DUGA

ミラクルナイト☆第207話

鄙野の冬空はどこか重たく、風も冷たい。枯れた草がざわりと揺れる音が、沈黙の中でやけに耳につく。

鄙辺神社──かつては町の人々に親しまれていた小さな神社。だが、今では参拝客の姿も無く、鳥居は苔むし、鈴の紐は風に吹かれてかすかに揺れるばかりだった。

「寂れた神社だね」

風間凜は、竹箒で落ち葉を掃く手を止め、境内を見渡した。視線の先には、落ちかけた注連縄、そして誰も居ない社殿。彼女の背筋をひやりと寒気が撫でた。

「少し前までは、普通の神社だった。だけど──鄙野の守護神は、鄙野を守れなかった」

傍らで佇む大谷は静かに言った。彼は水都神社の若き神職であり、今回の鄙野訪問も正式な視察の一環だった。

「守護神? あ、寧々から前に聞いたことがある。鄙野にもミラクルナイトみたいなのがいたんだね」

凜が首をかしげると、大谷はうなずいた。

「ミルキーナイト。鄙野の守護神だ。奈理子より一つ年下だった」

「へぇ〜……じゃあ今は中学3年生だね。牛乳が好きなの?」

ふざけて言ってから、凜は自分でくすりと笑った。

「さあ?」

大谷も肩をすくめて答える。

「ミラクルナイトとか、ミルキーナイトとかって、名前は誰が決めるの?」

興味津々の表情で凜が尋ねた。

「初めて変身したとき、自然に彼女たちの口から出たんじゃないかな?」

「……けっこう適当なんだね」

凜は笑いながらも、すぐに真剣な表情を取り戻す。

「で、そのミルキーナイトは、どうなったの?」

「分からない。彼女は一人で魔物と戦い続けていたからな」

「一人で……。ミルキーナイトには私や寧々みたいな人、いなかったんだ……」

「いや、いたはずだ。でも、彼女が完全に覚醒する前に──ミルキーナイトは敗北し、鄙野は魔界に制圧されてしまった」

「魔界に制圧……?」

凜は眉をひそめ、周囲の穏やかな町並みを見渡した。

「普通の田舎町にしか見えないけど……」

「町には“それ”を守護する者がいる。その者を倒せば、魔物に対抗できる者はいない。だから魔物たちにとっては、すでに支配下にあるのと同じさ」

「でもさ、イチゴ女に一撃で倒された魔物がいたじゃん。あれ、魔物の中でも最強クラスだったんでしょ?」

「水都の怪人たちは、魔界にとってはイレギュラーな存在なんだろうな」

少し沈黙が落ちた後、凜は小さく口を開いた。

「……それよりさ。セイクリッドウインドの名前はどうやって決まったの?」

「凜が初めて変身した姿を見て、俺が“こんな感じかな”って思って。寧々のときはキャンディがいっぱいついてたから“ドリームキャンディ”。あのとき寧々はまだ小学生だったから、簡単な単語にしたんだ」

「やっぱり適当なんじゃん」

呆れたように笑う凜だったが──すぐにぽつりと。

「でも、セイクリッドウインドの名前、嫌いじゃないよ」

そして、ぱっと笑顔を浮かべた凜は大谷の腕を引いた。

「さ、温泉行こっ。鄙比田温泉の牛乳風呂、楽しみだ〜!」

──その様子を、道沿いの脇道からじっと見つめていた影がひとつ。

「……あっ! あれは風間凜じゃないの! 男と二人で、デート!? これはもう、多実のお姉さんに報告するしかないでしょっ♪」

鄙野の町をぶらぶらと歩いていた穢川研究所の派遣監視員・御祖紗理奈は、すぐさまスマートフォンを取り出し、画面をタップした。

『着信中:一ノ木多実』

「もしもし一ノ木さん? 聞いてくださいよ〜、風間凜が……!」

──鄙野の霧のような支配の下に、また一つ小さな火種が転がった。


穢川研究所・13階、役員フロアのラウンジ。

午後の柔らかな陽光が、黒曜石調の窓から射し込んでいた。最新型のマッサージチェアに沈み込むようにして座っていたのは、社長秘書・一ノ木多実。薄く目を閉じ、優雅なうたた寝の最中だった。

