ミラクルナイト☆第196話
穢川研究所 地下戦闘作戦室 ― 九頭の執務室
低い照明の下、静かに香るのは乾いた薬品と微かに湿った青苔の匂い。壁に張り巡らされた蔓のような実験配線の中、九頭は白衣の襟元を整えながら書類の山を前にソワソワと落ち着きがなかった。
「……ついにこの時が来たよ、絹絵くん……我らがミラクルナイトに、最高の“癒着”を与えるタイミングが」
「九頭主任、報告書のフォントが一部ピンク色ですが」
呆れ気味に声をかけるのは助手の絹絵。きっちりと結い上げた黒髪に、研究服の下のブラウスは完璧にアイロンがかけられている。理知的な瞳は主任の“奈理子偏愛”にうっすら曇っていた。
「これは……演出だよ。彼女の視線に触れたとき、心に残る彩りというものがある」
「……はぁ(また始まった)」
そのとき、部屋の扉が柔らかな音とともに開いた。
「お呼びでしょうか、九頭主任」
現れたのは一人の女――白峰柚月。長く艶やかな黒髪を背に垂らし、着物風のワンピースに薄紅の蔦模様をあしらった優雅な装い。指先には青紫の蔦が絡まり、瞳は艶やかに微笑んでいる。
「うむ、来てくれたね……ツタバナ女。いや、柚月くん」
「ふふ……ツタバナ女。それもまた、私を包む一つの名ですね」
九頭は柚月に資料のファイルを渡した。その表紙には、フルカラーでプリントされたミラクルナイト=奈理子の決めポーズの写真がベタベタと貼られていた。
「今回の任務だが……キミには**“ミラクルナイト討伐”**を命ずる」
柚月はファイルを開き、そこに記された奈理子の戦闘ログを一読する。
「……ずいぶんと人気者なのですね、この少女。記録映像を見る限り、情熱的で……すぐに頬を染める子のよう」
「そうとも!」
身を乗り出す九頭の目は、もはや研究者というより危険なファンのそれだった。
「泣いて、乱れて、蔦に締めつけられて、それでも市民の声援に応えて立ち上がる……ああ、可愛い! これぞ真の“コンテンツ”だ!」
絹絵が眉をピクリと動かす。
「主任、冷静になってください。報告は、事務用紙にまとめてくださいね?」
九頭は喉を鳴らしつつ、机の引き出しから小さな透明ケースを取り出した。中にはぬるぬるとした半透明のゲル状の何かが渦巻いていた。
「それから、サポートを一体用意した。**“コンニャク男”**だ。弾力と包容、そして溶解性能に優れていてね。キミの蔦と絡めれば、想像以上の化学反応が起きるだろう」
「まあ……素敵な触感を提供してくれそうですね。そのぬめり、試してみたいわ」
九頭は続けて指を一本立てる。
「そして、ウズムシ男たちも自由に使ってくれて構わない。あれらは奈理子愛に溢れる、いわば“お墨付き”の戦闘員だからな!」
「(……なんでそこを誇るのよ)」と、絹絵が小さくつぶやいた。
柚月はくすりと微笑んでから、胸元に手を当てた。
「主任のご期待、しかと受け止めました。奈理子さんの全身……心の奥まで、私の蔦で咲かせてみせます」
九頭の表情がにやりと歪む。
「楽しみにしているよ……彼女の“無様な抵抗”を」
絹絵はため息をつきながら、隣の机で書類をまとめながらぽつり。
「主任の性癖を除けば、研究の質はトップクラスなんだけどなぁ……」
水都タワー前広場──午後
「ぷるっぷるぷる〜ん♪」
騒然とした広場を、リズムに乗って跳ね回るコンニャク男。その巨体が道路標識をぐにゃりと捻り、街路樹をまとめてゼラチンの触手で包みこんでは、ぐちゅりと溶かしていく。
「ここをゼラチン天国にしてやるんだ〜♪ さあ、もっと…もっと弾けようぜェ!!」
「ふふっ…ほんと、子どもみたいなんだから…」
傍らのツルバナ女は、薄紅色の蔦に包まれた花嫁風ドレスの裾を優雅に揺らしながら、広場の石畳に腰掛けていた。肩にかかる長い黒髪が風に靡き、視線は空を見上げている。
「ミラクルナイト…まだ来ないのね。うふふ、ちょっと残念。あなたの“香り”、とても好きなのに…」
そのとき──
カラン…
アクアモールの屋上から、オレンジ色のリボンが風に揺れて舞い降りた。
「──奈理子さんは、おやすみ中。代わりに来たのは……私!」
ポンッと音を立てて地面に着地したのは、ドリームキャンディ。おとぎの国から飛び出してきたようなフリルつきのドレスが揺れ、やや茶色がかった髪を結んだ少女が、鋭い眼差しを向ける。
「水都の平和は、中学生戦士ドリームキャンディが守る! あんたたち、覚悟しなさい!」
「…あら、あら。これはまた可愛らしい…けど…」
ツルバナ女が小さく首を傾げ、物足りなさそうに息を吐いた。
「ミラクルナイトじゃ、ないのね?」
「ちぇーっ、ハズレかよォ〜!」
コンニャク男が舌を出しながら、ぶるんぶるんと身体を揺らして近づいてくる。
「ま、いっかぁ! ひとまずキミで遊んでやるぜえッ!」
「……こっちだって遊びでやってるんじゃないのよ!」
怒りを込めて、ドリームキャンディは愛用のキャンディチェーンを一閃!
