ドリームキャンディ、心の翼☆前編
秋風が水都中学の校庭を吹き抜けた。
夏の喧騒が嘘のように、澄んだ空に白い雲が流れている。
「よーい……スタートッ!」
体育祭の練習で賑わうグラウンド。
クラウチングスタートの号砲と同時に、杉原寧々は軽やかに飛び出した。
鍛え抜かれた脚が土を蹴り、次々と競争相手を抜き去っていく。
「速いな、杉原!」
「さすが委員長!」
歓声があがる中、寧々は一つも表情を崩さずゴールテープを切った。
「ふぅ……」
涼しげな顔で汗を拭う寧々に、クラスメートたちは羨望の眼差しを向ける。
――だが、彼女が目で追っていたのは、校庭の隅でダラダラと座り込む少年だった。
「……隆」
制服のシャツをだらしなく着崩し、真剣に練習する気配もない。
――野宮隆。奈理子の弟。そして、寧々がずっと心を寄せている相手。
(こんなんじゃダメだよ、隆……)
寧々は小さく溜め息をついた。
体育祭の練習、クラスの団結、そんなものに隆はまるで興味がないようだった。
(でも、私が何か言っても、うるさいって思われるだけかも……)
隆と、姉・奈理子との差。
光のように輝く奈理子と、どこか影を引きずる隆。
そして、奈理子の後ろを、ただ一生懸命に追いかけているだけの自分――。
胸の奥に、小さな棘が刺さる。
(私だって……!)
握った拳をそっと開く。
その手には、変身アイテム『ロリホップキャンディ』が光っていた。
ミラクルナイトと違い、寧々=ドリームキャンディは誰にも気づかれぬ戦士だ。
水都の裏で、彼女もまた戦い続けている。誰にも褒められなくても。
(私にだって、守りたい人がいる。私にだって……)
そんな思いを胸にしまい込み、寧々は校庭に再び足を踏み出した。
深夜。
コンクリート打ちっぱなしの無機質な空間に、ぼんやりと青白い蛍光灯の光が降り注ぐ。
数多の培養カプセルが並ぶ中、ひときわ巨大なカプセルが、ぶくぶくと音を立てていた。
「ふふふ……ついに……ついにできたぞ……!」
研究室の主、九頭所長が、両手を組んで不気味に笑う。
白衣の下に着た黒いシャツの胸元が、興奮で小刻みに震えていた。
「カエル男以来……脊椎動物、それも爬虫類ベースの薬開発に成功するとはな……!」
カプセルの中では、奇妙な影がうごめいていた。
赤く光る目。
粘ついた皮膚。
長い尻尾と、異様に発達した指先――。
「コードネーム、ヤモリ男。
壁も天井も自在に這い回り、目標に気配を悟らせず接近、奇襲、一撃必殺。
さらに、再生能力もカエル男を凌駕している……!」
九頭はうっとりと語りながら、手元の端末を操作する。
カプセル内の液体が抜かれ、ゆっくりとカプセルの扉が開かれた。
ズルリ──。
中から姿を現したのは、全身を薄い緑色の鱗に覆われた人型生物。
大きな金色の眼がぎょろりと輝き、長い舌がペロリと垂れた。
「ギィ……ギギギ……!」
ヤモリ男は、天井に向かってひょいと飛びついたかと思うと、音もなく張り付いた。
「見ろ、この柔軟な運動性! 静音性! そしてこの……気持ち悪さ!」
九頭は満足げに手を叩いた。
「次なる実験対象は……そう、ドリームキャンディ。
あの優等生を徹底的に追い詰め、心をへし折ってやるのだ!」
ヤモリ男はにたりと笑い、再び長い舌をしならせた。
(ふふふ……これで穢川研究所の支配圏はさらに広がる……!)
九頭は高らかに笑った。
この夜、またひとつ、水都に新たな脅威が生み落とされたのであった──。
「ふふふ……ミラクルナイトはな、弱くて可愛いから価値があるのだ。」
九頭は、棚に飾られた限定版ミラクルナイトフィギュアに優しく手を伸ばした。
白いブラウス、水色のリボン、そして可憐なプリーツスカート──。
フィギュアは完璧に奈理子=ミラクルナイトの華奢さと無垢さを再現していた。
「強いヒロインなど求めていない……。
市民の声援を受け、か細い体で必死に戦い、負けて涙する──それがミラクルナイトの美しさなのだ!」
九頭はうっとりとフィギュアを眺め、
次の瞬間、憎々しげに顔を歪めた。
「だが……! ドリームキャンディ……貴様は駄目だ。
あの小娘、奈理子の引き立て役にすぎぬくせに……っ、ミラクルナイトより強いだと!?