だが──

「♪〜テッシー、テッシー、だ〜い好き〜」

可愛らしい、しかし非常に耳につく着信音が、静寂を破った。

「……御祖さん?」

多実は眉をひそめ、スマホを掴み取った。御祖紗理奈からの着信。脳裏をよぎるのは、また水都への侵攻に関する報告か、あるいは──

「もしもし一ノ木さん?聞いてくださいよ〜〜、あの風間凜がですね〜〜♪」

耳元に響いたのは、予想とは真逆の、底抜けに明るい声だった。

「……風間凜が、男と二人で……デート?」

さきほどまでのまどろみは一瞬で吹き飛び、多実の表情が曇った。目元が鋭くなる。

「腕組んで歩いてましたよ〜〜。あの様子じゃ、このあと温泉に行って〜、家族湯を借り切って〜〜、一つの湯船でお肌とお肌の触れ合いパターンですよ〜♡」

異様にテンションの高い紗理奈の報告が、ラウンジに虚しく響く。

「社長にもちゃんと伝えてくださいよぉ? 私も鄙野でちゃんとお仕事してるってアピールしたいんですからぁ!」

明らかに、田舎生活で暇を持て余している様子の紗理奈。多実は、額を押さえて嘆息した。

「……そんなこと、報告できるわけないでしょ!」

叫ぶように言った多実。その声には焦りと苛立ちがにじんでいた。
なぜなら──

風間凜は、社長・勅使河原の「愛人」だったからである。
しかも、つい1年程前までは──「現役」だった。

「そんなくだらないことより、負傷したツルバナ女がそっちに向かってるから。ちゃんとケアしてあげなさい!」

一方的に電話を切った多実は、スマホをテーブルに叩きつけるように置いた。

しかし──

「……なるほど。風間凜が鄙野にいるということは、今、水都には奈理子とドリームキャンディしかいない、というわけだね」

背後から、くぐもった低い声が響いた。
声の主は、研究所幹部・九頭だった。白衣をはためかせながら、絹絵と共に休憩スペースに入ってきた。

「……九頭先生、聞いていたのですか……?」

目を見開く多実。

「す、すいません! 大きな声が聞こえて……!」

頭を下げる絹絵の姿に、多実は呆然とする。

「……御祖くんの情報、ムダにしてはいけない。これは好機だ」

九頭はまったく悪びれることなく、手帳を開きながら続ける。

「絹絵くん、ウズムシ男──一個小隊、出撃準備」

「は、はい!」

瞬時に緊張感を帯びる絹絵。
一ノ木多実はこめかみを押さえ、深いため息をついた。

──
一方その頃、鄙野・鄙辺商店街。

通りの小道で電話を終えた御祖紗理奈は、不満げにスマホを見下ろしていた。

「まったく、もう〜。多実のお姉さんってば、真面目なんだから……」

ぷぅっと頬を膨らませる。

「ツルバナ女って、あのお高く止まった柚月って人でしょ? 面倒だなぁ……」

毒づきながらも、気になる話題を一つ呟く。

「でも、彼氏と二人で温泉……いいなぁ。ずるいなぁ。……いいもん、私も温泉行っちゃお!」

にこっと笑うと、手にしていたタオルをぐるりと首に巻き直し、くるりと身を翻した。

「……一人だけどっ!」

足取りは軽やか。だが──その先に何が待っているのか、紗理奈はまだ知らない。

鄙比田温泉。
そこは、敵と味方が微かに交差する、鄙野のもう一つの顔を持つ地だった──。


鄙比田温泉郷の外れ、小高い丘に建つリゾート施設「鄙比田ミルク村」。
白を基調にしたモダンな木造建築と、のぼり旗に描かれた「濃厚牛乳風呂あります♡」の文字が、遠方から来る観光客の目を引く。

