ミラクルナイト☆第225話
噴水広場・夕刻
放課後の街に、突如として混乱が走った。
ブナシメジ男の撒いた幻覚胞子が、まだ一部の市民の神経に残っていたのだ。
噴水広場では、人々が錯乱し、互いに掴み合い、悲鳴と怒号が交錯する。
「やめて!落ち着いて!」
駆け寄る警官も群衆に飲まれ、制御が利かない。
噴水の水面に、ひとすじの波紋。
それが一瞬、赤黒く輝いた。
――次の瞬間。
群衆の真ん中で、誰かの影がゆらりと立ち上がった。
光を反射する銀黒の装甲。
胸に刻まれたΣ(シグマ)の紋章。
赤いマフラーが、風に靡いた。
「……誰だ?」
「ヒーローか?」
ざわめく市民。
彼は答えなかった。
代わりに、右手を軽く掲げる。
掌から放たれた蒼白い衝撃波が、地面を這うように広がる。
その波に触れた人々の体が、柔らかく光に包まれ――
幻覚に囚われていた瞳から、恐怖の色が消えていく。
「え……さっきまで……?」
「頭の中が静かになった……」
群衆のざわめきが、静寂へと変わる。
「泣くな」
低く、冷たい声が噴水広場に響いた。
彼は倒れていた少女の肩に手を置いた。
触れた場所がじんわりと温かく光り、少女は正気を取り戻す。
「涙は、判断を曇らせる。」
風が吹き抜けた。
マフラーがふわりと舞い、銀の仮面の片眼が夕日を映した。
「貴方は……誰……?」
と、少女がかすれた声で問う。
「……秩序を取り戻す者。」
そう呟くと、彼は噴水の縁を軽やかに跳躍し、
ビルの屋上へと着地した。
その瞬間、尾のような半透明の膜翼が夕陽に光を返す。
まるでイモリが水面を泳ぎ去るような、静かで滑らかな動き。
「新しい守護神だ!」
「ミラクルナイトより落ち着いてる!」
市民の歓声が上がる。
誰も、彼の素顔がかつての穢川研究所の科学者・志摩京介であることを知らなかった。
――イモリの再生細胞により甦った、人ならざる者。
仮面騎士シグマ。
水都の秩序を名乗る、冷血の救世主。
ドリームキャンディと仮面騎士シグマ
「幻覚を鎮めたのは……あの人、なの?」
噴水の縁に立つ黒い仮面の戦士を、寧々は見上げた。
その姿は、戦士というよりも“静寂そのもの”だった。
夕陽が銀黒の装甲を赤く染め、風がマフラーを揺らす。
「奈理子さんと凜さんが倒れた今……」
寧々は拳を握った。
あの2人に代わりに、水都を守らなければ。
――その決意で、彼女は短く叫んだ。
「変身!ドリームキャンディ!」
オレンジの光が弾け、彼女の小さな体を包む。
リボンと飴のモチーフが瞬き、武器キャンディチェーンが手に収まった。
噴水広場の市民がざわめく。
「奈理子と凛ちゃんの仲間だ!ドリームキャンディだ!」
「今度は何が起こるんだ……?」
寧々は噴水の縁に軽く跳び上がり、シグマと対峙した。
「あなた、誰なんですか? 何者なんですか?」
シグマは振り向かずに答えた。
「……秩序を守る者だ。」
「秩序?」
「この街には、感情が溢れすぎている。怒り、恐怖、欲望。
――それが混乱を生む。」
シグマの声は低く、機械のように冷たい。
だが、その一言一言が妙に重く響いた。
「私は泣きもしない。笑いもしない。
それが戦士としての完全な形だ。」
「でも……」
とドリームキャンディ。
「人を助けるのは、感情があるからじゃないんですか?