許さん! ここらで天誅を下してやる……!」
九頭は勢いよく振り返ると、天井を這っているヤモリ男に鋭く命じた。
「ターゲットはドリームキャンディ。
正体は不明だが、水都中学の生徒のはずだ。
優等生気取りのあの小娘を、徹底的に追い詰めろ──!」
「ギギ……ギィィ!」
ヤモリ男は怪しく笑いながら、スルスルと壁を這い降りる。
爬虫類特有の無機質な目が、じっと九頭を見つめていた。
「今夜、ドリームキャンディを……水都の守護神たちを……絶望の底へ叩き落とす!」
九頭所長の狂気に満ちた笑い声が、
無機質な研究所の壁に木霊した。
こうして、
次なる刺客――「ヤモリ男」は、
静かに、だが確実に水都の街へ放たれたのであった──。
水都中学一年、杉原寧々は、教室の窓を拭きながら静かに溜め息をついていた。
「はぁ……隆ったら、また掃除をサボって……!」
優等生である彼女は、
サボり魔の幼馴染・隆の代わりに、いつもこうして手を動かしていた。
けれど、
寧々の表情はどこか柔らかい。
(……でも、元気なら、それでいいん。
隆には……怪人たちなんかに巻き込まれてほしくないから……)
ふっと目を伏せ、雑巾をぎゅっと絞る。
ガラス越しに映る自分の顔。
完璧な優等生、クラスの学級委員長、でも──
(奈理子さんみたいに、可愛くもないし……。
ミラクルナイトの奈理子さんは、市民のみんなの天使で……)
ドリームキャンディはただ、戦うために生まれた、影の存在にすぎない。
そんな引け目が、寧々の胸をチクリと刺した。
──そのとき。
「……?」
ぞくり。
背筋に、冷たいものが走った。
外から……妙な気配がする。
窓を見やると、校庭の隅、体育倉庫の陰に、何かがいる──!
「誰……?」
廊下に飛び出した寧々は、制服のスカートを押さえながら、慎重に校舎の影へと向かう。
風が、かすかに吹く。
西陽に伸びる自分の影が、細く、長く伸びる。
──ギィ……ギギ……
「!」
耳を澄ませば、どこか不気味な、爬虫類が這うような音。
そして次の瞬間──
「ギギギギ……!」
壁を這っていたヤモリ男が、ぬるりと降りてきた!
「なっ……!?」
驚きに目を見開く寧々。
ヤモリ男の舌のように伸びた指が、彼女に向かって伸びてくる!
「この甘い匂い…背格好……ドリームキャンディ……貴様を、捕らえる……!」
爬虫類のような無機質な瞳が、寧々を捉える。
殺気が、風景を塗り替える。
(落ち着いて……私は……)
スカートのポケットから、変身用の小さなロリホップキャンディを取り出す。
(私は、ミラクルナイトさんを支える、ドリームキャンディ……!)
──寧々は一瞬で、意を決した。
「キャンディスイーツ・ドリームキャンディ……変身!!」
まばゆい黄色の光が彼女を包み込む。
セーラー服が溶け、オレンジ色の戦闘ドレスが舞い上がり、
は黄色いブルマーが鮮やかに光る。
キャンディチェーンが腰に巻かれ、
ドリームキャンディ──杉原寧々、ここに降臨!
「奈理子さんのためにも、あなたなんかに負けるわけにはいきません!」
キリッと睨みつけるドリームキャンディ。
だが、ヤモリ男は不気味な笑いを浮かべ、壁を這うように高速で移動する。
「ギギギ……逃がさない……!」
──ドリームキャンディとヤモリ男、
水都中学、放課後の静かな校舎を舞台に、静かなる戦いの幕が上がった。
夕陽がオレンジに染め上げる放課後の校庭。
誰もいないはずのこの場所に、ただふたり──
ドリームキャンディと、ヤモリ男が向かい合った。
「ギギギギ……この俺が、直々に捕らえてやる……!」
ヤモリ男は、ぬるりと地を這うように動きながら、奇妙な低い声で笑った。
その手足には、壁や天井すら張り付く特殊な吸盤が備わっている。
「絶対に……捕まらないッ!」
ドリームキャンディは、腰に下げたキャンディチェーンを握りしめる。
「キャンディシャワー!」
叫びとともに、虹色の光の束がヤモリ男に放たれた!
だが──
「ギギッ!」
ヤモリ男は壁を這うような身のこなしで、光線を回避。
すぐさま地面を蹴って飛び上がり、ドリームキャンディに迫った!
「速いっ!」
ドリームキャンディは後ろに跳び、間一髪で掠める爪を避けた。
しかし、ヤモリ男はそのまま壁を蹴って折り返し、さらに鋭い爪で追撃してくる!
