ミラクルナイト☆第195話
水都郊外、穢川研究所・社長室。
革張りの重厚な椅子に背を預ける一人の男。
その目は眼前のガラス越しに見える工業都市の煙を睨みつけていた。
──合同会社穢川研究所・社長、勅使河原宗一郎。
老獪さと冷徹さを湛えたその視線の先にあるのは、支配と進化の未来。
「……で、現状はどうなっている?」
低く通った声が社長室に響く。
答えたのは、グレーのスーツを着込んだ完璧主義の社長秘書、一之木多実。手元のタブレットから御祖紗理奈から届いた報告書を淡々と読み上げた。
「はい。鄙野の魔界勢、コマリシャス派の最新魔物、ミラーグモダンおよびハリネズミカー──いずれも、ミラクルナイトを中心とするヒロイン連合によって撃退されました。現在、鄙野で新たな作戦会議が行われている模様です」
「……ふん、あの田舎の魔女も、所詮はオモチャに過ぎん」
煙草をもみ消すような口調で呟いたのは、社長の側近で実務全般を取り仕切る冷酷な男、渦巻敬。
「くだらん。玩具のような魔物を次々に爆死させる程度で、水都攻略だと?
笑わせるな。ミラクルナイトは弱い。敵が、雑魚なだけだ。信頼できるのは──我々、穢川研究所の怪人だけだ」
「その通りです。弊社製の薬による怪人は、すべて薬学と生物工学に基づく正当な成果です」
多実の声にうなずきながらも、渦巻はさらに語気を強めた。
「このまま魔界のオモチャに任せていては、水都を抑えるどころか、笑い者だ。次は我々のカードを切るべき時では?」
「──それには賛成だ」
それまで沈黙を守っていた白衣の男が、ゆっくりと顔を上げた。
穢川研究所・研究開発最高責任者、九頭博士。
白衣の裾はくたびれ、瞳は何か別の世界を見ているような虚無の色を宿していた。
「……次は、アオカビ男を出そうと思う」
「アオカビ男……?」
多実が目を伏せて手元の資料を呼び出す。
だが、正式なエントリーが存在しない。
「新薬、ですか?」
「いや──正確には、"自ら志願した"男だね」
九頭は椅子から立ち上がり、窓辺へと歩む。その背中に、誰も声をかけられなかった。
「彼は私の水都大学時代の同僚だった。名前は──青田弘嗣。
微生物研究に取り憑かれ、青カビの発酵作用と人間への寄生能力に魅了され続けた男だ。
ある日、自ら『青カビに喰われることで人間を超えられる』と信じて、私に融合実験を申し出てきた。
無論、医学的にも倫理的にも却下されるべき話だったが……」
「あなたは、それを……」
「実行した」
九頭は振り返り、無表情に答えた。
渦巻も多実も息を呑む。
「結果、彼は"カビそのもの"となり、"個体としての知性"を保った。
そして、今も地下培養室で発酵しながら──出撃の時を待っている」
「化け物じゃないか……!」
思わず口に出す渦巻。しかし、勅使河原は静かに笑っていた。
「いいだろう。久々に──**研究所製の"本物"**を見せてやれ。
その名もアオカビ男。水都の空気に、青カビの胞子を撒き散らせ」
九頭がわずかに笑みを浮かべた。
「ミラクルナイトの、あの白い衣装……青カビには、格好の培地だからな……」
そして、誰より静かに、誰より冷たく、アオカビの戦慄は始まろうとしていた──。
穢川研究所・地下培養室。
低い天井にコンクリ壁。灯りは緑がかった蛍光管が申し訳程度に照らすだけで、空気はぬめっと湿っている。
巨大な円筒型培養カプセルが静かに脈動を繰り返し、中では青緑色の菌糸が蠢いていた。
カプセル表面にはびっしりと胞子状の結晶が張りついており、その中心──人型の影がうっすらと浮かんでいた。
「うん……美しいねぇ、この色。
この菌膜の光沢、まるで奈理子ちゃんの濡れた瞳のようだ……」
カプセルの前で頬を緩め、恍惚の眼差しを向ける男──九頭賢一郎。
理知的な顔立ちに眼鏡をかけ、白衣の胸ポケットにはミラクルナイトの缶バッジが刺さっている。