悲しい顔を見たら、放っておけないって思う気持ちが――」
「それが弱さだ。」
即答だった。
ドリームキャンディは息を呑む。
その瞬間、彼の赤いレンズの奥がかすかに揺らいだ。
「お前の理性は悪くない。
他の2人とは違う。
感情に流されず、判断できる。
お前だけは……救えるかもしれない。」
「救える……?」
「穢れた涙を流す前に、私の側へ来い。
“冷たい正義”を教えてやる。」
ドリームキャンディの胸の奥がざわついた。
敵か味方か分からない。
だけど、その声の奥には――どこか、人間の温度が残っているようにも感じた。
「私は……あなたを信じない。」
そう言い切ったドリームキャンディに、シグマは微かに笑ったようだった。
「理性の答えか。悪くない。」
そして彼は、マフラーを翻し、夜の闇へと消えた。
残されたのは、冷たい風と噴水の水音だけ。
ドリームキャンディはしばらく立ち尽くしていた。
夕暮れの光が沈み、街の灯が灯る。
「……冷たい正義、か。」
その言葉が、彼女の心に妙な引っかかりを残した。
穢川研究所・研究室 ― 甦る名と、笑う男
夜の穢川研究所。
誰もいない廊下に機械の冷たい駆動音が響く。
篠宮が設計していた戦術シミュレーターのモニターに、
突然ノイズが走った。
「……あれ?」
深夜の監視室でコーヒーを片手にいた絹枝が、画面を覗き込む。
砂嵐の向こうに、銀黒の影。
胸にΣの紋章。
赤いマフラーが風に揺れる。
「九頭先生!」
慌ててインターホンに手を伸ばした。
数分後。
重厚な金属扉が開き、九頭所長が白衣を翻して現れる。
無精ひげに、いつもの淡々とした笑み。
「どうした、絹枝くん。こんな時間に……」
「これを見てください!」
絹枝が指差すモニター。
映っていたのは、噴水広場で市民を救う“仮面の戦士”の姿。
九頭は一瞬、目を細めた。
だがすぐに、口角を上げて笑った。
「……ふ、ふはははは。なるほど。まさか、奴が生きていたとはね」
「志摩先生……ですか?」
絹枝の声が震えた。
九頭はうなずいた。
「そう。志摩京介。あの愚か者め。
イモリ細胞実験の暴走で焼け焦げたはずが――」
「まさか、あのときの薬液が……」
九頭は机に手をつき、目を細める。
「イモリは再生の象徴。あれを人に投与すれば、不死にも等しい回復能力を得る。
だが同時に、“情動の死”をもたらす。
感情を捨てた、理性の機械人間……」
絹絵は首をかしげる。
「再生能力ならば九頭先生やウズムシも……」
九頭=ヒドラ男とウズムシ男にも再生能力がある。しかし、彼らは感情の赴くままに自由気ままに生きているようにしか絹絵には見えない。
「私、そしてウズムシ男には薬の力には負けない強烈な『奈理子愛』がある。
奈理子の可愛い姿を見たい為に、私は研究を行い、ウズムシ男は戦うのだ。
志摩とは精神の強さが違う」
「そうですか……」
ため息をつく絹絵。
モニターでは、仮面の男が人々の前で無言のまま立ち去る映像がリピートされている。
「志摩京介……いや、今は“シグマ”と名乗っているようですね」
「Σ(シグマ)か。最期まで、私の数式に囚われたか。」
九頭は椅子に深く腰を下ろし、顎を撫でた。
「九頭先生……どうなさるおつもりですか? 彼は、敵ですか?」
九頭は薄く笑う。
「敵? いや――今のところは“興味深い被験体”だ。」
彼はモニターを指で軽く叩いた。
「この街には感情をもてあそぶ女が多すぎる。
泣き、叫び、怒り、恋をする。……それが美しいんだよ、絹枝くん。
だが、あいつはそれを嫌う。
面白いじゃないか、感情を否定する存在が、感情の象徴と戦うなんて。」
「まさか……奈理子さんたちを……」
「うむ。奈理子を泣かせてみたくなった。」
九頭の笑みが、実験者の狂気を孕む。
絹枝は息を呑んだ。
モニターの中で、仮面の戦士シグマが夜の街を歩いていく。
背後に燃えるような赤いマフラー。
それはまるで、冷たい理性に抗う“残された情熱”のように見えた。
九頭は呟いた。
「再生のイモリと、涙の少女。
どちらが人間らしいか――この実験で、証明してやろうじゃないか。」
穢川研究所・社長室 ― 冷徹なる決断
天井まで届くガラス窓の向こうに、夜の水都の街が広がっていた。
ネオンサインの光が、床の大理石を鈍く照らしている。
社長室――その静寂を破るように、重厚な扉が開いた。
「九頭博士、参りました」
黒いスーツの男、渦巻が一歩進み出て頭を下げる。
その後ろに、白衣の九頭博士が続く。