「ロリポップハンマー!!」
瞬時にキャンディチェーンを変形、
巨大なチュッパチャップス型のハンマーを繰り出す!
──ガンッ!
ハンマーがヤモリ男の爪とぶつかり、重い音が校庭に響いた。
しかし、爬虫類特有のぬめるような柔軟な動きで、ヤモリ男は体勢を崩さず、ドリームキャンディにまとわりつく。
「ギギギギ……壁に、貼り付けてやる……!」
ヤモリ男の手から飛び出したのは、透明な粘着糸!
それがドリームキャンディの足元に絡みつこうとする!
「そんなの……!」
寧々は必死にハンマーで払いのけるが、地面に粘着糸が残り、踏み込むたびに靴底が取られそうになる。
(まずい……!機動力が落ちる……!)
「ギギギッ、逃げ場はないぞ……ドリームキャンディ……!」
追い詰められる中、寧々はぐっと奥歯を噛みしめた。
(私が負けたら、奈理子さんも、隆も……悲しむ……!)
ドリームキャンディは目を見開いた。
再びハンマーを振りかぶり──
「ロリポップ・三段突き!!」
巨大ハンマーを突き、さらに突き、さらに追撃する連続攻撃!
「ギッ!ギギギ!」
さすがのヤモリ男も後退!
だがその腕はしっかりと校舎の壁に張り付いており、完全には倒れない。
「ギギギ……ドリームキャンディ……お前は、ひとりだ……!」
不気味な声に、寧々はぐっと唇を噛んだ。
たったひとり。
仲間はここにはいない。
(でも……私は──)
(たとえ1人でも、守りたい人がいるから──戦える!)
風が吹く。
校庭の夕陽が、オレンジ色に輝く彼女のドレスとハンマーを照らした。
──戦いは、まだ始まったばかりだった!
「ギギギ……もう逃がさない……!」
ヤモリ男の粘着糸が、ドリームキャンディの足元に絡みつく。
寧々は必死に振り払おうとするが、地面を這う糸はしつこく、身動きが徐々に奪われていった。
「くぅ……!」
ロリポップハンマーを構え、必死に粘着糸を叩き落とす。
しかし──
「ギギッ!」
ヤモリ男が壁を蹴って宙を舞い、一直線にドリームキャンディへと突進してくる!
「っ!!」
直撃を受け、ドリームキャンディは校庭の隅へ吹き飛ばされた。
ドサッと地面に倒れ込み、キャンディハンマーが手から離れる。
「う……ぐ……!」
寧々の細い腕が小さく震える。
ヤモリ男の粘着糸が、今度は彼女の手足を絡め取ろうと伸びてくる──!
(だめ……このままじゃ……)
体が重い。
立ち上がらなきゃいけないのに、粘着糸が四肢を絡め、地面に縫いつけようとする。
そのとき──
「寧々ッ!!」
叫び声が、夕陽の空に響き渡った!
駆けてきたのは、隆だった。
校門のほうから全力で走ってきた彼は、地面に落ちていたロリポップハンマーを拾い上げた!
「コイツを……!」
隆は重いハンマーを振りかぶり、粘着糸を叩き切るようにして寧々に向かって投げた。
「寧々、立て! お前は──負けるなっ!!」
がしゃん、と重い音を立てて、ハンマーが寧々の手元に転がる。
「……隆……!」
寧々の胸に熱いものが込み上げた。
手にしたハンマーの重みが、隆の気持ちを伝えてくる。
(私は……ひとりじゃない──!)
ぐっとロリポップハンマーを握りしめ、寧々は立ち上がった。
「ギギギギ……何度でも倒してやるッ!」
ヤモリ男が再び飛びかかってくる!
「来なさいッ!」
ドリームキャンディが跳ねるように地面を蹴った。
粘着糸をかいくぐり、宙を舞い、巨大ハンマーを振りかざす!
「ロリポップ──凄い突き!!」
突き出されたハンマーが、ヤモリ男の脇腹を直撃!
ヤモリ男の体がグンと押し飛ばされた。
「ギギッ!」
ヤモリ男は壁に激突し、そのまま崩れ落ちる。
校庭に静寂が戻る。
立ち尽くすドリームキャンディと──駆け寄る隆。
「……寧々、無事か?」
「うん……ありがと、隆!」
寧々は少し涙ぐみながら、でも強い笑顔で答えた。
(守りたい。私の、大切な人たちを──)
ハンマーをしっかりと握り直し、ドリームキャンディは校庭の夕陽に向かって立ち上がる。
──戦いはまだ、終わっていない!
