ミラクルナイト☆第169話
夏休みのある日、水都大学のキャンパスに奈理子の姿があった。
呼び出したのは 水都大学奈理子私設ファンクラブ(通称:MNSFC) の会長、成好。
大学の学内カフェで向かい合う二人。
「大学って、夏休みでも人がたくさんいるんですね〜!」
奈理子は目を輝かせながら、行き交う大学生たちを眺めた。
水都大学にはイベントなどで何度か訪れたことがあるが、高校生の奈理子にとって、大学のキャンパスの雰囲気はやはり 「別世界」 だった。
そこへ、ウェイトレスが運んできたのは——。
「わぁ〜!学校でパフェが食べられるなんて!」
カフェのテーブルに置かれた豪華なパフェ。
「会長さん、ありがとうございます!!」
奈理子は嬉しそうにモチモチの白玉をスプーンですくい、頬張る。
そして、ふと懐かしい名前を思い出した。
「鉄山さんとカオリさんは卒業したんですよね。元気にしてるかな?」
水都大学の元学生だった カブトムシ男の鉄山 と バラ女のカオリ。
かつてはミラクルナイトの敵として戦った二人も、いつしか奈理子と親しい関係になり、それぞれの道を歩んでいた。
「カオリさんは卒業していないよ。」
成好がさらりと告げる。
「えぇッ?!カオリさん、留年したんですか?!」
奈理子が驚いてスプーンを止める。
「違うよ。カオリさんは医学部だから。」
「???」
「医学部は6年なんだよ。今は病院で実習してるから、ここにはいないけどね。」
「へぇ〜!そ~なんですね!」
奈理子は「なるほど」と納得したような、していないような曖昧な表情を浮かべた。
すると——。
「……奴が出てくるんだ。」
急に低い声で呟く成好。
その表情は、これまでの軽い話題とは打って変わって、真剣そのものだった。
「奴……?」
奈理子は生クリームをすくいながら、成好を見つめる。
「多羅尾さ。」
「多羅尾…さん??」
聞き覚えのない名前。しかし、成好は続けた。
「奈理子ちゃんには、ゲジゲジ男 って言ったほうが分かりやすいかな。」
ガチャンッ——。
奈理子の指先からスプーンが滑り落ちる。
ゲジゲジ男——。
中学生の頃の奈理子を 執拗に 追い回した 奈理子ファン。
水都大学の学生だったが、奈理子グッズを集めるだけでは飽き足らず、ついには 「実物の奈理子」 を手に入れようと襲いかかってきた。
激闘の末、ドリームキャンディが ゲジゲジ男を撃破。
彼は逮捕され、水都の平和は守られたはずだった。
だが——。
「多羅尾は服役中に大学を辞めてるから、出所後も水都に留まるとは限らないけど……。」
成好の言葉は慎重だった。
「でも……奈理子ちゃんには伝えておいた方がいいかな、と思ったんだ。」
奈理子は、冷たくなったパフェを見つめる。
「反省したから、刑務所から出てくるんですよね……?」
震える声で問いかける。
「……そうだといいんだけどな。」
成好の答えは、決して 「大丈夫」 ではなかった。
奈理子の背筋に、冷たいものが走る。
ミラクルナイトがかつて退けた 恐怖 が——また、水都の夜に蘇ろうとしていた。
商店街の グフグフハンバーガー では、今日も 凜と寧々 が並んでポテトをつまんでいた。
「で、隆くんとはキスくらいした?」
凜が興味津々に尋ねる。
気になっているのは、 寧々と隆の仲。
夏祭りの夜、親しげに屋台を巡る二人の姿を見て以来、凜は どうしても確かめたくて仕方がなかった。
「してません。」
「嘘でしょ? あの雰囲気で キスはまだ ってあり得ない。」
「してないです。」
寧々はあくまで 淡々とした口調 で答えた。
「もう、奈理子のこと『お姉さん』って呼んだら?」
「呼びません。」
即答する寧々。そして——。
「夏祭りに来てたんなら もっと早く助けに来てくれればよかったのに…。」
不満げな声で、 ウミウシ男たちとの戦いに遅れて現れた セイクリッドウインドを責める。
「あ、それはごめん。ちょっと やることがあった から…。」
凜がバツが悪そうに言う。
「どうせ、大谷さんと一緒だったんでしょ?」
寧々の鋭い指摘に、凜は 一瞬、言葉を詰まらせた。
「まあ……そうだけど……。」
「……。」
寧々は不機嫌そうにポテトをつまむ。
話題を変えたくなった凜は、ふと思いついたように口を開く。
「それにしても……奈理子、最近負けが続いてるけど大丈夫かな?」
心配そうな表情を浮かべる凜。
「大丈夫じゃないですか? 今日はファンクラブの会長に呼ばれて水大に行ったそうですし。」
「へ〜、またイベントに出るのかな? 学祭の打ち合わせ とか?」
「さあ……。」
寧々はそっけなく返す。
「それに、奈理子さんが ずっと負け続けてる ことは、今に始まったことじゃありませんよ。」
「でもさ、最近の奈理子って負けを簡単に受け入れすぎじゃない?」
凜はポテトをひとつ口に放り込みながら続ける。
「前は 負けたら大泣きして悔しがってたこともあったのに。」
「ミラクルナイトが弱いことを受け入れたんじゃないですか?」
寧々の冷静な分析。
「寧々、ミラクルナイトは弱くないよ。」
凜はきっぱりと否定した。
「私や寧々が一緒に戦い始める前は 奈理子は一人で敵と戦っていたんだから。」
「……そうですけど……。」
寧々は、自分がドリームキャンディになる前のミラクルナイトの戦い を思い返した。