壁際では、社長秘書の一ノ木多実がタブレットを抱え、控えめに一礼した。
デスクの奥、革張りの椅子に座るのは――
勅使河原グループ総帥、勅使河原宗一郎。
三十代。整えられた銀髪と静かな目。
水都の政治・経済の半分を裏から動かす男だ。
「……座りたまえ、九頭先生。」
重く低い声。
九頭博士は微笑を浮かべたまま、応接ソファに腰を下ろした。
「報告を聞こう。」
九頭は指先でモニターを操作した。
立体映像が浮かび上がる。
銀黒の装甲、赤いマフラー――仮面騎士シグマ。
「これは……」
勅使河原の眉がわずかに動いた。
「はい。イモリ細胞実験の被験者、志摩京介です。
爆発事故で死亡したはずの彼が――“再生”していました。」
「生きていた、だと?」
渦巻が一歩前へ出る。
「不死性と再生能力。さらに自己修復した筋繊維が装甲化している。
恐らく、イモリ男として完全に変異しています。」
「……敵か味方かは?」
勅使河原の声は穏やかだが、室内の空気が凍る。
九頭は唇の端を上げた。
「どちらでもありません。今の彼は“理性のみで動く個体”です。
感情を失い、命令にも従わない。
しかし、それゆえに――観察に値する。」
「観察だと?」
渦巻が声を荒げる。
「そんな不確定要素、放っておけば裏切られる!
我々の実験情報を外に漏らす危険もある。早急に抹殺すべきです!」
「ふむ……」
勅使河原は椅子の肘掛けに指を組み、九頭を見た。
「君はどう考える、九頭先生。」
「泳がせておくのが良いでしょう。
シグマが“何を守ろうとするのか”を見極めたい。
感情なき者が、感情の街――水都でどう動くのか。」
渦巻が苛立ったように拳を握る。
「社長、九頭先生の実験欲に付き合う義理はありません!」
「……だが、九頭先生の言うことにも一理ある。」
勅使河原は短く答えた。
「シグマを泳がせる。ただし、監視は怠るな。」
「はっ。」
渦巻は頭を下げた。
その目の奥に、冷たい怒りの炎が宿る。
会議が終わり、九頭と渦巻が退出した後。
渦巻は誰もいない廊下で小さく呟いた。
「……泳がせる? ふざけるな。」
懐から通信端末を取り出す。
『こちらタニシ男。出撃準備は整っております。』
「よし、行け。
“シグマ”と名乗る仮面の戦士――
奴の正体を探り、始末しろ。」
通信が切れる。
渦巻の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「九頭先生の玩具を、私が先に壊してやる。」
グフグフハンバーガーの午後
外はすっかり冬の気配だった。
街路樹の葉はほとんど落ち、噴水広場には冷たい風が吹き抜ける。
放課後の「グフグフハンバーガー」には、
制服姿の学生たちがそれぞれにホットドリンクを手に談笑していた。
窓際の席、
水都女学院高校の水色セーラー服に身を包んだ奈理子は、
トレイの上のミラクルバーガーを一口かじると、
頬を少し膨らませながら言った。
「凜さん、最近忙しそうだよね……。
神社の行事が多い季節だし、巫女のお仕事もあるし……」
「年末の準備もあるみたいですしね。」
向かいの席で答えたのは、
市立水都中学の紺色セーラー服をきっちり着こなす寧々。
彼女はストローを指でくるくる回しながら、
少し沈んだ目をしていた。
奈理子はハンバーガーを置いて、
「どうしたの? 寧々ちゃん、元気ないよ?」
と覗き込む。
寧々は唇を噛み、少し間を置いてから言った。
「……昨日、あの仮面の男に会いました。
シグマ、って名乗っていました。」
奈理子の瞳がわずかに揺れる。
「シグマ……?」
「噴水広場で。私がホンシメジ男の残党を追ってたときに、
突然現れて、市民を守ったんです。
でも――なんか、人間らしくなかった。
まるで機械みたいで……冷たい目をしてました。」
奈理子は少し首を傾げる。
「冷たい目でも、市民を守ったなら、いい人かもしれないよ?」
「そうだといいですけど……」
寧々は俯き、
カップのミルクティーを見つめながら続けた。
「ホンシメジ男はまだ健在です。
ブナシメジ男も動いてる。
それに、あの仮面のシグマまで……
敵が多すぎて、もう誰を信じていいのか分からない。」
奈理子は少しだけ笑みを浮かべた。
その笑みは寧々の目には、あまりにも無邪気で――
どこか危うく見えた。
「大丈夫だよ。私はどんな相手でも――
市民の前では、ちゃんと可愛く、明るく戦うから!」
「……可愛く、明るく?」
「うんっ!」
奈理子は両手で頬を叩いて笑った。
「怖い顔して戦ったら、水都の守護神らしくないでしょ?