その名の通り、ここの目玉は鄙比田産の搾りたて牛乳をふんだんに使った“牛乳風呂”。
とろりとした白濁の湯と、湯気に混じるほのかな甘い香りが訪れる者を癒してきた。

そしてこの日、昼下がり。
平日の昼間、観光客も少ない時間帯。鄙比田の地元民・御祖紗理奈は、やや得意げに暖簾をくぐっていた。

「ふっふ〜ん♪ たまには高級温泉も悪くないわよね〜。地方左遷も、悪くないかもって思っちゃう♪」

研究所の肩書きと、特別職員手当を使ってのんびり温泉通い。
今日は誰にも邪魔されない、贅沢な独泉タイム──

と思った、その瞬間。

「おおー!紗理奈も来たアルカー!」

脱衣所の向こう、すでに牛乳風呂にちゃぷんと浸かっていたのは──
湯気の中から満面の笑みを浮かべて手を振る、黒髪お団子頭の女性。

ファンユイ・チュン。

真っ白な湯けむりの中、肌を透かすようなバスタオル一枚の姿で、湯船から身を乗り出していた。

「うっわー、また居たぁ〜〜!!」

紗理奈は心の中で突っ込んだ。
だが、何度か鉢合わせしているうちに、ファンユイとはすっかり気の置けない「温泉仲間」になっていた。

「……ま、いっか。どうせ他に誰もいないし。今日も一番奥、空いてるよね〜?」

「もちろん!隣空けてあるアルよ!牛乳風呂は広くて一人じゃつまらんからな!」

そう言ってぱしゃぱしゃと湯面を叩くファンユイ。
その無邪気さに、紗理奈も苦笑しながらタオルを胸に巻き、湯船へと足を滑らせた。

「ふぅ〜……あ〜〜〜、このとろみ……たまんないわぁ〜……」

「牛乳は肌にいいアルよ!ワタシの肌もつやつやぴかぴかアル〜!」

「いや、それメイクじゃないの……?」

「ノーノー!これは全部ナチュラルビューティーアルよ!朝晩パックしてるし、鄙比田のヨーグルトも飲んでるし!」

「それ、ただの健康マニアじゃん……」

二人は湯けむりに包まれながら、肩を並べてゆったりと湯に身を沈めた。
どこからともなく流れるヒーリングBGM、湯気に溶ける乳香、遠くに聞こえる鳥の声。まるで戦いなど存在しない別世界。

「でもファンユイ、最近ずっとここにいるの?見かける率高すぎなんだけど」

「当たり前アル!ここは楽園アルよ。どこかの教団で働かされるより、ずっと癒される!」

「え?教団?」

「ううん、なんでもないアル!……アハハ〜〜」

ごまかすように笑うファンユイ。

「紗理奈は?何の仕事してるアルか?毎日ヒマそうだけど、親に心配されん?」

「ちょ、ちょっと〜〜!わたしは立派な会社員なんですけど!社長秘書のサポートとか、マネジメントとか、そういう系!」

「……怪しいアルな〜」

「ぐぬぬ……!」

だが、そんなやり取りすらも、今の紗理奈には心地よかった。
初めて来たときは「C国娘なんて苦手かも」と思っていたが、なぜか波長が合うのだ。

──それぞれが、別々の“戦場”を持ち、それぞれの“秘密”を隠しながらも、
この牛乳風呂の中ではただの女同士。
ゆるんだ頬と、こぼれる笑い声が、白濁の湯に溶けていく。

「……ねえ、ファンユイって、彼氏とかいるの?」

「え?そ、そんなの……い、いないアルよ!?恋愛とか、よく分からんし!」

「ふーん……ふふ、なんか可愛いね」

「か、可愛いって言うなアル!」

「はいはい、じゃあ、また一緒に来ようね〜このお風呂」

「しょ、しょうがないアルよ……!」

──こうして、魔物の幹部同士は、お互いの素性を知らぬまま、
乳香の漂う温泉で友情らしきものを育み続けていた──。


白濁の牛乳風呂から立ち上る湯気が、まるでこの場の緊張を隠そうとしているようだった。

「……ん?」

ぴしゃりと戸が開き、入ってきたのは一人の若い女性。
黒髪を一本にまとめ、真っ白なバスタオルを巻いたその姿は、どこか気品すら漂わせていた。

「……っ!」

ぴくりと肩を跳ねさせたのは、牛乳風呂の湯面に肩まで浸かっていた御祖紗理奈。

(うわっ!風間凜!?なんでこのタイミングで!?)

湯気越しでもわかるその顔立ち。あの、社長の“元・お気に入り”。今は水都神社の巫女・風間凜。

──ミラクルナイトの仲間であり、かつて社長の愛人。
そしていま目の前にいる、自分が報告しようとしたその“当人”だった。

(まさかここに来るなんて聞いてないんだけど!?)

一瞬、息が止まる。
だが次の瞬間、紗理奈の心に黒い笑みが浮かぶ。

(カップルで温泉に来てるくせに、別々にお風呂? ってことは……まだヤッてないの? あの社長の愛人だったくせに、純情なフリしてぇ〜〜)

口元にニヤリと笑みを浮かべつつ、そそくさと湯の中で向きを変える。
背中を向けるようにして、凜に顔を見せないようコソコソと肩を沈めた。

(絶対、顔を見られたくない!)