浮かんでくるのは、敗北の記憶ばかり。
そもそも 奈理子が弱すぎる からこそ、大谷に目をつけられ ドリームキャンディとして戦うことになった のだ。
「クワガタ男 とか カニカゲロウ とか、私たちが勝てなかった相手にミラクルナイトは勝ってるし、決して 弱くはないよ。」
凜が力強く言う。
「……そうですね……。」
寧々は少し考え込みながら頷く。
「たまに 強いときもある んですけど、だいたい弱い ですよ。いつも スカート脱がされる し、パンツを脱がされることもある し……。」
「だからこそ、私たちがいるんじゃない。」
凜が寧々をまっすぐ見据える。
「私たちの使命は、ミラクルナイトを守ること。私たちがしっかりしなきゃ。」
「……。」
寧々は、目の前のポテトをじっと見つめた。
自分の戦う理由——それは、奈理子を守るため。
「……そうですね。」
小さく頷くと、寧々は新たにポテトを手に取った。
「私たちがミラクルナイトを守るんです。」
その言葉には、静かな 決意 が込められていた。
夏の日差しが和らぎ、商店街の灯りが柔らかく街を照らす頃。
奈理子は、小さなテントに吊るされた風鈴の音に導かれるように、商店街の片隅にある占い師の元へ足を運んでいた。
「来たのね。」
鈴と呼ばれるその占い師は、年齢不詳の雰囲気を纏い、神秘的な瞳を奈理子に向けた。
「多羅尾…アイツが出てくるのね。」
眉間に深い皺を寄せる鈴。
「鈴さん、多羅尾って人を知ってるんですか?」
奈理子は椅子に腰掛けながら尋ねる。
「詳しくは知らない。」
鈴はゆっくりと水晶玉に指を滑らせる。
「だけど……今奈理子たちが戦ってる側じゃなくて、どちらかと言うと 私側のほう だと思う。」
「え? 怪人にもグループがあるんですか?」
思わず前のめりになる奈理子。
鈴は静かに頷いた。
「あるわよ。大まかに分ければ、二つの勢力があるの。その二つ勢力の上にいるのが——」
鈴は一呼吸置いて続けた。
「タコ男。」
その名を聞いた瞬間、奈理子の顔が引きつる。
脳裏に蘇るのは、まだミラクルナイトになりたてだった頃、無数の触手に絡め取られ、連日のように敗北を重ねた記憶。
「今……タコ男は何をしているんですか?」
恐る恐る尋ねる奈理子。
「タコ男は自分が楽しめればそれでいいって人だから。エロジジイってやつよ。今はブラックナイトと気ままに過ごしてるわ。」
「え? ブラックナイト?」
奈理子の目が驚きに見開かれる。
ブラックナイト——それは、スライム男であるライムが作り出した、奈理子のクローン。
「ライムが……そんなことを……。」
自分の分身が、あのタコ男の弄ばれている光景を想像して、胸がざわつく。
「ライムはタコ男が奈理子を襲わないように、ブラックナイトを差し出している のよ。」
鈴は淡々と告げた。
奈理子は深く息を吐き、しばらく黙り込む。
「タコ男の友達に イカ男 がいるけど、あっちは一匹狼。何考えてるか分からないわ。」
「……イカ男……。」
またしても思い出す、過去の屈辱。
透明化能力を持つイカ男に、無防備な隙を突かれ——。奈理子は慌ててその記憶を頭から追い払った。
「蛸と烏賊は特別。で、残りは二つのグループに分かれてるわ。」
鈴が指を二本立てる。
「一つは、私やクモ男のグループ。それにデコポン男の不知火や、メロン男の香丸くんもこっち。」
「みんな……ライムの友達ですね。」
奈理子は頷く。戦場では敵だった彼らとも、不思議と打ち解けていった記憶が蘇る。
「で、もう一つが——」
鈴の表情が少し曇る。
「イソギンチャク男のグループ。 今、奈理子たちが戦っているのはここ。」
奈理子は息を呑む。
「イソギンチャク男はもう倒したけど、その跡を継いだのがクラゲ男。さらに……最近は ヒドラ男 もそっちにいるらしいわ。」
ヒドラ男の名前を聞いた奈理子の肩がわずかに震えた。
イソギンチャク男——。圧倒的な力でミラクルナイトの変身を強制解除 させた唯一の相手。恐怖の残像は今も心に焼き付いている。
「クラゲ男たちについては……私よりも、風間凜が詳しい はずよ。」
「……凜さんが?」
鈴は静かに頷く。
「風間凜がクラゲ男の元にいたのは知ってるでしょ。『ナメコ女』じゃなくて『ナメコ姫』って呼ばれて、お姫様扱いされてたの。」
「ええっ?!ナメコ姫がお姫様?!」
思わぬ過去に奈理子は驚く。
「……凜さんはその頃のことはあまり話したがらないんです。」
話が一区切りついたところで、奈理子はそっと胸に手を当てた。
「でも、多羅尾さんが鈴さんと同じグループって知って……少し安心しました。」
彼が今戦っている敵でないことに、心のどこかで救われる思いがあった。
だが、鈴は厳しい目を向けて言った。
「そうとも限らないわ。」
「……え?」
「カオリさんが一線を退いて、今はまったく統率が取れていない。鉄山くんも卒業して水都を離れた。不知火も香丸くんも、リーダーって柄じゃないし……。」
「でも……ゲジゲジ男は一度倒した相手ですし。何かあっても、きっと大丈夫ですよ!」
気丈に振る舞う奈理子。しかし——。
「そうかしら……?」
鈴は険しい顔を崩さず、ただ静かに奈理子を見つめた。
その瞳の奥には、何か重く沈んだ未来が映っているように思えた。