ミラクルナイトは、市民の希望と癒しの象徴なんだから!」
「……そういうところ、やっぱり奈理子さんらしいですね。」
寧々は苦笑する。
だが、その胸の奥では何かが引っかかっていた。
“可愛く戦うこと”――それが奈理子の強さ。
でも同時に、彼女を最も危うくしているものでもある。
窓の外では、街の灯がぽつりぽつりと点り始めていた。
その明かりが、
奈理子の柔らかな横顔をぼんやりと照らしている。
寧々は思った。
――この人を守らなきゃ。
どんな敵が来ても、この人だけは。
だがそのとき、
遠くから、消防車のサイレンが夜空に響いた。
そして、誰かのスマホが震え、
水都市の防災アプリが“正体不明の怪人出現”を知らせる。
奈理子は、すっと立ち上がった。
瞳の奥に、戦士の光。
「行こう、寧々ちゃん!」
「……はい。」
少女たちは席を立ち、
外の冷たい風の中へと駆け出していった。
ミラクルナイトとドリームキャンディ――
再び、水都の街に奇跡のリボンが舞う。
冬の交差点 ― 菌糸の罠
夕暮れの水都。
白い息が街のネオンに溶けていく。
放課後の喧騒が消えかけたころ、
噴水広場近くの交差点に、
不穏な“胞子の霧”が広がった。
「……来たわね」
ミラクルナイトが身構える。
水色のリボンが風に揺れ、瞳は決意に燃えている。
「はい……この匂い、間違いない」
ドリームキャンディがキャンディチェーンを構える。
その視線の先――
街灯の上に、茸の帽子を揺らす二つの影。
「ふはははっ、よく来たな、ミラクルナイト!」
声高に笑うのはホンシメジ男。
赤茶の傘に、筋肉の鎧。
その体から、胞子の閃光が噴き出している。
「貴様の“再戦”を楽しみにしていたぞ!」
その隣には、眼鏡を掛けた細身の男。
同じ茸でも、明らかに知的な雰囲気を漂わせる――ブナシメジ男。
「私はあくまで戦術支援だ。無駄に暴れるなよ、ホンシメジ男。」
「うるさい! 戦いは気合いだ!」
兄弟のようでいて、まるで噛み合っていない。
「また出てきたのね、ホンシメジ男……!」
「今日こそ、奈理子さんは私が守ります!」
二人のヒロインが同時に飛び出す。
だが――
ブナシメジ男の掌が一閃すると、地面から白い菌糸が伸び、
ドリームキャンディの足を絡め取った。
「なにっ!? 足が……動かない!」
「菌糸拘束《マイセル・バインド》――戦闘の基本だよ、可愛い中学生戦士。」
冷笑を浮かべるブナシメジ男。
その間に、ホンシメジ男が大地を踏み鳴らす。
「マイコ・クラッシュ!」
茸の傘が巨大な盾のように広がり、衝撃波が地面を走る。
「きゃあっ!」
ミラクルナイトの細い身体が吹き飛び、噴水の縁に叩きつけられた。
「奈理子さん!」
ドリームキャンディがキャンディチェーンを引きちぎり、拘束を断つ。
だがその瞬間、ブナシメジ男が笑う。
「焦るな、まだ“胞子拡散”は終わっていない。」
辺りが白い霧に包まれた。
視界が奪われ、耳に届くのはホンシメジ男の荒い息遣い。
「これがホンシメジ男の“呼吸”だ……毒胞子で感覚を狂わせる!」
「うっ……! 目が……見えない……」
ドリームキャンディの視界が霞む。
だがミラクルナイトは、よろめきながらも立ち上がった。
ボロボロのコスチューム、頬には傷。
それでも笑っていた。
「……私、負けない……水都の人たちの笑顔を守るの!」
「その根性、買ってやるッ!」
ホンシメジ男が拳を振り下ろす。
「ミラクル……!」
ドリームキャンディの叫びも届かない。
鈍い衝撃音が響き、ミラクルナイトの身体が再び宙に舞う。
「ぐっ……」
崩れ落ちるミラクルナイト。
「終わりだ。今日こそ“守護神”の名を地に落とす!」
ホンシメジ男が胞子の刃を構える。
「やめてぇっ!」