紗理奈は鄙野勤務が長かったため、凜は紗理奈のことは知らないはずだが気まずい思いをしていた。

だがそのとき──

「……!」

ファンユイ・チュンも、別の意味で凜の登場に凍りついていた。

(この女……この声、この顔……!間違いないアル。兄さんの仇、セイクリッドウインド……!)

目を細める。
あの夜、兄フンカー・チュンが敗れたときの記憶が、フラッシュバックのように脳裏をよぎる。

(でも……)

ふと、ファンユイは眉を上げた。
その姿は確かに仇のものだが、今は──ただの温泉客。裸にタオル一枚、ふやけた頬。

(ワタシの流派は、温泉では仇を忘れるのが鉄則……!)

長く続いた沈黙。その湯気を破ったのは、ファンユイだった。

「お姉さんも、この牛乳風呂、初めてアルか?」

その声に、凜が小さく目を見開いた。

「……はい。初めてです。とても、いいお湯ですね」

どこかで聞いたことがあるような訛り。凜はファンユイをじっと見た。

(この喋り方、どこかで……? でも、C国の人って、みんなこんな感じだし……)

思い当たる節もない。だが、どこか引っかかる。
それでも──

「わたし、牛乳風呂って初めてで。お肌に良いって聞いてたけど……本当ですね、すべすべになります」

「そうアル!この温泉、毎日入ってると、十歳若返るって噂アルよ!」

「それは……すごいわね」

思わず笑い合うふたり。

(なにこの空気……!裏切り者の風間凜と同じ湯舟で親しく喋ってるとか、どんなシュール展開!?)

紗理奈は湯の中で身を小さく縮めていた。

だが──

「紗理奈もこっち来るアルヨ!」

ファンユイが、ずばっと声を上げて手招きしてきた。

「え、えっ!? わ、私……ちょっとのぼせてきたから……!」

「いいから来るアル!狭い温泉、みんなで仲良く浸かるのが温泉の醍醐味アルよ!」

ばしゃばしゃと湯を叩きながら、豪快に笑うファンユイ。

凜はその背中をじっと見つめた。

(この人……見た目は普通の観光客だけど、体の芯が鍛えられてる。格闘系……?)

ふと、戦いの勘が頭をもたげる。

だが、それを口には出さず、にこりと笑って言った。

「お名前、なんて言うんですか?」

「ワタシ? ファンユイ・チュンっていうアルよ!よろしくだ!」

「私は風間凜。水都の神社で巫女をしています」

「オ〜!巫女さんだったアルか!そりゃ体がピンとしてるわけだ!」

「……ありがとうございます」

(うわー!めっちゃ仲良くなってるー!)

紗理奈は思わず湯の中でじたばた足をばたつかせる。

──こうして、因縁を抱える三人の女たちは、湯気の中で交差する。

だが今は、誰もが“素の姿”──
仇も、愛人も、変身ヒロインも、ただの「女」でしかなかった。


脱衣所に併設された湯上がり休憩スペース。
白木の長椅子に腰を下ろした三人の女たちは、ぽかぽかとした頬を赤らめながら、冷えた瓶牛乳を手にしていた。

「やっぱりコレよね〜」

紗理奈が一口飲んで喉を鳴らす。

「C国にはこんな新鮮な牛乳ないアルヨー!」

ファンユイ・チュンは両手で瓶を抱え込み、幸せそうに目を閉じる。

「すごく……甘い。濃厚なのに、後味はすっきりしてる」

凜は驚いたように瓶を覗き込み、「鄙比田牛乳」と書かれたラベルに感心したように呟いた。

三人は牛乳の冷たさと温泉の余韻に浸りながら、ゆるやかな沈黙の中で心地よく火照った体を冷ましていた。

そのとき──

「……あら、随分と賑やかね」

すっと、空気が変わった。
背筋がすっと伸びるような、凜とした気配。
白いドレスのようなワンピースに身を包み、ややふらつきながらも気高い雰囲気を纏った女が現れた。

「柚月さん!?」

紗理奈が、びくんと肩を跳ねさせた。

「もう鄙野に来られたんですか……?!」

その驚きの声に、凜も瓶牛乳を持ったままきょとんと柚月を見つめる。
凜にとってはまったく見覚えのない人物だったが──柚月の視線は違った。

(風間凜……!なぜ、紗理奈が……あの風間凜と……!?)