鈴の鋭い視線が奈理子に突き刺さった。まるで心を見透かされているような感覚に、奈理子は無意識に背筋を伸ばし、唇を引き結ぶ。
「どういう意味ですか…?」
声を絞り出す奈理子に、鈴は一拍の沈黙の後、深く息を吸い込み、静かに告げた。
「中学生の頃の奈理子は彼に襲われた。あの時のこと、忘れてないでしょ?」
鈴の言葉と同時に、奈理子の脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。
——あの日、まだ肌寒さも残る3月の始め。中学2年生だった奈理子、ミラクルナイトはゲジゲジ男に挑んだ。
無数の腕に捕らえられてしまったミラクルナイト。彼女を弄ぶ彼の瞳に宿っていたのは、熱を帯びた異常な執着だった。
「君は僕だけのものだ。」
耳元に忍び寄るような低い声。触れられた肩の感触は、今でも悪夢に現れて奈理子を震えさせる。
「……っ!」
奈理子は無意識に腕を抱き、震えを押し殺すように唇を噛んだ。自分を奮い立たせるように無理やり笑みを作る。
「でも……もう終わったことです。私、あの時より強くなったんですから。」
強がりとも取れる言葉に、鈴はほんの一瞬、悲しそうな目をした。しかし、その後には冷たく鋭い声が響く。
「それはどうかしら。」
奈理子の目が疑問を湛えたまま見開かれる。
「多羅尾は、ただのストーカーじゃなかった。ゲジゲジ男になってからの彼は、自分の欲望に正直で……恐ろしく執念深い。」
その言葉に、奈理子は拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、微かな痛みが頭の中のざわめきを引き戻す。
「わかってます。」
確かに、多羅尾の執念は常軌を逸している。彼が奈理子を狙う理由は、ただの執着心や独占欲ではなく、もっと根深いものだとわかっていた。
しかし、鈴は容赦なく続ける。
「**確かに、ミラクルナイトはあの頃よりも強くなった。**でも——」
一度言葉を切り、奈理子を見据えた。
「——奈理子自身はどうなの?」
「……私?」
奈理子は困惑した。自分とミラクルナイトは同じ存在だ。何を言っているのかと。
「あの頃の奈理子は、今より強かったと思う。」
その言葉に、奈理子は思わず不満そうに眉を寄せる。
「どういうことですか?ミラクルナイトは私です。」
自分が成長してきた証は、数多くの戦いの傷や勝利で示してきたつもりだった。だが、鈴は首を振った。
「一人で戦っていた頃の奈理子は、水都の平和を守るという使命感に燃えていた。」
「……今もそうです。水都の平和を守る思いに、変わりはありません!」
力強く言い切った。守りたいものは変わっていない。守る理由も、覚悟も同じはず。
しかし、鈴は鋭く切り込む。
「ドリームキャンディとセイクリッドウインドがいることで安心してない?」
「……!」
図星を突かれ、奈理子は言葉を失う。
「ミラクルナイトが負けても、ドリームキャンディとセイクリッドウインドが敵を倒してくれるって——どこかで思ってない?」
「……そんなことありません!」
即座に否定した。だが、心の奥で微かに疼くものを無視できない。
「……多羅尾の奈理子に対する執念は異常だわ。あれに打ち勝つには、今の奈理子では厳しいと思う。」
その言葉に、奈理子は俯き、拳を膝の上で固める。
確かに、最近は凜や寧々がいてくれる安心感に甘えていたかもしれない。自分一人で敵に立ち向かっていた頃の——あの、必死さはどこかに置き忘れていたのかもしれない。
「……でも、多羅尾がまた私を襲うとは限らないし。厳しいこと言ってごめんね。」
鈴が少し柔らかい表情を見せ、肩をすくめた。
奈理子は小さく首を振る。
(確かに、一人で戦っていた頃と比べて、気の緩みはあったのかもしれない……。)
水都の守護神——その重い肩書きを、自分はいつしか周りに頼りすぎていた。
「……ありがとうございます、鈴さん。」
奈理子はゆっくりと立ち上がる。瞳の奥には、再び燃え上がる小さな炎が宿っていた。
(私が……やらなきゃ。だって私は——)
「水都の守護神ミラクルナイトなんだから!」
夕陽が沈む商店街。
奈理子の決意を照らすように、最後の光が彼女を包み込んでいた。
刑務所の門が重たく開く。
冷たい鉄の音が背後で鳴り響き、外の空気が多羅尾の頬を撫でた。
それは自由の風ではなく、空虚さを孕んだ風だった。
「……俺にはもう、何も無い。」
足元を見つめ、呟く。
刑期を終えたとはいえ、待っていたのは冷たい現実だけだ。
親には完全に見放され、学費が払えず大学も退学。
借りていた部屋も、今は跡形もない。
かつてバイトに明け暮れ、必死で集めた奈理子グッズも処分されただろう。
——出迎える者は誰一人としていないはず。
「何も、残らなかった……。」
そんな時だった。
「多羅尾くん、迎えに来たわ。」
柔らかいが底冷えするような女の声が響く。
多羅尾が顔を上げると、そこには妖しげな雰囲気を纏った女が立っていた。
長い黒髪が夜風に揺れ、鮮やかな紫色の瞳が真っ直ぐに多羅尾を見つめている。
「誰だ……?」
反射的に身を引く多羅尾。警戒心を隠さない。
「私は時計草の力を持つ女。ボスの所へ案内してあげる。」
「ボス?」
多羅尾は訝しげに眉を寄せる。