ビュッ!
「──キャンディ・スラッシュッ!!」
しかし、チェーンがコンニャク男の身体に当たった瞬間──
「ぬっぷ♡」
ズルン、とチェーンが無抵抗に滑って地面を撫でる。
「なっ……全然効いてない!?」
「当たり前だろ〜? 俺様のボディはこんにゃくだぜ!? 打撃? 斬撃? なにそれ〜? むりむり〜♡」
ドリームキャンディの額に冷や汗がにじむ。
「やばい……キャンディチェーンが通じないなんて……!」
「さ〜て、次はゼラチンタッチ♡ いくぜ〜ぬるりっ♪」
コンニャク男の身体から、ぷるぷるした触手状の糸蒟蒻が飛び出してくる!
バシュッ!
「きゃあっ!」
ギリギリで跳んでかわしたドリームキャンディ。だが、次々と飛んでくるゼラチン触手に対応が追いつかない。
「くっ…! 一人じゃ…厳しいっ……!」
「ねぇねぇ、大丈夫〜? 怖いなら逃げてもいいんだよ〜♡」
「……誰が逃げるかぁッ!!」
奮起するも、触手はまるで意思を持っているかのように滑らかに追いすがってくる。街の人々は離れた場所で見守っているが、ドリームキャンディの劣勢は明らかだった。
──そのとき。
シャァァァァァァァアアアアッ!!
突如、風が吹き荒れ、コンニャク男のゼラチン触手が巻き上げられるようにして、ふわりと宙を泳いだ。
「なっ……!? この風……!」
「風が……変わった!?」
ドリームキャンディが目を見開いた先に、神社の巫女装束を模した戦闘衣装をまとった黒髪の女性が、ビルの屋上から音もなく舞い降りる。
「水都の清き風──セイクリッドウインド、参上」
低く、澄んだ声。静かなる戦士の眼差しがツルバナ女を射抜く。
「遅れてゴメン、キャンディ。ここは、私が──」
「凜さんっ……!」
ドリームキャンディの目に希望の色が戻る。
「ふふ、これでやっと“お楽しみ”の時間かしら?」
ツルバナ女が微笑んだ。
セイクリッドウインド、ドリームキャンディ、そして暴れるコンニャク男。水都の空気が再び、緊迫の色を帯び始める──。
「ふぇ〜い! ぶるんぶるんぶる〜んっ!」
コンニャク男のゼラチンボディが跳ねるたびに、まるで地面までもぷるぷると揺れて見える。市民は退避済み、広場は仮設の防護柵で囲まれ、立ち入る者はヒーローのみ。
「はぁっ!」
ドリームキャンディが再びキャンディチェーンを振るう。狙うはコンニャク男のコアと思われる胸元。
「──キャンディ・スラッシャー!!」
鋭い軌道を描いたチェーンが、今度こそ直撃――
「……と思った!? ぷるんっ!」
ボヨヨ〜ン!
コンニャク男のゼラチン質が一瞬でへこみ、衝撃を吸収。
「なっ、また効かないっ!? どういう構造してるの、あなた……!」
ドリームキャンディの顔が苦悶にゆがむ。
「う〜ん、これが天然コンニャクの粘弾性ってやつ? ぬふふふふんっ♡」
「……わ、笑い方がキモい!」
そのとき、セイクリッドウインドが再び攻撃の隙を突いてコンニャク男へ向けて、鉄扇・ガストファングを扇ぎ風を起こす!
「どーれ、ちょっと風通しでもよくしてあげるわよ、コンニャクくん!」
びゅおおおおおっ!!