「先生……あの……そういうのは、あまり他人の前で言わない方が……」
背後から声をかけたのは、補佐を務める助手の蛯名絹絵。
茶髪のショートカットに黒縁メガネ、無表情だが内心は常に冷静沈着。
それでも時折、九頭の“異常なミラクルナイト愛”にツッコミを入れずにはいられない。
「いいかね、絹絵くん。ヒロインというのはね、ピンチでこそ輝くんだよ。
華奢で無力な彼女が、敵に追い詰められて、衣装がボロボロになって、泣きそうな顔をしながらも戦う──
そこに! 市民の声援が届き、仲間が駆けつけ、逆転するその一瞬が……ああっ、尊い……ッ!」
「(また始まった……)」
絹絵は深く息を吐き、タブレットで任務データをスクロールさせた。
「先生。アオカビ男の覚醒準備は完了しています。あとは起動信号を送るだけです」
「うむ……それじゃあ、目覚めさせようか、我がカビなる同胞よ……」
九頭が手元の端末を操作する。
カプセル内部の温度が急上昇し、青緑の粘菌が激しく脈動し始めた。
人型の影が目を覚まし、ゆっくりと瞳を開ける。
──アオカビ男、覚醒。
カプセルが開き、胞子とともに現れたのは、青緑色のカビに覆われた人型の怪人。
顔の半分が真菌のマスクで隠れ、口元だけが人間のまま残っていた。
「……九頭……私を……出すのか」
「久しぶりだな、アオタくん。
水都の地に、君の胞子を撒いてやってくれ。特にこの子の衣装にね──」
と、九頭は白衣の内ポケットから一冊のパンフレットを取り出した。
それは──**「野宮奈理子公式写真集 vol.3」**だった。
「奈理子ちゃんのこの白いパンツ、これをカビで染め上げてくれたまえ。胞子の一撃で、儚い純白を……くすんだグリーンに!」
「それ……研究者としての指示じゃないですよね?」
「いや、個人的願望を研究と一体化しているだけだよ。これが私のロマンだッ!」
「(変態だ……)」
絹絵がタブレットで任務指示をアオカビ男に送信する。
「目標:水都中心部・ミラクルナイトとの交戦。任務内容:衣装汚染および精神腐食。
副次目標として、市街地への胞子拡散。──以上です」
「ふむ、了解した」
アオカビ男が静かに歩み出ると、その足元には胞子の痕跡がポツリポツリと広がっていった。
九頭はその背中を見送りながら、陶酔した声で呟いた。
「さあ……行け、我が真菌兵器……! 君の胞子で、彼女の“白”を染めるのだ──」
絹絵は無言で立ち去りながら、背後の九頭に小さく言った。
「──いい加減、逮捕されませんように……」
こうして、ミラクルナイト vs アオカビ男の戦いが幕を開けようとしていた──。
水都市内・地下貯水路。コンクリート壁が濡れ、湿気とカビの匂いが立ち込めるその奥深くで、アオカビ男は青緑色の胞子を漂わせながら、不気味な笑みを浮かべていた。
「始まるぞ、“カビの街――フロム・ブルーム作戦”……水都の隅々まで、青カビで埋め尽くしてやる……ふふふ……!」
脇には手下のウズムシ男たちがぞろぞろと蠢いている。それぞれに胞子の詰まったタンクを背負い、噴射ノズルを腕に装着していた。
「駅構内、ショッピングモール、学校、神社……全てを対象とせよ。市民にカビの恐怖を植えつけ、ミラクルナイトの評判を下げるのだ」
アオカビ男の号令と共に、ウズムシ男たちは地下の通風口から四方へと散っていく。
その頃――
水都女学院高校・正門前。
放課後の鐘が鳴ったばかり。灰色の雲の下、細かな雨が水色の校舎の壁面を濡らしている。制服のセーラーの袖を少し濡らしながら、奈理子は傘を片手に校門を出た。
「ふええ、せっかく髪巻いたのに湿気でとれちゃってる……」
鞄を肩にかけ、ぽつりぽつりと水たまりを避けながら歩いていく。ふと、並んで歩くクラスメート・すみれが口を開く。
「奈理子さん、今日の下着って、あの新作の“奈理子の…”ってやつでしょ?」