「そう…貴方は別の系統だったわね。」
女は薄く笑い、口元に指を当てた。
「私たちのボスは……クラゲ男。聞いたことくらいはあるでしょう?」
その名に、多羅尾の記憶が僅かにざわめく。
確かに、イソギンチャク男の部下にそんな名があった。
だが、実際に顔を合わせたことはない。
「クラゲ男が、俺に何の用だ?」
依然として警戒を解かない多羅尾の前で、女は何かを取り出した。
「ま、それは会ってからのお楽しみ。でも、その前に……出所祝いよ。」
女が持っていた箱から姿を現したのは、ミラクルナイトのフィギュアだった。
先日発売されたばかりの、注文生産の激レアモデル。
完璧な造形、細部まで作り込まれたコスチュームの皺。
かつての自分が夢中で集めた奈理子グッズの象徴が、今、目の前にある。
「これは……。」
多羅尾の瞳が光を取り戻す。
「凄いでしょ?」
女が唇を吊り上げる。
「もっと凄いのは、スカートの中よ。見てみなさい。」
促されるまま、多羅尾はフィギュアを手に取り、そっと覗き込む。
「……っ!おおっ……!」
その瞬間、感嘆の声が漏れた。
純白のショーツに再現された布の皺、ハミ出た尻肉の微妙なライン。
細部に宿るフィギュア職人の匠の技術に、かつて封じたはずの衝動が一気に蘇る。
「完璧だ……。完全に奈理子の再現だ。
パンツの質感、腰骨の微妙なラインまで……これは芸術だ……!」
呆然とする多羅尾に、女は勝ち誇ったように笑う。
「気に入ったみたいね。」
「……これ、くれるのか?」
フィギュアを抱きしめながら、多羅尾の声が震える。
「私たちの仲間になるならね。」
女は勿体ぶるように、彼の顔を覗き込む。
内心では、入手に大金をはたいたフィギュアが役立ったことにほっとしていた。
多羅尾は唇を噛んだ。
——奈理子。
長い服役期間で消えかけていた執着心が、再び胸で煮えたぎる。
「女子高生になった奈理子は、前よりずっと魅力的な女の子に成長したわよ。」
女が誘惑するようにささやく。
「貴方なら、きっと気に入ると思う。……もっとも、貴方がロリコンじゃなければの話だけど?」
その一言に、多羅尾の表情が変わった。
「……そうか。奈理子は、もう高校生になったのか。」
視線を落とし、手の中のフィギュアを見つめる。
胸が熱い。喉が焼けるようだ。
心の奥底から湧き上がるのは、理屈では抑えられない衝動。
「行こう。」
低く、腹の底から絞り出すように多羅尾は言った。
「トケイソウ女、ついて行こう。」
「ふふ……いい子ね。」
女が満足げに微笑む。
「私と貴方が組めば、奈理子どころかセイクリッドウインドもドリームキャンディも目じゃないわ。」
「……俺は、奈理子だけでいい。」
そう言って、多羅尾は再びフィギュアを見つめた。
瞳の奥に燃えるのは、かつて奈理子を追い詰めた、あの狂気と執着。
——彼の地獄は、まだ終わっていない。
そして、野宮奈理子にとっての悪夢も——再び幕を開けようとしていた。
ミラクルナイトの戦いの記録は、数多くの動画としてネット上に散らばっていた。その日の夜、奈理子は暗い部屋で一人、ベッドに座りスマホを握りしめていた。部屋の中は静まり返り、スマホの画面が青白い光を放つ。動画の再生ボタンをタップすると、かつての自分が映し出された。画面の中のミラクルナイトは、ゲジゲジ男の無数の脚に絡め取られ、身動きも取れずに苦しんでいた。必死に逃れようとするも、恐怖で体が硬直し、ただ涙を流す自分。あの時の無力感が再び胸を締めつける。
成好や鈴の前では「大丈夫」と笑って見せた。けれども、それは強がりでしかなかった。本当の自分はこうして、震えながら過去に怯えている。
(またあのゲジゲジ男が現れて…私を襲うかもしれない…)
心の奥に潜んでいた恐怖が、じわじわと胸を侵食する。
その時、扉が軋む音がして、奈理子の考えが遮られた。
「姉ちゃん、起きてるか?」
ドアが半開きになり、弟の隆が顔を覗かせる。普段なら「ノックくらいしなさい!」と怒鳴るところだが、奈理子はスマホを握ったまま声を失っていた。隆は近寄り、彼女の肩越しにスマホを覗き込む。
画面に映るのは、ゲジゲジ男に捕らわれ、涙をこぼしているミラクルナイト。隆は一瞬言葉を失うが、照れ隠しのように口を開いた。
「なんだ、自分の動画見てんのか?ズリネタでも探してたんじゃねーの?」
軽口を叩くものの、奈理子の顔を見て、その顔色にハッとする。蒼ざめた姉の頬、震える唇。冗談を言う空気ではなかった。
「どうしたんだよ…」
声を潜めて尋ねる隆。
奈理子はスマホをゆっくりと置き、俯いた。
「…ゲジゲジ男が、また出てくるかもしれないの。」
声がか細く、震えていた。
隆は一瞬考え込んだが、努めて明るく振る舞おうとする。
「そんなことかよ。ゲジゲジ男なんて、寧々がサクッとやっつけてくれるって。姉ちゃんがビビることねーだろ。」
そう言って奈理子の肩を軽く叩く。
だが奈理子は首を振る。
「それで…いいの?」
声はかすれていたが、その中に葛藤が滲んでいた。
「ゲジゲジ男は、私を…私自身を狙ってる。あいつと向き合わなきゃ、私はずっとこのままだってわかってる…!」
拳を握りしめ、唇を噛む。体は震えていた。それでも心の奥に小さな火が灯っていた。
隆は困ったように頭を掻いた。