柚月は心の奥に警戒心を走らせながら、あえて冷ややかに口を開いた。

「なんだか……邪魔みたいな言い方ね」

「え?あ、いえいえそんな!」

慌てて手を振る紗理奈。

「知り合いアルか?」

ファンユイが首を傾げて尋ねる。

「同僚の柚月さん」

紗理奈が苦笑いしながら答えると──

「えーーっ!!?」

ファンユイが豪快に椅子から転げ落ちそうになった。

「紗理奈はいつも温泉街をプラプラしてるから、恋に敗れて温泉地に流れてきた無職のお気楽プー太郎だと思ってたアルヨ!!仕事してるってのは本当だったでアルカ!?!?」

「ちょっとぉ!“プー太郎”って、なんでそんな単語知ってるのよっ!?」

耳まで赤くなる紗理奈。

「柚月さん、そんなことないですから!ちゃんと鄙野で任務遂行してますから!今日は、その、英気を養うために!」

そんな紗理奈を見下ろしながら、柚月はじっと目を細めた。

「紗理奈……あなた、鄙野に来て……雰囲気、変わったわね」

その声音は、冷静でありながらもどこか寂しげで──
思い出していた。
かつて社内では、スーツの袖を捲って資料を片手に颯爽と歩いていた御祖紗理奈の姿を。

(あの頃の彼女は、もっと堅かったはず……今のこの、ぬるま湯に溶けた笑顔は何?)

柚月が一歩踏み出そうとしたそのとき、紗理奈が笑顔を作り直して言った。

「それより柚月さん……大怪我と聞いていましたが、お風呂は大丈夫なんですか?」

「ええ、医師からも許可が出たわ。温泉の効能で、回復も早まりそうだし」

「ならよかったです。この牛乳風呂、お肌にもとってもいいんですよ。ほんと、すべすべになりますから!」

「ふんふん、ワタシもつるっつるになったアル!」

ファンユイが自慢げに二の腕を撫でて見せた。

柚月はそんな様子を見ながら、目を細め──
一瞬だけ笑った。

「ありがとう、紗理奈。……今夜、また話せるといいわね」

そう言って、浴場の方へと静かに去っていった。

柚月の背中を見送りながら、紗理奈は汗を拭った。

(……やば。いつものテンションでいくとマジで怒られるやつだった)

「柚月……って、ちょっと怖い人アルね」

「うん、怖いのよ……でも、ちゃんと向き合えば、すごく真面目な人」

そう呟いた紗理奈の表情には、どこか敬意の色が混ざっていた。

こうして、牛乳の甘さと女たちの火花が交錯する温泉の午後は、静かに次の事件の気配を孕みながら、湯けむりの向こうに消えていった――


白く咲いたサルスベリの花が夏風に揺れていた。
放課後の水都公園、噴水広場。
水色のセーラー服をふわりと揺らしながら、奈理子は一人、帰宅の道を歩いていた。

陽射しにキラキラと輝く噴水の水飛沫。ベンチでアイスを舐めるカップル、幼い子を連れて歩く母親。
その穏やかな風景の中で――

「奈理子ちゃーん!」

ちいさな女の子が、両手をいっぱいに広げて手を振る。

奈理子は立ち止まり、にっこりと笑って手を振り返した。

「こんにちは〜。お母さんと一緒にお散歩?」

「うんっ!あのね、奈理子ちゃん今日も可愛いねって、ママが言ってたよ!」

「ふふ、ありがとう。お姉さん、照れちゃうなぁ〜」

その笑顔は、まさに“水都の天使”と称される所以そのものだった。

――だが。

(あたしが変身する“ミラクルナイト”は……どう思われてるのかな)

噴水の水音に紛れるように、奈理子は一瞬だけ目を伏せた。

確かに先日、クワガタバチを撃退した。
セイクリッドウインドとドリームキャンディでも歯が立たなかったあの怪人に、奇跡の逆転を見せたのは紛れもなくミラクルナイト――つまり、奈理子自身だ。

けれど──

(いつも強いわけじゃない。むしろ……)

それは市民も同じ認識だった。

彼女の変身後の姿であるミラクルナイトは、可憐だが打たれ弱く、敵に翻弄されてばかり。
セイクリッドウインドとドリームキャンディが登場するまでは、ピンチで会場を盛り上げる役として、すっかり定着してしまっていた。

