ミルキーナイト~胡桃・21歳~☆第10章「恋という異変」
ミルク色の曇天が鄙野の空を覆っていた。
肌寒さを感じる朝、胡桃は大学の教室にいても、黒板の文字が目に入らなかった。
(……レオ、何してるんだろ)
何度も自分に言い聞かせていた。“あの人は軽いだけ”。“遊び”。“本気じゃない”。
だけど、考えてしまう。
あの笑い方。あの無邪気な目。
あの、何でもない一言に、なぜ心が動いたのか。
「佐笠さん、佐笠さん?」
教授の声に慌てて顔を上げると、周囲の学生たちがちらりとこちらを見た。
「……す、すみません」
「ぼーっとしてる暇があったら、レポートに集中してくださいね」
胡桃は俯きながら小さく頷いた。
(ダメだ……私、どうしちゃったの)
放課後、胡桃は町の図書館近くのベンチに座っていた。
手には開いたままのノート。風にページがめくれていく。
「……誰かを、好きになるって、どういうことなんだろ」
呟いたその声に、背後から返事が来た。
「教えてやろうか?」
軽い声。振り向けば、そこには案の定レオがいた。
「びっくりさせないで……」
「いやいや、俺の方がびっくりだよ。胡桃ちゃんがあんな真剣な顔して空見てるから、また魔物でも現れたのかと思った」
「……来てほしくない時に限って、あなた来るよね」
「それ、最高の褒め言葉」
笑って肩をすくめるレオ。
その無防備な軽さに、胡桃はまた心を揺さぶられる。
「レオは……誰かを、本気で好きになったこと、ある?」
「んー、あるような、ないような? でも俺ね、好きって気持ちは瞬間でいいと思ってる。だって、楽しいじゃん。今、この瞬間だけでも“好き”って思えたら、それで世界がちょっとキラキラする気がするし」
「……そんなふうに考えられたら、楽かもね」
「胡桃ちゃんは、考えすぎなんだよ。 守るとか、正義とか、使命とか、そういうのを背負うには……可愛すぎる」
その一言が、胸に刺さった。
可愛い——そんな言葉、誰かに言われたのはいつぶりだろう。
魔物と向き合う日々。ヒロインとしての責任。涙を飲み込む覚悟。
そのすべてが、少女としての彼女を遠ざけていた。
「……もし私が、戦ってること、全部知ったら……どうする?」
「たぶん……余計惚れるかな」
冗談めかして言ったその言葉に、胡桃は返事ができなかった。
夕暮れの光が差し込む図書館の影。
ページが、また一枚、風に捲られた。
胡桃の心にも、知らぬ間に、恋という名の異変が芽吹いていた。
だがその芽は、光を浴びることなく、嵐の前の静けさの中に揺れていた。
(第11章へつづく)









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