「だけどよ、姉ちゃんが無理しても…。アイツ、普通の相手じゃなかっただろ?」
「だから…私が決着をつけなきゃ。」
奈理子の瞳には、恐怖と、しかしそれ以上に強い決意が宿っていた。
隆は黙り込み、しばらく姉の顔を見つめていた。だが次の瞬間、奈理子は小さく嗚咽をもらす。頬を伝う涙がベッドのシーツに落ちた。
「姉ちゃん…」
「出ていって。」
奈理子は背を向けた。震える声でそう告げた。
隆は何も言わず、扉の向こうに退いた。閉まるドアの隙間から最後に見えたのは、膝を抱えて丸くなる姉の小さな背中だった。
商店街の果物屋前、夏の日差しが店先の色鮮やかな果物を照らしている。店の軒先にあるベンチで、寧々と隆が並んでジュースを飲んでいた。
「美味しい。」
オレンジジュースを口に含んだ寧々は、頬をほころばせながら隣の隆にストローを向ける。
「隆も飲む?」
と促すと、隆は無言でストローをくわえ、そのまま一口。
「…甘いな。」
「次は私の番。」
寧々は軽やかに言って、今度は隆の手からミックスジュースを受け取り、迷いもせずにストローを口に運ぶ。爽やかな果実の味が口に広がった。
果物屋の店主がそれを見て、目を細めながら笑った。
「本当に仲良しだねぇ。まるで中学生のカップルみたいだ。あの隆が寧々ちゃんみたいな女の子と付き合ってるなんて、未だに信じられないよ。」
寧々は苦笑して手を振った。
「そんな関係じゃありませんよ。」
そう言いながらも、周囲から見れば微笑ましい中学生カップルにしか見えない。しかし、その穏やかな雰囲気とは裏腹に、2人の会話の内容は普通の中学生らしいものではなかった。
「奈理子さんが…そんなことを?」
寧々は手元のジュースを見つめながら、隆から聞いた昨夜の話を反芻する。奈理子が自らゲジゲジ男と決着をつけようとしていること――それは簡単に聞き流せる話ではなかった。
ゲジゲジ男。あの怪人が初めて現れたのは、寧々がまだ小学5年生の頃だった。あの時、奈理子は中学2年生で、ただひたすらに必死で。けれど、結果は無惨だった。ゲジゲジ男に捕らえられ、恐怖に引きつったミラクルナイトの顔は、今でも脳裏に焼き付いている。あのとき救ったのは自分――ドリームキャンディだったが、心に残るのは奈理子の怯えた瞳だった。
「寧々、姉ちゃんがやられる前に…頼む。ゲジゲジ男を倒してくれ。」
隆の声は真剣だった。
だが、寧々は俯いたまま返事をしない。沈黙が二人の間に広がる。
「…どうしたんだよ?」
隆が訝しげに寧々の顔を覗き込む。
寧々はふっと息を吐き、視線を上げた。
「奈理子さんが自分で決着をつけるって言うなら、私はそれを見守るしかないよ。」
「でも、ミラクルナイトを守るのがドリームキャンディの使命だろ?」
隆は食い下がる。
寧々は静かに、けれど揺るぎない声で告げた。
「奈理子さんは、自分の力でゲジゲジ男を倒さなきゃいけないんだよ。それが――あの人の恐怖を克服する唯一の方法なんだ。」
隆は何も言えず、ただ歯を食いしばった。ミラクルナイトがゲジゲジ男に勝てるはずがないと、心のどこかで分かっていた。それでも姉は譲らない。
「本当に危ない時は…私が奈理子さんを守る。」
寧々は小さく頷き、言い聞かせるように繰り返した。けれど心の奥でふと疑問が浮かぶ。
――私が負けたとき、隆は私を心配してくれるんだろうか?
そんな思いが胸をよぎった、その瞬間だった。
「水都公園にてトケイソウ女およびゲジゲジ男が出現。ミラクルナイトが交戦中です。市民の皆様は近づかないようにしてください――繰り返します――」
澄んだ空気を切り裂くように、町内放送が鳴り響いた。
寧々と隆は同時に顔を見合わせた。空気が一瞬にして張り詰める。
「…行かなきゃ。」
寧々が立ち上がる。
隆も無言で頷き、2人は駆け出した。夕暮れの街を駆け抜けるその背中に、果物屋の店主は一瞬、声をかけかけてやめた。ただ、空の彼方で鳴り響く警報が、何かの始まりを告げていた。
真夏の太陽がぎらつく午後、噴水広場は市民たちで溢れかえっていた。誰もが固唾を呑んでその光景を見つめている。その中心で、白いコスチュームを翻す一人の少女が立っていた。
水都の守護神――ミラクルナイト。対峙するのは、黒く光る外骨格に覆われた異形の怪人、ゲジゲジ男。彼の背には無数の細長い手足が蠢き、その一本一本が鋭く獲物を狙っていた。
「奈理子、高校生になって…さらに可愛くなったな。」
ゲジゲジ男は蛇のようにねっとりとした声で呟く。
ミラクルナイトはその言葉に身を強張らせた。心臓が激しく胸を打ち、背筋に冷たい汗が伝う。
「ふふ、そうでしょう?」
隣で立つトケイソウ女が妖艶に笑う。
「胸は小さいけど、お尻や太ももの肉付きはもう大人の女よ。」
広場に集まった市民たちがざわめく。ミラクルナイトの頬が赤く染まり、指先が小さく震える。
(……やめて、思い出さないで……!)
中学生の頃。無数の手足に絡めとられ、絶望に沈んだ過去が脳裏をかすめる。決意を胸に戦いに臨んだはずなのに、目の前の怪人を見るだけで足がすくむ。中学生の頃の記憶が蘇る。あの時もこの怪人に立ち向かい、あっけなく敗北したのだ。無数の手足に捕らえられ、力なくもがくしかなかった――あの時の自分が今も胸の奥で怯えている。
しかし、今の私は違う!