「えっ、なんでわかるの!? まさか透けてる!? やだやだやだ~っ!」
「ふふっ、違うよ~。CMで言ってたやつとリボンの位置が一緒だったから。わたしも欲しいなあって思ってて」
「もう、すみれちゃんってば〜!」
そんな風にじゃれ合いながら、奈理子とすみれは傘を寄せ合って歩き出す。雨は少し強まってきたが、心はどこか晴れやかだった。
一方、水都中学の正門前では、ドリームキャンディこと寧々が隆と並んで歩いていた。
「雨の日って、あんまり好きじゃない」
「……でも、傘越しに顔が近いのは、悪くないだろ?」
隆の何気ない一言に、寧々は頬を赤らめた。
――誰もまだ知らない。この雨の裏で、青カビの魔の手が確実に水都を蝕み始めていることを。
空に紛れるように、どこかの屋上から小さな胞子がふわりと舞った――。
翌日。水都の朝は、いつものように湿り気を含んだ風が街路樹の枝葉を揺らしていた。
だが、その日、通学路の橋の欄干に気づいた者はどれほどいただろう。
朝露の代わりに張りついた、異様なまでに鮮やかな青緑のカビ。
一見すると落書きにも見えたその模様は、まるで人の手で塗ったかのように不自然に整っていた。
「……こんなとこに、カビ?」
通学途中の奈理子は、小さく傘を傾けながら欄干の上に広がるものに目をとめた。
水色のセーラー服に身を包み、右手に通学鞄、左手に透明傘。
雨に濡れる橋の上、カビはあきらかに人の影のような形をしていた。
「へんなの……昨日は無かったはずなのに」
奈理子は軽く眉をひそめ、けれどそれ以上は深く気にせず歩き出す。
が、その背後で、青カビの縁が、かすかに蠢いた。
放課後、水都女学院高校。
水都の空には再びしとしとと雨が降り続いていた。
正門を出た奈理子が傘を差したその瞬間、突風が吹いた。
「きゃっ!」
風に煽られて、奈理子のスカートがふわりと舞い上がる。
両手がふさがっている奈理子は、なすすべもなく、白くて控えめなコットンショーツを通学路の空気にさらすこととなった。
「……あら、また“見せパンティショー”?」
冷ややかな声とともに現れたのは、クラスメートの菜々美だった。
長いまつげの奥で、苛立つように奈理子を睨む。
「違うよ、見せてないよっ!風が悪いのっ」
「でも、その“奈理子のショーツ”って市販されてるやつよね? 中学生向けの……」
背後では菜々美の取り巻きたちがクスクスと笑っている。
だが、同じく突風が菜々美にも吹きつけた。
「……っ!」
プリーツのスカートが、舞い上がる。
その中には、なんと奈理子と同じ純白の“奈理子のショーツ”が。
「えっ……菜々美さん、それ――」
「ち、違うわよ! これはあなたがモデルやってるから、試しに買ってあげただけで!」
そのとき、奈理子が何かに気づいた。
「……えっ、菜々美さん、その……」
菜々美のショーツの左脇に、うっすらと緑がかった染みが広がっていた。
まるで、カビのような、模様のような。
「それ、何? もしかして……」
「さ、触らないでっ!」
奈理子がそっとスカートを持ち上げて覗き込もうとすると、菜々美は顔を真っ赤にして身を引いた。
取り巻きたちも顔を見合わせてざわつく。
「ねぇ……この色……もしかして、朝見た青カビと同じ……?」
小さく呟く奈理子の視線は、ふたたび空へ――
見上げた先には、水都の空を覆い始めた、青緑がかった雲の筋が、奇妙な螺旋を描いて広がっていた――。
翌朝の水都。空はまたもや厚い雲に覆われ、霧雨がしっとりと地面を濡らしていた。
奈理子は水都女学院の通学坂をのぼりながら、ふと顔を上げる。
「……あれ? なんか、昨日よりカビ……多くない?」
坂道の途中にある公園のベンチ、その背板にびっしりと青緑の斑点。
パン屋の看板の裏、牛乳配達のボックス、登校中の小学生のランドセルの隅……。
「なんか、あちこち……青っぽい……?」
昨日と違って、街のあらゆる表面に微妙に広がる青カビの斑点。