そして──
市民たちの中にも、そんな「ミラクルナイト像」を愛する者は少なくない。

「今日もやられそうだなぁ……」
「いや、そこからの逆転がまたいいんだよ!」
「奈理子ちゃん、頑張ってるだけで泣けてくるもん!」

あの声援。あの一体感。

弱くても、可愛く戦う。それがあたしのモットー。
期待されてる限り、裏切りたくない。

そんな奈理子の前に──

「奈理子ちゃ〜ん、遊びに来たよぉ〜ん♡」

ねばりつくような声が降ってきた。

「っ……!?」

奈理子が振り返ると、広場の片隅に――
いた。ピンクの肌に、ぬらぬら光る異形の身体。顔は三つに割れたような形状で、手足は異様に細長く、なぜか妙に楽しげな様子。

「ウズムシ男……!」

広場にざわめきが起きる。

「え、あれウズムシ男じゃね?」
「でも一体だけじゃん?他の怪人いないのか?」

市民たちが様子を見ながら、徐々に広場へ近づいてくる。
彼らも知っていた。ウズムシ男は単独では大して脅威ではなく、あくまで“誰かの手駒”。他の怪人がいないとわかると、逆に「今日は安全」と判断したようだった。

「ねぇ、早く変身しなよ、奈理子ちゃん。生身のままじゃイジメがいがないじゃ〜ん」

舌なめずりをしながら、ウズムシ男が言う。

「今日は1人だけ……?」

「うんっ。ボクだけだよぉ。久々に奈理子ちゃんと遊びたくなっちゃってさ」

「ミラクルナイトの戦いが見れるぞ!」
「今日こそ応援しちゃうよー!」

次第に、広場には興奮気味の市民が集まっていた。
小さな子どもを抱えた親、制服姿の学生、会社帰りのサラリーマンまで。
その誰もが、ミラクルナイトの戦いのファンだった。

「……変身中に攻撃しないでよ!」

奈理子はお馴染みのアイマスクをポケットから取り出す。

「大丈夫、奈理子ちゃんは変身しても弱いから、ボク邪魔しないよ〜♪」

ウズムシ男がヘラヘラと笑う。

「おーい!奈理子、変身だー!」
「今日のピンチも楽しみにしてるぞー!」
「奈理子ちゃん、ファイトー!♡」

人々の声援が波のように広がってゆく。

奈理子はそんな声を背に受けながら、スカートの裾を押さえ、噴水の縁に立った。

(可愛いだけじゃ、終われない……でも、可愛くなきゃ意味がない)

「行くよ……変身っ!」

水色の光がその身体を包み込み、可憐にして奇跡の戦士――
ミラクルナイト、ここに参上!

市民の喝采が、公園中に響き渡った。


水都商店街――
夕暮れどきのアーケードを、制服姿の寧々と隆が並んで歩いていた。

「やっぱり商店街の焼き鳥は安定してるね」

口元をぬぐいながら満足げな寧々。

「母ちゃん、今夜のおかずこれで済ませるつもりじゃ……」

呆れ気味の弟・隆。今朝、隆は母親から学校帰りに商店街で焼き鳥を買ってくるように言われたのだった。

そのときだった。

《警報!警報!噴水広場にてウズムシ男出現。ミラクルナイトが交戦中!》

近くのモニターから、いつもの街頭アナウンスが流れる。

「ウズムシ男だけ?」

寧々が眉をひそめる。

「姉ちゃんはウズムシにも負けることあるからなぁ……」

棒読みのような声で言い放つ隆。

「……またスカート捲られてるかもしれないし、行ってくるよ」

串をゴミ箱に捨てると、寧々はさっと身を翻す。

「弱っちい姉で、寧々に迷惑ばかりかけて済まない……」

肩を落とす隆。なぜか年齢逆転したような光景だった。

***

噴水広場に現れたドリームキャンディが目にしたのは――

「やめてよ、やめてってばぁ〜っ!1人だけだって言ったじゃないっ!」

必死に逃げるミラクルナイト。スカートを押さえながら、くるくる回って噴水の裏へ。

「待て〜い♪」

ウズムシ男が3体、ひょろ長い足で高速追跡中。

「奈理子逃げろー!」
「ウズムシも頑張れー!」

どっち応援してるのか分からない市民の歓声が飛び交う。

「どうしてスカートを捲るの?!見せパンじゃないんだよ、こっちはーっ!」

叫ぶミラクルナイト。

「市民が喜ぶからさーっ!」
「パンツ見せないとスポンサー様が悲しむんだぞ〜!」

ウズムシ男たちが陽気に答える。

「ウズムシ、いいぞー!」
「今日も奈理子の白パン最高ー!」
純白純白!」

沸き上がる謎の盛り上がり。

(……何これ、何なのこれ……じゃれ合ってるだけじゃない)