恐怖を振り払うように、ミラクルナイトは右手を突き出す。
「えい!」
水色の光弾が閃き、空気を裂いてゲジゲジ男に向かう。
――だが。
「遅い。」
ゲジゲジ男は多足を駆使し、地を這うようなスピードであっさりと光弾を躱した。その残像だけが広場に残る。
「ふふっ。忘れてない?敵は一人じゃないのよ。」
声と同時に、トケイソウ女の背から伸びた無数の蔓が空を裂き、ミラクルナイトを取り囲む。
「えっ――あっ!」
蔓は一気に絡みつき、ミラクルナイトを空中へと引き上げた。腕も足も締め付けられ、息が詰まる。再び立ち尽くす奈理子に、トケイソウ女の蔓が音もなく忍び寄った。
「う…くッ…!」
必死に体を捩るが、蔓はさらに強く絞めつける。
「まずは…奈理子の素顔を拝ませてもらうわ。」
トケイソウ女の声がぞわりと背中を撫でるように響く。蔓が顔に伸び、アイマスクを掠め取った。
「やめてっ…!」
野宮奈理子の素顔が露わになる。市民たちの間でどよめきが起こった。
「怯えた顔も……本当に可愛いわね、奈理子。」
露わになった素顔を前に、トケイソウ女が満足げに微笑んだ。
不意に、蔓が脚元を這い上がり、スカートの中へと侵入を試みる。
「いやっ!やめて!」
必死の悲鳴が広場に響く。しかし、トケイソウ女はその叫びに残忍な笑みを浮かべた。
「さあ、奈理子——全てをさらけ出して?」
だが、奈理子の白いショーツが膝まで引きずり下ろされたその時——!
「トケイソウ女、やめろ。奈理子は——俺だけのものだ!」
「え?…もう、せっかく盛り上がってきたのに…。」
不機嫌そうに腕を組むトケイソウ女が一歩引く。
バサッ。
解放されたミラクルナイトは地面に落ちたが、すぐに膝で踏ん張り、ショーツを穿き直しながら立ち上がる。呼吸が乱れ、肩が小さく揺れている。それでも――
「私は…っ!私は、貴方だけのものじゃない!!」
怒りを宿した瞳でミラクルナイトが叫ぶと、掌から水色の光弾が放たれた!
「がっ……!」
ゲジゲジ男が腕で防御し、広場に爆風が駆け抜ける。
——そして、その光景を見守っていた市民たちが、次第に声を上げ始めた。
「奈理子は水都市民みんなのものだ!」
「負けるな!ミラクルナイト!」
「頑張れーっ!」
声援が次々と広場を埋め尽くす。
(そうだ……私は——)
心臓が熱く脈打つ。背中に浴びる声援が、奈理子の足元を強く支える。
「私は、水都の守護神——ミラクルナイト!みんなを守るため、絶対に負けないっ!」
勝負の火蓋が、いま切られた!
夏休みの噴水広場。
いつもは家族連れやカップルで賑わうその場所は、今や別の熱気に包まれていた。
轟音と共にオレンジ色の光が空を切り裂き、広場に眩い輝きが降臨する。
そこに現れたのは、水都を陰から守るもう一人の戦士——ドリームキャンディ。
その隣には、誇らしげな瞳を輝かせた少年、野宮隆が立っていた。
「キャンディだ!ドリームキャンディが奈理子を助けに来たぞ!」
「あの少年……奈理子の弟だ!?」
市民の間に驚きの声が広がる。
隆は胸を張り、堂々と前へ進み出る。
「そうだ!俺はミラクルナイト・野宮奈理子の弟、野宮隆だ!」
彼の声が広場に響く。
「そして俺は、中学生戦士ドリームキャンディを指揮し、ずっと陰から水都の平和を守ってきたんだ!」
「だから、いつもドリームキャンディが奈理子を助けに現れるのか!」
「さすが奈理子の弟だ!頼んだぞ、隆!」
市民からの声援が嵐のように降り注ぐ。
(まったく……調子に乗りすぎなんだから)
人々の声に応える隆に呆れながらも、ドリームキャンディは視線を戦場に移す。
そこには——
ゲジゲジ男に両足を掴まれてYの字に逆さ吊りにされたミラクルナイトの姿があった。
(奈理子さん、……! またスカートを脱がされちゃってる……。真っ白パンツどころか、お臍まで見えちゃってる……)
意識を失った彼女のスカートは無残にめくれ上がり、柔らかな光を受けて、純白のショーツを風が撫でられていた。
(違う……! まだ、スカートは脱がされていない……!)
状況を把握し、胸が締めつけられる思いでドリームキャンディは拳を握る。
「あっ!あの真っ白パンツは…!」
ドリームキャンディは、奈理子のパンツを見て気付いた。ミラクルナイトフィギュアイベントやライムとの夏祭りデートの日に奈理子が穿いていたシンプルな純白コットンパンツと同じものだ。
「そうだ、あの真っ白パンツは姉ちゃんの勝負パンツ。特別な日に姉ちゃんが穿く、姉ちゃんのお気に入りのパンツだ。姉ちゃんは、相当の決意を以て、ゲジゲジ男に挑んだんだな…」
隆が姉の無念に思いを馳せる。しかし、ミラクルナイトの敗北は明らかだ。
「奈理子はね、ゲジゲジ男の毒にやられたの。手も足も出ずに失神敗北する奈理子の姿、貴女にも見せてあげたかっわ」
トケイソウ女が冷ややかに笑い、ゲジゲジ男はなおも奈理子を強く掴んだ。
「ゲジゲジ男、奈理子さんを離しなさい!私が相手よ!!」
ドリームキャンディが怒りをあらわにし、武器であるキャンディチェーンを地面に叩きつける。鋭い音が周囲に響く。
「フン……お前には恨みがあるが、奈理子が手に入ればお前なんかどうでもいい。奈理子をお持ち帰りして、たっぷりと楽しませてもらうぜ!」
ゲジゲジ男が奈理子のショーツに顔を近づけ、不気味に嗅ぎ取るように鼻を鳴らす。
「奈理子の女の子の匂い、最高だぁ」
「やめなさいっ!!」
ドリームキャンディが叫んだ、そのとき。
かすかに、ミラクルナイトの瞼が震えた。
「……キャンディ……。」
微かな声が、心に届く。