強烈な突風がコンニャク男の身体を吹き飛ばし──
「ぬおおおおぉお!? お、おれの…ぷるんぷるんがァァ!!」
ゼラチンのボディが広場の柱にぐにゃっとぶつかり、ずり落ちた。
「よっしゃ、ちょっとは効いたみたいね。あんた、意外と軽いのねぇ」
「さ、さすがです…凜さん! 助かりました……」
「そっちはあんたが抑えてくれたから動きやすかったんだよ。ありがとね、キャンディちゃん」
「えっ……い、いえっ、そんな……! えへへ……(キャンディちゃんって……ちょっと嬉しい)」
ドリームキャンディが頬を赤らめながら、姿勢を整える。
「お〜っとぉ〜! 二人してキャッキャしてんじゃねーぞぉ〜!」
コンニャク男が再び起き上がると、なんと身体の一部がドーナツ状に輪切りになって、ぐるんぐるんと回転している。
「特製コンニャクカッター! ぷるるるるん〜ってな!!」
「カッター!? それ、絶対コンニャクのくせに言っちゃいけない攻撃じゃないですか!!」
「しかも回転速度と粘着性で…ヒラヒラの衣装に粘着するって寸法だァ〜♡」
「うわああああっ!?!?!?!?」
ドリームキャンディがとっさに跳びのくが、コンニャクカッターは**ヒュルルルッ!**と回転しながら追いかけてくる!
「くっ…いやらしいっ!!」
「いい加減にしなさいよ、ゼラチン野郎っ!!」
セイクリッドウインドがガストファングを広げ、風を巻き起こす!
「──風裂!【ガスト・クレバス】!!」
突風が広場を包み、コンニャクカッターを吹き飛ばす!
「ふぎゃあっ!? お、おれの…ぷるぷるが空中分解したぁあ〜〜!!」
ゼラチンの塊がバラバラになって散らばった。
「もう、しょうがないわね……」
ツルバナ女が静かに立ち上がる。愛らしくも妖艶な声で、足元の蔦に語りかけるように囁く。
「今回は“様子見”。主役が不在なら、舞台も幕よ」
パチン、と指を鳴らす。
それを合図に、コンニャク男の散らばったゼラチンが集合し、再構成される。
「うえぇぇん〜! もう帰るぅぅうう〜〜!!」
「ふふ…また、遊びましょうね。今度は…もっと粘り強く……♡」
ツルバナ女の足元から生えた蔦が、コンニャク男の身体を優しく包み、二人の姿は静かに地面に沈んで消えた。
「……はぁっ……。どうにか、撃退できました……」
「ふぅ、まぁ今回は顔見せって感じだったね。でも、あいつら次は本気で来るよ」
「はい……。でも、次こそミラクルナイトさんが……!」
「そうね。あの子がいれば、心強いもんね」
広場には風が吹き、ドリームキャンディとセイクリッドウインドは無言で空を見上げた。
水都の住宅街──奈理子の自宅(夕方)
秋の雨音がしとしとと響く昼下がり。水都の閑静な住宅街に佇む、奈理子の家。インターホンが鳴り、母親が対応する前に、奈理子の部屋の扉がノックされた。
「奈理子、入るわよ」
「……え? 菜々美さん?」
ドアが開くと、制服のままの菜々美が、紅茶色の長傘を折りたたみながら颯爽と現れる。そのすぐ後ろには、髪をハーフアップに結った眼鏡姿のすみれが、ビニール袋を片手にそっとついてきた。
「よ。学校サボって悠々自適ってわけ?」
「ち、ちがいわよっ! ちょっと疲れちゃって……」
「はぁ……変身したら倒れるようじゃ守護神失格よね」
「ちょっと、それ言いすぎじゃない? 奈理子さん、本当に体調崩してるんだよ?」
すみれがかばうように前に出る。
「はい、これ。今日の授業のノート、取っておいたから……ほら、ちゃんと見直してね」
「ありがとう、すみれちゃん……助かるよぉ」
奈理子はベッドに横たわったまま、ノートを両手で受け取り、すみれににこっと笑いかける。
「べ、別に私が見舞いに来たのはあんたにノート届けに来たわけじゃないんだからね?」
菜々美が横目でにらみながら、スマホを取り出す。
「──ほら、あんたが寝てる間に何が起こったか、見せてあげるわよ」
菜々美が操作した画面には、ドリームキャンディとセイクリッドウインドがコンニャク男と対峙している動画が再生された。マスコミのドローン映像と思われ、広場全体が映っている。
『ぷるんぷるんのコンニャクボディで迫る怪人! セイクリッドウインドの突風が敵を吹き飛ばす!』
「……寧々ちゃんも凜さんも、戦ってくれたんだ……」
「そうよ。しかも、あんたが休んでるせいで中学生の子に前線任せてんのよ。恥ずかしくないの?」
「……うぅ……菜々美さん、言いすぎ……」
「いいえ、言わなきゃ誰が言うのよ。あんたは水都の守護神、ミラクルナイトでしょ。中学生や元地下アイドルに庇われてどうすんのよ!」
「……うん……でも……ちょっと嬉しいかも……私がいなくても、みんな頑張ってくれてるのって……」
