ミルキーナイト~胡桃・21歳~☆第2章「魔界の残響」
魔界の夜は、地上のそれとは違う。天と地の境が曖昧で、空は永遠に沈んだ茜色を保ち続け、地は鼓動のように微かに揺れていた。古びた玉座の間、ひときわ高く積まれた絨毯の上に、幼い少女の姿が一人、座していた。
プリンセス・コマリシャス。魔界の王オトッシャスの娘にして、地上制圧を夢見る支配者。
彼女の瞳は夜の湖のように深く、けれど涙の痕がうっすらと頬に残っていた。彼女の傍らには、どこか不格好な生き物がうずくまっている。綿ぼこりのような毛並みにネクタイが巻かれ、目だけが異様に大きい。
「泣いてるの?コマリシャスさま」
「うるさい、タンポポタイ。泣いてなどいない」
タンポポタイと呼ばれたその魔物は、彼女の忠臣にして、現在唯一の生き残りだった。かつて水都を襲撃した際、彼らは数多の魔物を地上へと送り込んだ。しかしその度に白い戦士――ミラクルナイトによって退けられ、最後には王である父までもが滅ぼされた。
「……お父さまは、帰ってこないのね」
ぽつりとコマリシャスは呟いた。小さな手で自らの膝を抱え込み、視線を足元に落とす。
「でも、私はあきらめない。地上は、私のものになるって、お父さまが言っていたもの」
その言葉に、タンポポタイは耳をぴくりと動かした。
「……また攻めるの?地上に?」
答えはなかった。だが、玉座の間に設けられた水鏡が音もなく揺れ、そこに映ったのは、かつての“鄙野”の映像だった。小さな宿場町。だが、その下には古の封印が眠っていた。魔界との通路。
「まずは、鄙野。あの女、また出てきたみたい」
水鏡には、へそ出しルックで魔物と戦う胡桃――ミルキーナイトの姿が映っていた。
「懐かしい顔だねぇ……でも、今回は違う。あの頃の私じゃない」
少女の姿をしたまま、コマリシャスは立ち上がる。その足元から、黒い霧がゆっくりと立ち昇り始める。
「行きなさい、新たな僕(しもべ)たちよ……」
空間が歪み、コマリシャスの周囲に奇怪な影が現れた。
一本のフスマを背に生やした“フスマリス”。 鋭利な足を持つ金属のヤカンの魔物“ヤカンムカデ”。 そして、半透明の脳髄を持つ謎の魔物“ゼリーノーミソ”。
「ふふ、今度の子たちはね、ちょっと面白いの。ちゃんと人間のこと、観察して作ったんだから」
彼女は微笑を浮かべる。だが、その笑みにかつての無邪気さはなかった。魔界の支配者としての影が、そこには差し始めていた。
一方そのころ――鄙野。
胡桃は変身を解き、大学寮の一室に戻っていた。湯冷めしないよう羽織ったガウンのまま、ベッドに身を沈めている。
AI映像で見た弟・ライムの姿が、まぶたの裏に残っていた。
『姉ちゃん、変わってないね』
そう言った、あの映像の少年の目。今でも脳裏に焼き付いて離れない。あれは記憶の断片か、それともただの幻想か。だが胡桃には確かに“何か”が蘇った気がした。
ベッドの傍には、小さなガラス瓶に注いだ鄙野牛乳が置かれている。母の形見の陶器製コースターの上に。
「……もう、逃げない」
呟いたその時、突如、外から異音が響いた。ガラスの割れる音。続いて、甲高い笑い声。
「アチャチャチャチャ……さーて、今日のターゲットはどいつかなー!」
ヤカンムカデだった。金属音とともに、広場に現れたその姿は異様だった。ヤカンの胴にムカデのような無数の足。蓋の口からは蒸気を噴き出し、街灯を曇らせていた。
胡桃は立ち上がる。すでにバッグの奥には、ミルキーナイトの変身リングがある。
「まったく……大人を夜中に叩き起こすなんて、礼儀がなってないね」
その表情には、どこか余裕があった。かつての弱さを乗り越えた者だけが持つ、静かな自信。
「ミルキー・アクト!――変身!」
再び、白と茶色の光が部屋を照らし出した。
窓を蹴破って、ミルキーナイトは夜の町へと飛び出した。
そして、新たなる戦いが、始まろうとしていた。
(第3章へつづく)










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