「姉ちゃん!無理するな!今は休んで——!」
隆が横から叫ぶ。
だが、ミラクルナイトは首を振る。
「これは……私が決着をつけなきゃいけないの……。ゲジゲジ男は、私のファン……。ファンに背を向けて逃げるなんて、絶対にできない!」
「逆さ吊りにされて、パンツ丸出しの晒し者にされて、何を言っているんですか?!」
「私のファンに、悪い人はいない。 彼だって、きっと救える。」
その言葉に、ゲジゲジ男が目を見開く。
「……奈理子、まだそんなことを……!」
市民たちもそのやり取りを聞いていた。
「そうだ!奈理子のファンに悪いやつはいない!」
「信じろ、ドリームキャンディ!奈理子ならできる!」
市民が声を上げる。
(さっきまで”奈理子を助けろ!”と叫けんでいたくせに…)
ドリームキャンディはそう思いながら隆を見た。
「姉ちゃん、頑張れよ」
「うん…。お姉ちゃん、頑張る」
隆とミラクルナイトが目を合わせ頷きあう。
「頑張れ、奈理子!」
美しい姉弟愛に魅せられた市民が更にミラクルナイトに声援を送る。
「ミラクルパワー!」
逆さ吊りにされたミラクルナイトの身体が水色に輝きだした。
「うっ!これが噂に聞くミラクルパワーか!」
ゲジゲジ男がミラクルナイトの両足を離す。
「勝負はこれからよ!貴方の私に対する歪んだ想いが勝つか、私の愛が貴方を優しく包み込むか、勝負!」
ミラクルナイトがゲジゲジ男に叫ぶ。
『可愛いは絶体正義』。これが奈理子の信条だ。奈理子の可愛らしさで必ずゲジゲジ男を更生させる。ミラクルナイト・野宮奈理子の本当の戦いが今始まる。
ミラクルナイトは胸の奥で恐怖を抑え込み、毅然とした声を出す。
「私は誰のものでもない!私を思う気持ちが本物なら、こんなことをしてはだめよ!」
しかしゲジゲジ男は首を横に振る。
「俺はお前をずっと見てきた…誰よりも、お前を理解しているのは俺だ! 他の誰にも渡さない!」
ミラクルナイトは唇を噛む。強引な愛情が人を傷つけるものになると、どうしてわかってくれないのか。けれど、彼をただ力で倒すことが本当に正しいのだろうか。彼は「悪」ではなく、奈理子への想いに突き動かされているのだ。
「ゲジゲジ男、あなたの気持ちを否定するわけじゃない。でも、愛ってのは、自分勝手に押し付けるものじゃないの。相手を思うなら、その気持ちで人を傷つけちゃだめ!」
その言葉に、ゲジゲジ男の表情がわずかに揺れる。しかし次の瞬間、その目に執念が戻る。
「違う!お前は俺を拒むくせに、他の誰かには笑いかける…それが許せないんだよ!」
「それでも!私はみんなの笑顔を守るために戦っているの!あなたも、私のことを好きでいてくれるなら、その気持ちで誰かを守る側になって!」
ミラクルナイトの声が響き渡る。傍観していた市民たちが息を呑む中、ゲジゲジ男は葛藤に顔を歪めた。
「……くっ…俺は……本当に……」
その瞬間、ゲジゲジ男の動きが止まる。ミラクルナイトは一歩、彼に近づいた。
「あなたは変われる。私を好きでいてくれた、その気持ちはきっと優しいものだったはず。だから…あなた自身を、憎まないで!」
ゲジゲジ男はぎゅっと拳を握りしめ、そして膝をついた。
「俺は…奈理子、お前に出会って、初めて誰かを本気で好きになったんだ…でも、それが間違ってたのかもしれないな…」
ミラクルナイトは小さく微笑んだ。
「間違ってたんじゃない。やり方が間違ってただけ。愛は、誰かを守る力になるんだよ。」
広場に、静かな拍手が湧き上がった。緊張の糸がほどけるように、ゲジゲジ男の背中から力が抜けていく。彼はただ、小さく呟いた。
奈理子の言葉は、確かにゲジゲジ男の心に波紋を投げかけていた。
彼の眼に迷いの色が宿り、その大きな手がわずかに緩む。しかし——。
「ゲジゲジ男、目を覚ませ!奈理子に惑わされるんじゃない!」
冷酷な声が広場に響き渡る。
トケイソウ女が鋭く叫ぶと同時に、蔓が空を裂き、ミラクルナイトに襲いかかった。
「うっ——あぁっ!」
奈理子の体が瞬く間に絡め取られ、宙に引き上げられる。
「奈理子さん!」
ドリームキャンディが駆け出し、キャンディチェーンを構える。助けたい——その一心で。
しかし、トケイソウ女は薄く笑みを浮かべると、冷ややかに命じた。
「出でよ、ウズムシども!ドリームキャンディの足を止めろ!」
地面がうねり、噴水広場に三体のウズムシ男が現れ、ドリームキャンディを囲む。
「くっ……邪魔だ!」
キャンディチェーンを構えるキャンディ。しかし、時間は待ってくれない。
「ゲジゲジ男!」
トケイソウ女は鋭い声を飛ばす。
「お前の奈理子への想いは、その程度のものか?!」
その言葉に応えるように、蔓がミラクルナイトのスカートを強引に引き裂いた。
「いやっ!」
無惨にも、純白のショーツが人々の視線に晒される。
「やっぱり今日もスカート脱がされちゃった!」
ドリームキャンディが悔しそうに叫ぶ中、広場の市民は騒然とする。
「うおー!これがなきゃ始まらないぜ!」
「奈理子、真っ白パンツ可愛いぞ!」
不謹慎にも声援を送る人々。
奈理子は顔を真っ赤にしながらも、恥ずかしさに唇を噛みしめた。
「やめなさいっ!」
怒りに燃えるドリームキャンディがウズムシ男たちに立ち向かう。だが、トケイソウ女の声が鋭く響く。
「ゲジゲジ男、お前はもう引き返せない!奈理子を倒すか、手に入れて我が物にするしかないのだ。さもなくば、また刑務所に逆戻りだぞ!」
「違う……!」
ミラクルナイトは縛られながらも懸命に声を上げた。
「ゲジゲジ男は……きっと、やり直せる!信じて……!」
