DUGA

ミルキーナイト~胡桃・21歳~☆第3章「故郷と名湯」

 朝霧の立ち込める鄙野の町並みに、鐘の音が静かに響いていた。

 それは旧街道沿いに建つ禅寺「白蓮山永照寺」の鐘であり、まだ観光客も目を覚まさぬ早朝の鄙野に、ゆるやかで清らかな気配をもたらしていた。

 佐笠胡桃は、その音を聞きながら木造の廊下を歩いていた。

 ここは鄙比田温泉郷の老舗旅館「朝霧亭」。  彼女の大学の親友――湯本繭子の実家である。

 昨晩の戦闘から一夜明け、胡桃は久々に“人間”としての時間を過ごしていた。

「……よく眠れた?」

 廊下の先で繭子が声をかけてきた。鮮やかな藍染の作務衣に身を包み、少し寝ぼけた顔で湯気の立つ牛乳瓶を二つ、手にしていた。

「まあまあかな。さすがにヤカンムカデに夜中叩き起こされたし」

「やっぱりあれ、胡桃だったんだ。昨夜、宿の従業員の間で“白と茶色の光が走った”って話題になってたよ」

「しーっ、それは“観光地の伝説”ってことで頼む」

 繭子がくすくすと笑いながら牛乳を手渡す。  冷たいガラス瓶が掌に心地よい。

 二人は旅館の裏庭にある足湯へと向かった。  霧の中でかすかに湯気が揺れ、湯の表面に紅葉が一枚、舞い落ちた。

「……ねえ、胡桃」

「なに?」

「久しぶりに帰ってきたけど、どう?この町の匂い」

「うん。やっぱり、懐かしい。懐かしすぎて、ちょっと泣きそう」

 言葉を濁す胡桃の声には、微かな震えがあった。

 足元の湯に、彼女の影が揺れる。

「弟のこと……まだ引きずってるの?」

「引きずってるっていうか……ずっと私の中にいる。あの子と一緒に笑ってた時間も、手を繋いで走った道も、全部がこの町に染みついてるの」

 繭子は黙って頷き、胡桃の肩にそっと手を置いた。

 そのとき、空を渡るような風の音とともに、小さな異変が起きた。

 足湯の湯面に、突如、黒い斑点が浮かび上がったのである。

 胡桃が身を乗り出し、手で湯をすくう。

 そこには、異様な苔のような、けれどどこかゼリー状の物体が沈んでいた。

「……これ、見たことある。魔界植物、“クサレノリ”」

「なにそれ、名前がもう不吉すぎ」

「コマリシャスが魔界に咲かせてたやつ……でも、なんでここに」

 胡桃は眉をひそめ、立ち上がると足湯の縁から周囲を見渡した。  静かな温泉郷の朝。だが、そこにほのかに漂う硫黄と違う“匂い”がある。

「繭子、ごめん。私、ちょっと行ってくる」

「また“観光地の伝説”ってやつ?」

「そう。今回は、足湯の異変付き」

 冗談めかした胡桃の声には、しかし確かな緊張があった。

 彼女は館内の一室に駆け込むと、机の引き出しから変身リングを取り出した。

「ミルキー・アクト!」

 再び白と茶色の光が彼女を包み、ミルキーナイトが蘇る。

 足湯の中心が音を立てて泡立ち、地面からぬるりと這い上がってきたのは、ぬめぬめと光る“クサレノリ”。その中央には、妙に陽気な目と口が浮かび上がる。

「ヨロシクぅ〜!クッサイけど働き者!クサレノリちゃ〜ん、登場です〜!」

 クサレノリの声は妙にハイテンションで、そのたびに周囲の植物が腐り、枯れていく。

「この町の植物、ちょっと元気すぎるからさぁ〜、ほら、私がバランス取ってあげるよ!」

「お笑い枠でも、腐敗系はいただけないな……行くよっ!」

 ミルキーナイトが足湯の縁を蹴って飛びかかる。肉弾戦主体の彼女は、勢いよく放った膝蹴りをクサレノリの本体に命中させる。

「ぎゃはっ!お姉さん、思ったより痛いじゃん〜!」

 だがその直後、足湯の後ろから金属音が響いた。

「チンチンに蒸かしたヤツがお好み?それともグツグツ煮立ったのが好き?」

 ヤカンムカデだった。昨晩の戦いで一度姿を消したはずの彼が、再び現れたのだ。

「蒸気三連弾っ!しゅぽしゅぽしゅぽ〜ん!」

 口から吹き出す高温の蒸気。ミルキーナイトはとっさに跳ねて躱すが、足場がぬめって滑る。

「わっ、ちょっ、足湯で滑るの反則!」

「二対一って、ちょっと大人気ないと思わない?」

「いーじゃん、こっち魔界のほうが過疎ってんだから〜」

 ミルキーナイトは体勢を立て直すと、手元にミルキースパークを溜め始める。

「さすがに、遊んでる場合じゃないね……ミルキー・トルネード!」

 回転蹴りとともに放たれた必殺のスパイラルが、まずクサレノリを打ち崩し、その破片がヤカンムカデの胴に突き刺さる。

「ぎゃー!ヤバいってばコレ、魔界保健所案件!」

「ちょっと予定外だけど、撤退〜!」

 二体の魔物はドタバタと逃げ出し、霧の中へと姿を消した。

 息を切らせながら立ち尽くすミルキーナイト。

「……この町は、私が守るって決めたんだから」

 そう、再び誓いを胸に抱き、彼女は霧の中を見つめていた。

第4章へつづく)