でも、まだ市民たちは誰もそれに気づいていない。
というよりも――
「この季節、湿気多いからなあ。カビくらい普通だよねっ♪」
「うんうん、うちなんてリビングの壁が緑だよ?」
女子高生たちはマスクを外しながら平然と笑っている。
すでに市内のコンビニでは「除湿グッズコーナー」が増設され、「青カビ対策特集」なる情報誌も店頭に並んでいた。
昼のワイドニュースでは、お天気お姉さんがにっこりと笑顔でそう語る。
しかし――
「うちの店、外壁にカビ模様が浮き出てるんだ。削っても削っても消えない」
「ベビーカーの車輪に、なぜか……青いスジが……」
「昨日からスマホの調子が悪くて、画面が緑がかって見える気がする……」
それはまるで、水都という都市そのものが、“青カビ”に取り込まれようとしているかのような、静かな侵略だった。
一方、奈理子は教室でうつろに窓の外を見つめていた。
風に揺れる校庭の植え込み。そこにも、小さな青い胞子のようなものがポツポツと浮かんでいた。
「ねえ、菜々美さん。昨日のスカートのあれ……やっぱりカビだったかも……」
奈理子が振り返ると、菜々美は露骨に顔をそらした。
「し、知らないわよ。そもそも、あなたが騒ぐから目立っただけでしょ……」
「でも、最近、水都の街、ちょっと変だよ。誰も気づいてないけど、昨日より確実にカビが増えてる」
その言葉に、クラスメートたちも小さくうなずく。
「そういえば、体育倉庫のマットも青くなってたよ?」
「私のブラウス、カビのにおいがしてさ……」
でも、それでも誰も“怪人の仕業”とは思っていない。
カビが街に忍び寄るように、じわじわと浸食していく“異変”。
それは、まだ日常の皮を被って、水都を包み込もうとしていた。
そして今この瞬間も、地下鉄の線路の奥、駅構内の壁、エレベーターの隙間、学校のトイレの鏡の裏――
静かに、静かに、“フロム・ブルーム”作戦は進行していた……。
小雨に濡れた窓の向こう、曇天の空を背景に赤茶の屋根瓦が湿って光っていた。
「……やっぱり、なんかおかしいよ。今日の帰り道、電柱の影まで青っぽかったの」
水色のセーラー服姿の奈理子は、傘を畳みながらぽつりと呟いた。長い黒髪がしっとりと濡れ、前髪の先から雨粒がぽたぽたと落ちる。
「ねえ、菜々美さん。あなたも感じてない? 水都の空気……なんか、ジメジメっていうか、すごく変な匂いが……」
「……さあ? まぁ、少しカビっぽい感じはするけど……」
菜々美はいつものようにツンと鼻を鳴らして、つばの広いパールピンクの傘をクルクルと回した。
「そもそも、奈理子さんみたいに“下町散策”なんて趣味ないの。私はずっとお屋敷と学校の往復だけだし」
「……でも、昨日の体育の授業、スニーカーの裏に青いカビがついてたの、菜々美さんでしょ?」
「それは……! ちょっと、なんで知ってるのよ!」
奈理子がイタズラっぽく笑うと、菜々美は頬を赤らめて口をとがらせた。
「私が悪いんじゃないの! 体育倉庫が湿ってたのよ! 空調壊れてたんだわ、きっと!」
そのとき、パタパタとローファーの音を立てて現れたのは――
「おーい、奈理子さーんっ! 菜々美さんとまた言い争ってるの?」
すみれ。奈理子と同じクラスの、ややボーイッシュなショートカットの少女。老舗和菓子屋の娘で、裏表のない性格から友人も多い。何かと菜々美に突っかかるのが常だった。
「言い争いじゃないよ、すみれちゃん。カビの話してただけ」
「カビぃ? あー、やっぱ奈理子さんも気づいてた? うちの周りの店のシャッター、全部青くなってんの。しかも、洗っても取れないやつ。ウチのおばあちゃん、青カビに呪われたーって真顔だったもん」
「ほら、やっぱり。ね? 菜々美さん」
「ちょ、ちょっと、どうしてあなたまでこっちを見るのよ……!」
すみれがずいっと顔を近づけてニヤリとする。
