と絡み合って交差する。
「来たっ……! 奈理子、下がって!」
「うんっ!」
セイクリッドウインドが前に出て風の盾を張ろうとするが――その一瞬の隙を突いて、ヒトデカズラの腕が花開くように五裂し、ヒトデ状の切断盤が回転しながら飛び出した!
「きゃあっ!」
ミラクルナイトが身をひねって避けるが、白いブラのストラップにかすったヒトデブレードが、**パチン!**と音を立てて紐を切り裂いた。
「ちょ、ちょっとぉ! やめてよぉ……!」
「ふふふ……狙いどおり。君が一番、反応が可愛いんだよ……」
舌なめずりするヒトデカズラ。その隙に、ツルバナ女の催淫蔦が床下から這い出て、ミラクルナイトの足首を捕らえた!
「きゃ……く、来ないで……!」
蔦が螺旋を描いて絡みつき、ミラクルナイトの**太腿から内腿、そして腰元へと滑るように絡み上がってくる。すぐにセイクリッドウインドが鉄扇を振るって切断するが、その瞬間、空中からヒトデ状の吸着弾が降ってきた!
「今度は何っ!?」
「これが、ヒトデの真髄……多方向感圧吸着胞子さ!」
空中を舞うヒトデ型の吸盤がぱちゅん、ぱちゅん!と音を立ててミラクルナイトの腕、肩、太腿に吸い付いた。吸盤の裏には細い針が仕込まれており、神経系に微弱な感覚干渉信号を送ってくる。
「ひゃ……あ、あぁっ……力が……」
「奈理子っ!」
ミラクルナイトの動きが一瞬止まり、ふらついたその身体に、ツルバナ女の蔦が突き刺さるように叩き込まれる!
「いったぁぁっ!!」
地面に叩き伏せられ、ストラップを切られたブラ垂れ下がり、小さい胸が露わになるミラクルナイト。
「ほんとに君は……最高の標的だね」
ヒトデカズラがにやにやと笑いながら歩み寄る。
「その無様な姿……夢でも現でも、ボクの好物だよ」
「やめろっ……!」
怒声と共に、ガストファングの風刃が一直線に走った! セイクリッドウインドが斬り込んできたのだ。
「ミラクルナイトにばかり構ってんじゃないわよ、下等な花の化け物!」
「くっ……また風女か!」
ヒトデカズラが身を翻すも、その背後から、ドリームキャンディのキャンディチェーンが唸りを上げて飛ぶ!
「ヒトデの星は、砕けても飴玉には勝てないよ!」
ツルバナ女とヒトデカズラは、息の合った連携でかわしながらも、蔓と吸盤と催淫花粉による波状攻撃を再開する。
「3人いても、この程度かしら?」
「いいえ……私たちはまだ、本気出してないだけ……!」
ふらつきながらも、ブラの片端を押さえながら立ち上がるミラクルナイト。白く滑らかな脚が震えている。だが――
「私は、もう負けない。みんながいるから、私は……戦える!」
「……奈理子」
「その通りですっ!」
セイクリッドウインドとドリームキャンディが左右に展開し、再び隊列を組む。
「次は私たちのターンだよ……!」
「行くわよ、ミラクルナイト!」
「――うんっ!!」
戦局は反転の兆しを見せ始める。
「来るわよ――毒蔓、全開ッ!」
ツルバナ女の両腕から艶やかな紅の毒蔓がうねりを上げて走る。床を這い、天井を跳ね、まるで生き物のように三人を狙って蠢いた。
「風は、すべての汚れを切り裂く――ガストファング・裂空刃!」
セイクリッドウインドの鉄扇が空を斬り裂き、風の刃が渦となって周囲の蔓を**シュパシュパッ!**と切り裂く。散った蔓が床に雨のように落ちる中、次に飛来するのは――
「ヒトデ型吸着弾、発射――!」
ヒトデカズラの腕から放たれた星形の吸着弾が、螺旋を描いてミラクルナイトに向かって迫る!
「負けない……わたしだって!」
ミラクルナイトの手のひらに淡く輝く水色の光弾が宿り、連続して放たれる――
「えいっ!」
放たれた水色の光弾が吸着弾の一部を弾き落とすが、ヒトデ型は変則的な軌道で滑り込み、ミラクルナイトの左胸・太腿・お腹へと次々に吸着!
「きゃ……あっ、ああぁぁ……!」
吸盤の裏から微細な針が神経を刺激し、ぬるりとした感覚干渉信号が全身に伝わる。特に左胸に貼り付いた吸着団は、奈理子の乳首へ微弱な電気のような波が走り、力が抜けていく。
「また君は、夢の中に沈むんだよ……」
ヒトデカズラがにじり寄る。
「あうぅぅ……」
ミラクルナイトの足元がふらつき、ばたんっと床に倒れ込む。その白い太腿、ずれたブラからのぞく柔肌、すべてが獲物としての可憐さを際立たせていた。
「やめなさいっ!!」
その瞬間――風を裂く衝撃音!