ドリームキャンディが必死に駆け寄り、ミラクルナイトの身体を抱き起こした。
「奈理子さん、しっかりしてください!」
そのとき――
――風が止んだ。
白い霧が、切り裂かれた。
「……誰だ?」
ホンシメジ男の声が低く響く。
霧の向こうから、
黒い影がゆっくりと歩いてくる。
銀と漆黒の装甲。
胸にはΣの紋章。
赤いマフラーが風に踊る。
「……貴様は……」
ブナシメジ男が目を細めた。
「仮面騎士――シグマ。」
「人間でも、魔物でもない。」
低く、静かな声。
「ただ、理(ことわり)に反する者を――排除する。」
その瞳には、感情の色がなかった。
けれど、その姿は確かに“正義”のようにも見えた。
ミラクルナイトの前に立つ仮面の戦士。
そして、吹き荒れる冬の風。
――ここから、新たな戦いが始まろうとしていた。
菌糸の夜 ― 仮面騎士シグマ、動く
シグマが現れた瞬間、
ホンシメジ男の筋肉がピクリと震えた。
白い胞子の霧を吹き飛ばすように一歩、また一歩と前に出る。
「てめぇが……シグマか。」
「そう呼ばれている。」
低く抑えた声。風が赤いマフラーをなびかせる。
背後で、ブナシメジ男が舌打ちをした。
「馬鹿な……本当に出てきたのか。先生の“観察対象”が。」
ホンシメジ男が振り向く。
「所長の話は聞いた。あの仮面は、俺たちの敵でも味方でもねえ。
だがな――強い奴がいるなら、試さずにはいられねえ!」
「待て、ホンシメジ男!」
ブナシメジ男が止める。
「先生は“シグマとミラクルナイトを戦わせたい”と言っていた。
ここでお前が出ては計画が台無しだ!」
「知るか! 戦いは頭で考えるもんじゃねぇ!」
ホンシメジ男は笑うと、地面を踏み鳴らした。
胞子の爆風が巻き上がり、夜空が白く霞む。
「シグマァ! 来いッ!」
シグマは無言のまま歩み出た。
その一歩一歩が、まるで重力そのものを刻むように静か。
「戦闘行動、開始。」
銀の手甲から、紅い光が閃く。
次の瞬間、二人の巨体が激突した。
――ドンッ!!
衝撃波が広場を貫き、舗装が割れる。
シグマの拳がホンシメジ男の胸を叩き、
ホンシメジ男の腕がシグマの顔面を薙ぐ。
「ぬぅっ……! こいつ、装甲が硬ぇ!」
「お前の筋肉、密度は高いが構造が単純だ。」
淡々と分析するシグマ。
ホンシメジ男は唸り声を上げた。
「機械みてぇな口をききやがって!」
傘のような茸の笠を展開、胞子を一気に爆散させる。
白煙が包み、爆ぜる。
シグマのシルエットが揺らいだ。
「どうだ、見えねぇだろう!」
ホンシメジ男の拳が突き出され――止まる。
「ぬっ?!」
霧の中、赤い光が走った。
シグマの掌がホンシメジ男の胸を撃ち抜いていた。
「分析完了。」
「な、なんだと……」
ホンシメジ男の体表が一瞬にして熱を帯びる。
「貴様……胞子の発熱を利用して攻撃したのか……?」
「お前の“胞子圧縮熱反応”を、コピーした。」
シグマの声は感情を含まない。
「戦闘対象のデータ、収集完了。」
ホンシメジ男は息を荒げ、笑った。
「ハッ、なるほどな……所長が興味を持つわけだ。」
体表を黒く変色させながら、
背後のブナシメジ男に叫ぶ。
「今日は退く! こいつ、まだ“何か”隠してやがる!」
ブナシメジ男が一瞬迷ったが、
すぐに煙幕胞子を噴出させ、兄を包み込む。
「撤退だ、ホンシメジ男!」
白い霧が風に消えたとき、
広場にはシグマだけが残っていた。
「戦闘終了。対象、逃走。」
シグマは空を見上げる。
街の灯りが瞳に映り込んでも、その表情は変わらない。
ただ、胸の奥で何かが微かに動いた。
それを、遠くの建物の屋上から――
粘着質な影が見ていた。
「へっへっへ……お楽しみ中だったようで」
金属質な声が湿った夜気に響く。