夕陽を背に、ドリームキャンディと隆は並び立った。
「ギギギ……小僧が……ヒロインを助けたつもりか……?」
壁に寄りかかりながら、ヤモリ男がじり、と立ち上がる。
目はぎらつき、鋭い舌をペロリと舐める。
「寧々を──ドリームキャンディを、馬鹿にするなッ!」
隆は臆することなく、拳を握りしめた。
彼はただの中学生だ。超能力もなければ、変身もできない。
けれど──
姉の奈理子、そしてドリームキャンディ=寧々を支えたい、その想いだけは誰にも負けなかった。
「ギギギギ……いいだろう、まとめて食らってやるッ!」
ヤモリ男が跳びかかる!
ドリームキャンディは一瞬でハンマーを振るった。
だが、ヤモリ男の動きは素早い。壁を蹴り、天井を伝い、あらゆる角度から襲い掛かってくる。
(……普通に戦っても捕まえきれない……なら!)
ドリームキャンディは瞬時に判断した。
「隆、頼んだ!」
「任せろ!」
ふたりは無言で頷き合うと──
隆は校庭に積まれていた運動用マットを引き寄せ、広げた。
「こっちだ!ヤモリ野郎!!」
声に釣られたヤモリ男が一瞬隆に目を向けた。
──その隙を、ドリームキャンディは逃さなかった!
「ロリポップ三段突きっ!!」
ロリポップハンマーが三連撃を放つ!
まず足に──次に胴に──そして最後に、アゴにクリーンヒット!
「ギ、ギギ……ッ!」
ぐらりとヤモリ男の体がよろめいた。
その瞬間、隆が運動用マットを思い切り放り投げる!
「うおおおお!!」
バサッと宙を舞うマット。
ヤモリ男はよろめきながらも避けきれず、もつれるように地面に倒れ込んだ。
「今だ、寧々!!」
「うん──!」
ドリームキャンディは高く跳び上がり、最後の力を込めたハンマーを振りかぶった。
「ロリポップ──凄い突きッ!!」
巨大ハンマーが、ヤモリ男の胸に直撃!
「ギギャアアアァァァッ!!」
ヤモリ男の体が白い閃光に包まれ、轟音とともに爆散した。
辺りに静寂が戻る。
──勝った。
「……やった……!」
隆が拳を握りしめ、寧々の方を振り返る。
ドリームキャンディもまた、彼に向かって、安堵の笑顔を浮かべた。
ふたりの間に、夕陽が差し込んでいた。
「ありがとう、隆……」
「バカ、お前の力だろ」
ちょっと照れくさそうに笑い合うふたり。
このとき、寧々の中で、何かが変わり始めていた。
それは──ただの幼馴染じゃない、特別な想い。
(私、もっと強くなる。
誰かに守られるだけじゃなく──守るために──!)
ドリームキャンディはロリポップハンマーを肩に担ぎ、まっすぐに夕陽を見上げた。
──次の戦いへ、想いを新たにして。
戦いが終わり、制服に着替えた寧々と隆は、水都中学の門を出た。
秋風が頬を撫で、セーラー服のリボンをそよがせる。
「……助かったよ、寧々」
隆が、不器用に言った。
「……私こそ。隆がいなかったら危なかった」
そう返した寧々の声は、ほんの少し震えていた。
戦いの疲れだけじゃない。心が、ざわざわしていた。
(どうしてだろう──。
隆の顔を見るだけで、胸がドキドキする……)
昔から一緒に遊び、時にケンカもした。
でも、今日──
一緒に戦い、背中を預け合ったあの瞬間から、何かが変わった気がする。
「な、なぁ寧々」
急に隆が立ち止まり、こっちを振り返った。
「えっ、なに?」
「その……これからも、寧々と一緒に戦っていいか?」
真っ直ぐな目だった。
小さい頃から知っているこの男の子が、
今、ヒーローみたいにかっこよく見えた。
寧々は、一瞬だけ顔を赤らめたけど──すぐに、ふっと柔らかく微笑んだ。
「もちろんよ。
──私も、隆に頼りにしてるんだから」
夕陽の中で微笑み合う二人。
何気ない、けれど大切な約束だった。
(……でも)
寧々は心の中で小さく呟いた。
(もう少しだけ、今のままでいたいな。
好きって、まだ言えないけど──)
ただ隣を歩くだけで、胸がいっぱいになる。
それだけで、今日は十分だった。
「よし! じゃあ、帰りにアイスでも買ってこうぜ!」
「もう、子供みたいなんだから……でも、奢ってくれるなら付き合ってあげるわ」
そんな風に、他愛ないやり取りを交わしながら、
ふたりは並んで歩いていった。
──夕暮れの街を、肩を並べて。
彼らの日常は、ささやかだけど、確かに輝いていた。
(後編へ続く)













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