「もしかして、お高くとまってる菜々美お嬢様が“青カビパンティ事件”のこと根に持ってるんじゃ?」
「なっ……!?///」
菜々美は顔を真っ赤にして傘の柄をギュッと握りしめた。
「そ、そんなことあるわけないでしょ!? これはまったく別の話よ!」
奈理子が慌てて二人の間に割って入る。
「ね、喧嘩はやめよ? 私が言いたいのは、ただの湿気とかじゃなくて……これは、たぶん、何か――悪いことが起きる前触れなんじゃないかって……」
その言葉に、すみれはふと真顔になった。
「……奈理子さんがそう言うなら、ちょっと気になるな」
「べ、別に、あなたに同調するつもりはないけど……まあ、確かに、ちょっと奇妙すぎるわね」
菜々美も渋々といった様子でうなずいた。
バスに乗るすみれを見送る奈理子。
「もし……もし“怪人”の仕業だったら……また、私が変身しなきゃいけないのかな……」
奈理子が自分の胸元に手を当て、そっと呟いたそのとき――
渡り廊下の窓の向こうで、ひときわ大きく**「ぶおん」**という低音が響いた。
何かが、街のどこかで、動き始めていた。
秋の長雨が続く水都。傘を差して歩く人々の足元を、じっとりと濡れたアスファルトが鈍く照り返している。
だが、そのアスファルトに異変があった。
道路の隅、側溝の縁、電柱の根元。気づけばそこかしこに青緑の苔のようなものがへばりついている。
商店街のシャッターには、誰かがスプレーで悪戯したかのように円形のカビの模様が浮かび、
郵便ポストの下にはふわふわと胞子をまき散らすような微粒子が風に乗っていた。
「またカビよ!今朝も店の前、全部取り除いたのに!」
苛立った口調で雑貨店の女主人が叫ぶ。
その隣では、魚屋の親父がホースで必死に青カビを洗い流しているが、水で流したはずのカビは、数分後には再び同じ場所に、まるで“意思”を持って戻ってきたかのようにぬめりを取り戻す。
ガラスのショーウィンドウ、バス停のベンチ、学校の外壁、駅の案内板。
青カビは街そのものを蝕み始めていた。
「……湿気のせい、ですよね?」
街頭インタビューに答える市民はそう言うが、その目はどこか怯えている。
水都市役所の公式SNSアカウントは「気象条件によるものとみられる」として対応を呼びかけていたが、
“市長の演説中にマイクスタンドが青カビまみれでベタベタになった”
“水都地下鉄の券売機がカビで誤作動を起こした”
など、もはや冗談では済まないレベルにまで被害は広がっていた。
「なぁんか……変だよね」
下校中、奈理子は水都女学院の正門前で、風に揺れる髪を押さえながら菜々美に話しかけた。
「これってただの湿気ってレベルじゃないと思うけど……」
「はあ?だから何?湿気じゃなきゃ、誰の仕業?幽霊?カビ妖怪?」
ぶっきらぼうに返す菜々美の視線は、いつも通り斜に構えていたが、その背後にある校門の柱の下に、
“ミラクルナイト”の等身大ポスターを包み込むように這い寄る青カビの気配があった。
街はすでに、怪人の手の中にあった。
だが――誰もまだそれに気づいていなかった。
水都女学院前の坂道。雨は止んでいたが、空気はじっとりと湿っており、地面からはかすかに青カビのにおいが立ち上っていた。
奈理子と菜々美、そして少し離れて見ていたクラスメイトたちが、それに気づいたのは次の瞬間だった。
ぐぅぅぅ……と地鳴りのような不気味な音。
「な、なによ……?」
菜々美が眉をひそめ、奈理子が足元を見たとき、アスファルトの地面がぐにゃりと蠢いた。
地面の排水口から、青黒い粘液をまとった**三体の不気味な“人影”**がずるりずるりと這い上がる。
「なんか……来た!?」
「――フフッ、やっとお出ましだな、ミラクルナイトの中の人よ」
声と共に、電柱の上にぬるりと立ち現れたのは、全身青緑色のマントを羽織り、肩口からカビ胞子をまき散らすような男――
「名乗ろうか。拙者こそは、アオカビ男……!