ビルの縁に張り付く男――タニシ男。
甲羅のような背中を軋ませながら、
小さく通信機を取り出す。
『渦巻様、報告。仮面の戦士、シグマ――生存確認。
戦闘力、想定以上。九頭所長の制御下にはない模様。』
『……いい。続けろ。泳がせておけ。だが、決して目を離すな。』
「了解……へっへっへ、ぬめぬめの監視任務といこうかねぇ……」
タニシ男は甲羅の隙間から水を滴らせながら、
静かに夜の闇に溶け込んでいった。
その頃――
地上ではシグマが一人、割れた舗装の上で立ち尽くしていた。
「……なぜ、俺は……人間を……守った?」
その問いは誰にも届かず、
冬の風が、ただ冷たく吹き抜けた。
静寂の広場 ― 仮面と少女
噴水広場に、再び静寂が戻っていた。
地面には割れたタイル、舞い散る胞子の残骸。
倒れたミラクルナイトのコスチュームは傷つき、
彼女の胸元に光るリボンが微かに脈動している。
ドリームキャンディはそっと奈理子の身体を抱き起こし、
震える指先でその頬に触れた。
「奈理子さん……お願い、目を覚まして……」
返事はない。
ただ、穏やかな寝息だけが聞こえる。
その背後から、
重く、硬い足音が近づいた。
「……その娘が、水都の守護神ミラクルナイトだな」
ドリームキャンディが振り向く。
赤いマフラーを揺らし、
仮面の男――シグマが立っていた。
「お前が……シグマ、ですね」
少女の瞳に、警戒と興味が入り混じる。
シグマはただ頷いた。
「戦闘介入は不要だった。
だが、彼女はあまりに脆弱だ。」
「“脆弱”って……!」
ドリームキャンディは立ち上がる。
怒りが声を震わせた。
「奈理子さんは弱くなんかない!
何度倒れても立ち上がって、市民を守ってきたんです!」
「……そうか。」
シグマは視線をミラクルナイトに落とす。
彼の仮面の奥に、わずかな陰りが見えた気がした。
「人間は何度も倒れる。
それでも立ち上がる理由があるというのなら……
それは俺にはない力だ。」
「……どういう意味?」
シグマは少しだけ、顔を上げた。
街灯の光が仮面の銀面に反射して、
彼の輪郭を淡く浮かび上がらせる。
「俺は“再生”で生かされた存在だ。
命令と記憶の狭間で、何が正しいかを失っている。」
「それでも、奈理子さんを助けたじゃないですか。」
ドリームキャンディが言った。
「敵と味方を見分けられないのに、あの人を守った。
それは……あなたの心が、人間のままだからです。」
シグマは沈黙した。
長い数秒の後、
風がマフラーを大きく翻す。
「……お前の言葉、記録しておこう。」
「記録、って……」
「人間は記録しなければ忘れる。
俺は、記録しなければ“思い出せない”。」
そして、シグマはゆっくりと踵を返した。
夜の街の闇の中へ、無音で歩き出す。
「待って!」
ドリームキャンディが叫ぶ。
「あなたは、敵なの? 味方なの!?」
立ち止まるシグマ。
振り向かず、ただ言葉だけを残した。
「……俺は、理(ことわり)に背く者の敵だ。」
その一言だけを残し、
仮面の戦士は冬の夜へと消えていった。
噴水広場には、
彼の去り際に残ったマフラーの繊維片がひらりと舞う。
ドリームキャンディはそれを拾い、
手の中でぎゅっと握りしめた。
「……理に背く者、か。
だったら、あなたが守ったこの人は――
理そのものだよ、シグマ。」
冷たい風の中で、
少女はミラクルナイトを抱きかかえ、
遠くに見える水都神社の灯を目指して歩き出した。
水都神社・仮面の影
朝の光が、社務所の障子を透かして差し込む。
薬草の香りとお湯を沸かす音。
畳の上で目を覚ました奈理子は、しばらく天井を見上げていた。
「……ここ、水都神社?」
「気がついた?奈理子。」
凜の声がした。
巫女装束ではなく、白いカーディガンにジーンズ姿。