「黙れ!」
トケイソウ女の蔓が容赦なく締め付ける。
「うぅぅっ……」
息が詰まり、ミラクルナイトの声が小さくなる。
「可愛いだけが取り柄の弱小ヒロインは、大人しくしてなさい!」
そう言い放つと、蔓の拘束が外れ、力を失ったミラクルナイトは石畳に落下した。
「奈理子さん!」
ドリームキャンディが駆け寄ろうとするが、ウズムシ男たちが進路を塞ぐ。
「キャンディちゃん、俺たちと遊ぼうぜ?」
「邪魔よ!」
ドリームキャンディは渾身の声を上げた。
「キャンディシャワー!!」
七色の光が弧を描き、ウズムシ男たちを一瞬で呑み込む。
「ギャァァァッ!」
悲鳴と共に、影が弾け飛ぶ。
しかし、戦いは終わらない。
「ゲジゲジ男……こんなに弱いミラクルナイトに惑わされてどうするの?あなたなら、奈理子を意のままにできるのに。」
トケイソウ女の声が甘く誘うように響く。
だが、ゲジゲジ男はその言葉に応えなかった。
ただ——失神し、肩を貸されるミラクルナイトをじっと見つめていた。
「貴女……絶対に許さない!」
ドリームキャンディの瞳が怒りで燃える。
そして——
ゲジゲジ男がポツリと呟いた。
「奈理子……俺は……もう後戻りはできないんだ。」
その声を最後に、ゲジゲジ男は背を向け、噴水広場を後にする。
「待ってよ!私を置いていかないで!」
トケイソウ女が慌てて後を追った。
そして、残されたのは沈黙と、倒れたミラクルナイトを抱きしめるドリームキャンディだけだった。
水都公園の噴水広場に静けさが戻る頃、ゲジゲジ男とトケイソウ女の影はすでに消えていた。
その場に残ったのは、力なく倒れたミラクルナイトと、彼女をそっと抱きかかえるドリームキャンディだけだった。
「奈理子さんの言葉は……きっと、ゲジゲジ男に届いたはずですよ。」
ドリームキャンディが優しく囁きかけるが、ミラクルナイトのまぶたは閉じたまま、答えはない。ただ、胸元のかすかな鼓動が、まだ戦いの意志を示しているようだった。
しかし、その穏やかな時間は突如として破られる。
「ドリームキャンディさん!こっちを向いてください!」
「奈理子さんの弟、隆くんとの関係について一言お願いします!」
マスコミが押し寄せ、フラッシュが容赦なく弾ける。
「えっ……隆は?!」
ドリームキャンディは慌ててあたりを見回す。しかし、隆の姿はもうなかった。
(隆……マスコミに捕まる前に逃げたんだ。)
囲まれる中、テレビ局の女性リポーターがマイクを突きつける。
「ドリームキャンディさん、今日もウズムシ男に見事な勝利を収めましたね。おめでとうございます!」
「……ありがとうございます。」
表情を引き締めて返すが、胸の中に違和感が残る。
(おめでとう、って……スポーツじゃないのに。敵を倒すのは”おめでとう”なのかな……?)
だが、思索を続ける余裕はない。
「一方で、ミラクルナイトこと野宮奈理子さんは可愛い姿を見せてくれましたが、残念ながら今日も敗北してしまいました。奈理子さんについて一言お願いします!」
「奈理子さんは、頑張りました!トケイソウ女の邪魔さえなければ、ゲジゲジ男を説得できていたと思います!」
とっさに応じたが、すぐに気づく。カメラのレンズがミラクルナイトの脚元を執拗に狙っていることに。
「ちょっ、やめてください!奈理子さんの……パンツは撮らないでください!」
必死に庇おうとするものの、ミラクルナイトはスカートを剥がされている状態で隠しきれない。ミラクルナイトの無防備な姿がモニターに映し出され、周囲からどよめきが上がる。
「トケイソウ女から、ミラクルナイトは“可愛いだけの弱小ヒロイン”と指摘されていました。ドリームキャンディさん、奈理子さんに足りないものは何だと思いますか?」
「えっ……?」
突然の不躾な質問にドリームキャンディは言葉を詰まらせる。
自分の腕に抱かれているミラクルナイトは、今もか細い呼吸を繰り返しているだけ——それでも、戦いの中で見せた勇敢な姿が脳裏に蘇った。
カメラは、失神したミラクルナイトを捕らえている。
「見せ物じゃありません!奈理子さんを撮らないで!!」
怒りが込み上げ、ミラクルナイトを必死に抱き締める。だが、カメラはどこからでもレンズを向けてくる。
「……奈理子さんには、足りないものなんてありません!」
ドリームキャンディはきっぱりと告げた。
「彼女は、完全無欠の水都の守護神です!」
抱きしめる腕に力を込め、震える声を抑えきれず続ける。
「こんなに可憐で……可愛い奈理子さんが、恐怖心を克服して、この街を守るために戦っているんです!足りないものがあるはずないじゃないですか!!」
思わず、カメラに向けてミラクルナイトを見せつけるように高く抱え上げた。
「奈理子さんは——皆さんのヒロインなんです!!」
「おお!奈理子ちゃん、可愛いぞ!」
「さすが純白の天使だ!染みが付いているけど、そこがまたイイ!!」
マスコミや市民から歓声が湧き上がり、フラッシュが止まらない。
(奈理子さんは……こんな人たちを、いつも相手にしてたんだ……。)
ドリームキャンディは胸の奥で小さく思った。
(私なら、絶対に耐えられないよ。でも、奈理子さんは——。)
彼女を支える腕が、自然と強くなる。
戦いは終わったはずなのに。
それでも噴水広場には、勝者インタビューという名の“もう一つの戦い”が続いていた。
(第170話へつづく)
(あとがき)














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