この街に湿気と菌糸の祝福を与えし、カビの君主なりッ!」
「……誰?」
奈理子の困惑したひと言が、全てを物語っていた。
「貴様……!」
突然怒声を上げたのは菜々美だった。
「学校の前で何してるのよ!ここ、女子高よ!?
しかもそのキノコみたいなにおい!最悪なんだけど!」
「落ち着いて、菜々美さん!」
奈理子はとっさに菜々美を後ろに押し下げた。
「これは――私の戦いです!」
奈理子の身体に、水色の光が駆け巡る。
一瞬にしてセーラー服が消え、下着姿になる奈理子。光の中でその姿は、白いミニスカートを翻す戦士、ミラクルナイトへと変貌した。
「変身……したのね……」
菜々美はその姿を見上げ、息を呑んだ。
「では行け、我が眷属よ!」
アオカビ男が手を振り下ろすと、三体のウズムシ男がにちゃにちゃと蠢きながら迫ってくる。
「奈理子ちゃん、パンツ見せろォ……」
「奈理子ちゃんとぬるぬるしたいなァ……」
「いっぱいに、ねっとりさせてやるぅ……!」
「や、やだぁっ、気持ち悪いっ……!」
ミラクルナイトは思わず拳を握りしめるが、斬撃も蹴りも――
「ずぷっ」
という音とともにウズムシ男の身体はスライムのように裂け、二体、三体と増えていく。
「きゃっ、こっち来ないでッ!」
スカートの裾を掴もうとするウズムシ男。ミラクルナイトはひらりと跳び退き、腕を広げた。
「もう……やるしかないッ!」
「ミラクル・アクアティック・ラプチャー!」
彼女の身体を包む淡い水色の光が渦を巻き、ウズムシ男たちを包み込む。
「ギャッ……!」
「とけるぅぅ……!」
「パンツ、もう少しだったのにぃぃ……ッ」
水のオーラに包まれ、ウズムシ男たちはぷしゅっと蒸発していった。
「はぁ……はぁ……。あ、危なかった……」
スカートの裾を直しながらミラクルナイトはひと息ついた。
「はっ! でもアオカビ男は――!」
と辺りを見渡すが、アオカビ男は**「今回は様子見だ」とばかりに、青カビの胞子を残して姿を消していた**。
彼の作戦はまだ、始まったばかり――。
水都神社——
雨に濡れた石段を駆け上がる白い姿があった。
変身を解いた奈理子は、息を切らしながら社務所の扉を叩いた。
「凜さん! いますか、凜さん!」
ほどなく扉が開き、巫女装束の風間凜が現れる。
「奈理子……どうしたの? そんなに慌てて」
「街に青カビが……それに、さっき変な怪人が私の前に現れて――」
「……落ち着いて、中に入りなさい」
凜の穏やかな声に促され、奈理子は応接室に腰を下ろした。髪は濡れ、制服も雨に打たれたせいで少し湿っている。
「アオカビ男って名乗ってたんです。青緑色のマントで、すごい匂いがして……それに、ウズムシ男もいて、ドロドロの……」
「またウズムシにエッチなことされたの?あれは分裂・再生型の下級怪人。エッチなことをされる前にさっさと倒しなさい」
「ウズムシはどうでもいいの!問題はアオカビ!」
凜は奈理子の言葉を聞き流しながら机の引き出しから古い巻物を取り出すと、墨で描かれた“青緑の魔物”の頁を指さした。
「これが、昔の記録にある“胞子の魔人”。どうやら今回のアオカビ男も、同じ系統の魔物のようね」
「でも、よく分からない。どうして今、水都に? 何のためにカビを……」
奈理子が戸惑う間にも、湿った空気が部屋に入り込み、どこかかすかにカビの臭いが漂う。
「アオカビ男の目的は不明。でも、カビは侵食する性質がある。物を、街を、人の心さえも。じわじわと、静かに……」
「……っ」
奈理子は自分の身体に何か違和感を覚えた。
制服の中、スカートの奥に、**じんわりとした“冷たい湿気”**のようなものが感じられる。
(……なんか、冷たい?)