寝起きの奈理子に湯呑みを手渡す。
「昨日、倒れたあなたを運んでくれたのは寧々よ。」
「寧々ちゃんが……?」
部屋の隅で、椅子に腰かけていた寧々が小さく頷いた。
水都中学の制服のまま、目の下にはうっすらと疲れの影。
「……奈理子さん、気を失っていたんですよ。
ホンシメジ男たちは退いたけど、あやうく街はもっと大変なことになるところでした。」
奈理子は少し照れたように笑った。
「ありがと、寧々ちゃん……」
「でも、奈理子さんを守ったのは私じゃなんです。」
「え?」
奈理子は湯呑みを置き、ゆっくりと顔を上げた。
「……仮面の戦士が現れんです。赤いマフラーをつけた人。」
その言葉に、凜の表情が固まった。
「やっぱり……寧々の言っていた“仮面の男”ね。」
寧々は深く頷いた。
「彼は名乗りました。――“シグマ”って。」
寧々はうつむきながらも、どこか遠くを見るような目をしていた。
「冷たい声だったけど……私たちを守ってくれた。」
凜が腕を組む。
「敵か味方か、まだ分からない。
でも、私が属していた集団が“生物の能力を模した戦士”を作っていたのは事実。
その中の一人かもしれないわ。」
「でも、助けてくれたんですよ?」
寧々が声を上げる。
「彼は、敵の攻撃を受けてまで私たちを守ったんです!」
凜はすぐには返さなかった。
少し間を置いて、静かに言った。
「……守る理由が“人間の意思”じゃないかもしれない。」
「どういう意味ですか?」
「命令、あるいは記憶。
もし彼が連中とかかわりがある者なら……
あの仮面の下にいるのは、かつて人間だった誰かよ。」
奈理子は驚いて凜を見た。
「えっ……人間だったの……?」
凜は頷いた。
「水都製薬の研究所にいた天才科学者が、少し前、事故で亡くなった。
“イモリの再生能力”を応用した実験中にね。
――もしそれが成功していたら、死から蘇ることすら可能になる。」
「死から……蘇る?」
奈理子の唇が震える。
寧々は拳を握った。
「そんな……人の命を、道具みたいに扱うなんて!」
凜が微かに笑う。
「その通り。でも、もし彼が自分の意志で蘇ったのなら――
本当に敵なのか、まだ分からないわ。」
寧々は黙って立ち上がり、障子を開けた。
冬の空、境内の木々が光を受けて白く輝いている。
「……あの人の目、冷たかったけど、どこか悲しそうだった。
もし、あの人が迷っているなら……私、話してみたいに。」
「寧々ちゃん……私は、寧々ちゃんが感じたことを信じる。シグマは敵じゃないのかもしれない」
と奈理子。
凜はため息をついた。
「あなた、そういうところだけは昔から変わらないわね。」
「だって、困ってる人を放っておけないんだもん。」
奈理子は笑う。
その笑顔はまだ少し弱々しいが、確かな光を宿していた。
凜はふっと視線を逸らし、
「……まったく、世話の焼ける守護神だわ。」
と呟いた。
三人の会話を、神社の屋根の上から
静かに見つめる影があった。
――それはタニシ男。
甲羅の隙間から滴る水が瓦を濡らす。
「フフ……面白いことになってきた。
あの仮面、所長でも渦巻様でも制御できねぇ……
こりゃ、ちょっと泳がせ甲斐があるってもんだ。」
風に溶けるように、その影は消えた。
神社の境内に残るのは、
奈理子、凜、寧々――そして、
遠くに霞む赤いマフラーの残像だった。
穢川研究所 ― 毒と再生
無機質な蛍光灯が、冷たい実験室の床を照らしていた。
培養槽の中では、蛙の脚と甲虫の外殻が泡立つ液体に沈み、
幾重もの試験管が整然と並んでいる。
九頭はその中央のデスクで、ホンシメジ男とブナシメジ男の報告を受けていた。
「……なるほど。仮面の戦士、シグマは防御力が高いか。」