「うわ……甘ちゃん。だから頼りないって言われるのよ」
「別に良いと思うけどな……奈理子さんの代わりに立つって、みんながそういう覚悟してるってことだし……」
「だまらっしゃい、すみれさん。あんたの善人面、鼻につくのよ」
「うるさいなぁ菜々美さんは。来ると必ず喧嘩売ってくるよね」
「そっちこそ、善人ぶって奈理子さんに擦り寄ってるだけでしょ?」
「私は本当に心配して──」
「はいはいっ! 二人とも、仲良くして〜〜っ!」
奈理子の小さな叫びに、空気が一瞬止まり……やがて、すみれも菜々美も無言でそっぽを向いた。
「……とにかく、ちゃんと休んで。早く戻って来なさいよね、ミラクルナイトさん」
「うん……ありがとう、菜々美さん……」
「別に……見舞いに来たついでよ」
菜々美は言いながらも、心なしか表情が和らいでいた。すみれは少し口をとがらせながらも奈理子の額に手を当て、
「ほんとに熱ないか心配だったんだよ……」
と、小さく呟いた。
こうして、喧嘩しながらも奈理子を支える2人の少女たちの姿は、今日も変わらず、奈理子の心に温かな灯をともすのだった──。
凜の部屋──夜
雨音が静かに響く水都神社の境内。神社に隣接する大谷家の凜の部屋では、巫女装束の凜が湯呑を傍らに、髪をタオルで拭きながら、制服姿の寧々と対面していた。
「今日の戦い、お疲れさま。寧々、よく動いてくれたね」
「いえ、凜さんこそ、あの状況で駆けつけてくださって助かりました……正直、少し焦ってました」
寧々が手元のメモに視線を落としながら呟いたそのとき、凜のタブレットが着信音を鳴らす。
「──あ、来た。奈理子、準備いい?」
画面が切り替わると、布団の上でパジャマ姿の奈理子が、髪をお団子にして布団にもぐりつつ、画面に映っていた。
「ごめんね、今日は行けなくて……動画は見たよ。寧々ちゃんも凜さんも、ありがとう……!」
「奈理子さん……ご無事そうで何よりです。でも、油断しないでくださいね。奈理子さんの代わりはいませんから」
寧々はまっすぐに奈理子を見つめた。
「……でも、すごく悔しい……! なんか、ふざけてるように見えてコンニャク男、強かった……!」
「うん。手ごたえなかったね。キャンディチェーンも滑ってたし、何あのぷるんぷるん……」
奈理子が顔をしかめると、凜が茶を啜りながら苦笑する。
「ゼラチン質の防御ってのは厄介よ。物理も魔力も通しづらいし、それにあいつ、まだ"滑らせる"だけしかやってない。下手すれば拘束系の応用もありえる」
「ええっ、そんな……!」
「でも、今日一番気になったのは……あのツルバナ女って人。後ろで見てただけだったのに、ただの幹部とは思えない雰囲気が……」
寧々が腕を組んで首を傾げる。
「私も動画見ててそう思った。ツルバナ女って、なんだか……"品"があるっていうか……怖いけど綺麗で、お姉さんぽくて、優しそうで……」
「その時点でもう危ないわね」
凜がずばりと斬る。
「寧々、ああいう"包み込むタイプ"の敵ほど、油断させてから一気に締めてくるの。優しげな声で『痛くしないわ』とか言いながら、こっちはもう動けない──そういうタイプ」
「う……なるほど、苦手なタイプかも……」
奈理子がふるふると首を振る。ふたりの画面越しの姿に、寧々も納得したように頷いた。
「……でも、どうすればいいんだろう。コンニャク男もツルバナ女も、まだ手の内を見せていませんし……」
「うん……でも、負けられないよね。今さらだけど、私たちって、水都を守るために戦ってるんだし……!」
「──そうだね。わたしも、ミラクルナイトとして……ちゃんと立たなきゃ」
「……うん。私はミラクルナイトの守護が役割ですけど、いざというときは前に出ます。必ず、支えます」
「へぇ、言うじゃん。じゃ、明日から修行しなおす? ミラクルナイト抜きで正義のヒロインやってみるとか」
凜の冗談めいたひと言に、寧々と奈理子が一斉に「ええ〜っ!?」と悲鳴を上げた。
「──ふふっ、でも……なんか、元気出てきたかも」
「よし、じゃあ今日の作戦会議はここまで。奈理子、ゆっくり休んで」
「はい、凜さん。寧々ちゃん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、奈理子さん」
三人の通信が切れると、画面に残ったのは、水都の闇に静かに降り続ける秋雨だけだった。
──明日こそ、三人揃っての反撃を。
少女たちは、それぞれの場所で静かに闘志を燃やしていた。
(第197話へつづく)
(あとがき)













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