ドリームキャンディはしばし呆然と立ち尽くした。

「いやぁ〜ん、やめてぇ〜……あっ、ちょっと待って」

ようやく彼女に気付いたミラクルナイトが、ウズムシ男たちの動きを止めた。

「……あっ、お楽しみ中、邪魔してすいません」

気まずそうにペコリと頭を下げるドリームキャンディ。

「キャンディ、来るのが早いよぉ〜」
「もっと楽しみたかったのにーっ」

観客席の奈理子ファンたちがブーイングを始める。

「違うのよ、キャンディ!いきなり襲われて……だからその……」

ミラクルナイトが必死に言い訳していると――

「隙ありーっ!」

ドサッ!

「きゃああっ!?やめてよぉ〜〜〜っ!」

ウズムシ男が勢いよくスカートを剥ぎ取り、ミラクルナイトはしゃがみ込む。

「おおーっ!!!」
「今日も最高ーッ!」

ファンがスマホを振りかざしながら歓喜の叫びを上げた。

(……この人たち、一体何を楽しんでるの……?)

脳内に「?」が並ぶドリームキャンディ。

だが、ウズムシ男は敵だ。反射的に右手を掲げる。

「キャンディシャワーッ!」

放たれた虹色のビームが3体のウズムシ男を一瞬で包み込み、可愛らしい

「ぴぎゃあ〜っ」

という悲鳴と共に広場から一掃した。

「ちょっとぉ!倒すの早すぎるってば!」
「空気読んでー!」
「もうちょっと追いかけっこしてから〜!」

市民からまさかの不満の声が上がる。

「奈理子さん、しっかりしてください!」

ズバッと一喝するドリームキャンディ。

「ごめんなさい……」

しゅん、と項垂れるミラクルナイト。下着だけの姿でしゃがみ込むその様子は、もはや守ってあげたい天使。

ドリームキャンディは深く溜息をつきながら、投げ捨てられたミラクルナイトのスカートを拾ってミラクルナイトに掛けてあげた。

「ありがとぉ……」

「ウズムシだからって油断しないでください」

「うん……」

市民の拍手とため息が入り混じる中、夕暮れの水都に小さな笑い声がこだました。


──事件後。
水都公園の裏手にある静かな遊歩道。風が吹き抜けるたびに、街路樹の葉がさやさやと揺れていた。

「……で、奈理子さん?今日は何だったんですか?」

変身を解除した奈理子は、寧々にぴったり並ばれて歩いていた。
その横を、隆が一本のアイスキャンディをかじりながらついてくる。

「うぅ……寧々ちゃん、あれは事故なの……っ」

俯く奈理子。目は泳ぎ、手はスカートの裾をギュッと掴んだままだ。

「事故でスカート捲られます?しかも自分から追いかけられに行ってたじゃないですか」

寧々の声は冷静そのもの。しかし、目は光を帯びていた。

「だってぇ……市民が期待してる空気があって……」

奈理子の言い訳に、寧々がピタリと足を止める。

「その“空気”とやらにパンツを捧げるのが、ミラクルナイトのお仕事なんですか?」

正面に立ち、制服のスカートをキュッと整えながら詰め寄る寧々。

「ち、違うもん!私は……水都の守護神なんだよ?」

心細く口を尖らせる奈理子。

「守護神が“きゃあっ♡”とか言って逃げ回るだけで市民を守れるんですか?!」

バン!と地面を指差す寧々。

「……そ、それは……がんばってるんだよ……?」

しゅん、と奈理子。さっきから小声でしか返せていない。

──そこで、黙って二人を見ていた隆が、アイスを一口かじってぽつり。

「……姉ちゃんって、“ピンチ要員”って感じだよな」

「えっ?」

振り向く奈理子。

「変身してもすぐ捕まるし、スカート捲られるし、助けられて泣くし、最後に“ありがとう、みんな……”って言って締める係」

真顔で言いながらアイスをかじる隆。

「し、締めてるのはちゃんと……戦いを……!」

奈理子の反論は語尾がどんどん小さくなる。

「奈理子さん、ピンチ芸で市民の支持を得るのはもうやめた方がいいです」

寧々が腕を組んで言い放つ。