「鎧に護られただけです。」
ホンシメジ男は腕を組み、悔しさを隠さずに答えた。
「拳は硬かったが、あの鎧の中身は脆い。
剥ぎ取れば、両生類の柔らかい皮膚が出てくる。」
九頭はゆっくりと椅子に背を預け、
「ほう……鎧の下が、イモリの皮膚か」と口の端を上げた。
「しかし先生」
ブナシメジ男が続ける。
「イモリの皮膚には毒があります。それに、再生能力も。
頭を吹き飛ばされても再生するかもしれません。
本当に制御できるのですか?」
「制御、か……」
九頭は一瞬だけ目を細め、
机上のホログラムに映る“イモリ男=志摩京介”の映像を見つめた。
仮面の奥にある無表情な瞳が、まるで観測者を逆に観察しているかのようだった。
「奴は自我を失ってはいない。
制御する必要はない。
――ただ、泳がせるだけでいい。」
「泳がせる?」
ホンシメジ男が眉をひそめた。
「観察対象という意味だ。
何を見て、何を選ぶか。
その反応が、我々の次なる鍵になる。」
ブナシメジ男は肩をすくめた。
「研究者らしいお言葉ですね、先生。」
九頭は静かに笑う。
「研究とは、神の視点を真似る遊びだよ。」
ホンシメジ男とブナシメジ男が退出し、
自動ドアが閉じると、室内には九頭と絹枝だけが残った。
絹枝は、眉を寄せながら呟く。
「……イモリ男は危険です。
彼の皮膚は神経毒を分泌します。
それに、再生能力を完全に抑制できる薬はまだ――」
九頭は手を軽く上げて制した。
「心配はいらん。こちらには更に強力な毒使いがいる。」
「強力な……毒使い?」
九頭はニヤリと笑う。
「蜂の一刺しで奴はお陀仏さ。」
絹枝の顔がこわばる。
「まさか、クワガタバチを……?」
ホログラムには、ツシマヒラタクワガタとオオスズメバチの遺伝子構造が複合的に組み込まれた、
異形の戦士の設計図が浮かび上がっていた。
そのシルエットは、螺旋状の双角を持ち、毒針のような尾を伸ばしている。
「調整に時間がかかっています。
あの好戦的な性格は、制御不能に陥る危険性が高い……」
「まだ使わんよ。」
九頭は椅子を回転させ、背を向けた。
「イモリ男はもう少し泳がせよう。
それに……」
振り返りざま、にやりと笑う。
「カタツムリが、コソコソと動いているようだ。」
「カタツムリ……渦巻さんのことですか?」
「そうだ。渦巻の動きが気になる。
だが、あの男の手並みを見せてもらうのも悪くない。」
九頭は机の上に置かれたタブレットを手に取り、
画面に映る動画を再生した。
そこには、ホンシメジ男に敗れたミラクルナイトの姿。
吹き飛ばされ、倒れ、なおも立ち上がろうとする奈理子。
「……それにしても、ミラクルナイトはこんなに弱いはずはないのに。」
絹枝は小さくため息をついた。
「彼女の戦い方は、市民の声援を徐々に力に変えていくスタイルだ。」
九頭は、引き出しから取り出したフィギュアを手に取る。
「有無を言わさず瞬殺するホンシメジ男が相手では、分が悪いさ。」
九頭はミラクルナイトフィギュアを指で回しながら、
「しかし……水都女学院の制服バージョンも欲しいな」
と呟いた。
「博士、スカートの中を覗き込まないでください。」
絹枝がすかさずツッコミを入れる。
「ははは。観察とは、対象を深く知ることだよ、絹枝くん。」
「……限度があります。」
冷めた声の助手をよそに、九頭は満足げに微笑んだ。
蛍光灯の光が、フィギュアの白いスカートに反射してきらりと光る。
「さて――次は、“理を越える”者たちをぶつけてみようか。」
九頭の声が、金属の壁に鈍く響いた。
(第226話へつづく)
(あとがき)











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