「キャンディチェーン――ロリポップ・ハンマーッ!」
ドリームキャンディのキャンディチェーンが唸りを上げて伸び、瞬時に巨大なロリポップ型ハンマーへと変形!
「甘さと破壊を込めてッ!」
ドゴォッ!
振り下ろされたロリポップハンマーがヒトデカズラの胸部を直撃! 仰け反るヒトデカズラ!
「とどめっ! キャンディ・スター・バースト!!」
ドリームキャンディがハンマーの先端から発射する光の星屑――無数のカラフルなキャンディ状のエネルギー弾がヒトデカズラを包み込み、
「うわああああああああっっ!!」
閃光の中で、ヒトデカズラの身体が弾けるように砕け散る――!
残されたのは、焦げた蔦と、霧散する毒の香り。
「ヒトデカズラが……やられた!?」
ツルバナ女は目を見開き、舌打ちを一つ。
「こんなところで……退くしかないわね……っ!」
ツルバナ女は足元から新たに伸ばした蔦で自らを包み、煙のように姿を消す――
「ふぅ……」
ドリームキャンディがハンマーを下ろし、息を整える。セイクリッドウインドは地に伏せるミラクルナイトに駆け寄った。
「奈理子! 大丈夫っ?」
「……うん、ありがとう……寧々ちゃん」
「ほんと、また下着姿になって……まったく、心配するこっちの身にもなってよね」
「だ、だから……溶けたのっ! 勝手に……!」
3人のヒロインは再び集い、残滓を残したツルバナ女のアジトに背を向けて立ち去る。
だがまだ――“二重精神支配”の影は、完全には晴れていない。
穢川研究所・地下作戦室。
重苦しい空気が流れる地下の会議室。照明は白く冷たく、鉄の机の上にはツルバナ女の戦闘記録がホログラムで投影されていた。柚月は研究所の制服姿で、肩を落として立ち尽くしていた。
「……申し訳、ありません……」
小さくうつむく柚月の声は、いつになく弱々しい。ヒトデカズラまで失った今、彼女の中の誇りと自信は大きく揺らいでいた。
机の向こう側、悠然と背もたれに寄りかかっている男――九頭は、目を細めて柚月の表情を見つめていた。
「コウイカクロモジに続いて、ヒトデカズラまでも……。連敗ですねぇ、柚月くん」
その皮肉めいた言葉に、柚月は唇を噛む。だが、怒る元気もなかった。
「奈理子……あの子は、思ったより……壊れない……。精神的に追い詰めたはずなのに……。彼女の中にある、あの――『光』が……まだ残っていて……」
「ふふふ……奈理子くんは、そう簡単には崩れ落ちない女の子ですよ。だからこそ、私はあの子が大好きなのです」
九頭は指を組んで、恍惚とした目で天井を見上げた。
「弱く、か細く、怯えがちで、すぐに泣きそうになるくせに……それでも立ち上がってしまう。ミラクルナイトの“弱さ”は、もはや武器なのです。可愛らしさを伴う“正義の女の子”。あれは……完成されたアイドルですよ」
柚月はぎゅっと拳を握った。
「でも……彼女には、守る者たちがいる。セイクリッドウインド……ドリームキャンディ……。あの二人は、強いです。奈理子だけを狙っても……いつも間に合ってしまう……!」
「ええ、だからこそ、今回は違う手を打ちます」
九頭が片手を上げると、絹絵が控えていた隣の端末に何かを入力し、モニターに映像が浮かんだ。
それは、黒光りする巨大なシルエット。二対の顎が凶悪に開閉し、背には翅を震わせる昆虫型の怪人――その名は「クワガタバチ」。
「ヒラタクワガタの外殻と、スズメバチの毒針。さらに、どちらにも共通する獰猛な性格。現状、ガストファングもキャンディチェーンも通用しないと思って構わない」
柚月の眉がぴくりと動く。
「……クワガタバチは……まだ、調整中のはずでは? 暴走の危険が……」
その言葉を遮るように、絹絵が一歩進み出る。
「所長……あの個体は、まだ制御プロトコルが不安定で……! 先日もテストルームで制御不能に――」
「絹絵くん、黙っていてくれるかね」
九頭の声が低くなった。室温が下がったような錯覚に、絹絵は言葉を失う。
「クワガタバチは、セイクリッドウインドとドリームキャンディへの“贈り物”だ。奈理子くんには――柚月くん、きみが専念してくれたまえ。次こそ、彼女を“壊す”んだ。あの白い涙に濡れた瞳を……私はこの目で見届けたいのだから」
「…………」
柚月は黙って、しかしゆっくりと頷いた。眼差しにはまだ迷いが残っていたが、それでも「ツルバナ女」としての任務からは逃れられなかった。
「了解しました……。次は、必ず奈理子を……屈服させてみせます」
九頭はゆっくりと笑った。
「楽しみにしているよ。柚月くん……“君の愛し方”にも、期待している」
(第206話へつづく)
(あとがき)












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