「うぅ……芸じゃないよぉ……本当に毎回ピンチなんだもん……」

三人の間に、しばしの沈黙。

──が、奈理子が急に顔を上げた。

「でもね、寧々ちゃんも隆くんも!ミラクルナイトは、どんなときも市民に笑顔を届けるのがモットーなんだよ!」

「それがパンツなのが問題なんですよ」

秒で突っ込む寧々。

「姉ちゃん、それファンの前で言ったら、ますます変な方向に神格化されるぞ……」

アイスの棒をゴミ箱に投げ入れながら隆。

──そんな帰り道。

夕焼け空の下、スカートを押さえながらトボトボ歩く奈理子の背中を、
寧々は無言で見守り、
隆は小さく溜息をついた。

「……でも、姉ちゃんって、変なところで一番輝くからな」

ぽつりと呟く隆の声は、ほんの少しだけ誇らしげだった。


ミラクルナイト vs ウズムシ男事件

──その夜、水都市内のSNSは騒然となっていた。

トレンドワード第1位
#ミラクルナイト白パン事件
第2位
#ウズムシ男またやった
第3位
#ドリームキャンディおこ
第4位
#奈理子ちゃん逃げて

@suito_hero_news(市民記者アカウント)

【動画あり】今日のウズムシ男、ミラクルナイトのスカートを3回めくる。最後には剥ぎ取り事件発生!?市民「白パン確認」「今週もありがとう」などの声。

@miracle_love_773(奈理子ファン)

奈理子ちゃんが逃げ惑う姿が可愛すぎて正直、永久保存動画。ありがとうウズムシ男。ありがとう白パン。
#ミラクルナイト #スカート #尊い

@justice_candy(ドリームキャンディ応援隊)

キャンディの正義感マジで推せる。奈理子がふざけてるように見えた。
ミラクルナイトさん、ちゃんとして!!
#ドリームキャンディ正義派 #おこキャンディ

@hinamatsuri2025

スポンサーが「白パンと声援の力」を評価しているってマジ!?
水都ってなんか…自由。

@scholar_suito

ミラクルナイトが弱く見えるのは演出では? 市民の応援とスポンサーに応えるための“逆ヒロイズム”だと考察。
#ミラクルナイト批評 #ヒロイン像とは

@kawaii_nariko_bot(非公式)

「いやぁ〜!やめてぇ〜!」
↑今日のベストボイス。切り抜き用にどうぞ。

──しかし、騒動は一転してプチ炎上へと突入していく。

@morals_suito

こんなのヒーローの戦いじゃない。スカートを捲られるのを喜ぶなんて、市民も異常だ。
#公共の場でパンツ #教育に悪い

@seigi_wo_mamoru_kai

ミラクルナイトの行動は、戦士というよりアイドル営業に近い。敵に甘すぎる。

──これに、奈理子ファンたちは反撃を開始。

@nariko_gundan777(MNSFC)

パンツが見えようが、逃げ惑おうが、俺たちは奈理子ちゃんが命懸けで市民の期待に応えてるって分かってるから!
泥だらけでも美しい。それが“守護天使”奈理子ちゃんなんだよ!!!!

@white_wings_rescue

ウズムシ男と遊んでる?違うよ。市民の平和を守りながら“楽しさ”を届けてくれてるだけ!!
それがミラクルナイトの“戦い方”なんだ!!

──そんななか、水都テレビが声明を出す。

【公式声明】水都TV広報

本日放送された『ミラクルナイトLIVE!』において、一部の演出に関し市民の皆様からご意見を頂戴しました。
ミラクルナイトの奮闘と市民の応援が水都の元気の源であると認識し、今後も健全なヒーロー活動を応援いたします。

──その頃の奈理子の部屋。
スマホを見ながら、顔を真っ赤にしてうずくまる奈理子。

「もう……全部バレてる……動画、見ちゃダメって言ったのに……うぅ〜〜〜〜っ!!」

ドアの外でそれを聞いていた隆が、冷静に一言つぶやいた。

「……姉ちゃん、SNSでもピンチ芸で天下取る気かよ……」

──おわり。

第208話へつづく)