「奈理子、大丈夫? 顔色が良くないわ」
「い、いえ……ただちょっと疲れてるだけで。大丈夫です!」
彼女は立ち上がり、スカートを気にする素振りを見せながら微笑んだ。
しかし、彼女のスカートの奥、純白のショーツの左脇に――
目に見えぬほど微細な“青緑の胞子”が、しっかりと張り付いていた。
それは、アオカビ男が去り際に放った**“追跡用の胞子”**。
この胞子が、彼女の行動や体温、感情の揺らぎを逐一感知し、アオカビ男に“奈理子の弱点”を伝え続けていたことを、奈理子はまだ知らない。
「凜さん、対策を考えよう。今度は……負けたくない」
「ええ、あなたは……水都の希望よ、奈理子」
蝉の鳴かぬ秋の境内。静かな誓いが、神社の柱に響いていた。
穢川研究所 地下戦略室
常夜灯のような青白い蛍光灯の下、四角い金属テーブルを囲む影。
空調は切られ、どこかじめじめとした湿気が立ちこめている。
「街のカビ化率、中心部で87%。外縁部でも60%。ほぼ“ブルーム”状態と見ていいでしょう」
静かに進捗を報告するのは九頭賢一郎。
その隣でモニターに映る水都の衛星画像を睨みつけるのは、社長の勅使河原宗一郎。
「フロム・ブルーム作戦は順調だ。あとは──やつを、引きずり出せるかどうかだな」
「はい。ミラクルナイト=野宮奈理子の行動記録は、あの“胞子”を通じて刻々と取得中です」
勅使河原が退室すると、傍らの女性研究員・絹絵が軽く肩をすくめた。
「本当に……あんな場所に胞子をつけるなんて。発想が気持ち悪いです、九頭さん」
「そうかね? 可憐なヒロインの羞恥と混乱……その動揺こそが勝利の糸口だよ、絹絵くん」
「……変態」
呟くように吐き捨てる絹絵を尻目に、部屋の奥の培養ポッドが開き、中からゆっくりと姿を現したのは、アオカビ男だった。
「ほう……ミラクルナイト、感情も素直で単純で、何より繊細。こういう素材、発酵させ甲斐がある」
「やり過ぎるなよ、アオカビ男。──特に、“あの子”には絶対に手を出しちゃいけないよ」
九頭の声がピンと張った。
「“あの子”?」
「市会議員・春宮の令嬢、菜々美さんだ。彼女の家は当研究所の後援者であり、社長……いえ、財界にとっても大切な存在だ」
その言葉に、アオカビ男は鼻先をくいと上げた。
「ふん……何が“特別”だ。腐るのに、貴賎は無い」
「だが、対象を選ばない発酵には、研究者としての誇りが無い」
九頭はアオカビ男の胸にピンと指を突きつけるように言った。
「いいか。やるなら奈理子だ。ミラクルナイトが感情を乱したとき、街の腐敗は最大に達する」
「ふ……いいだろう。彼女の心を、肌を、生活を……じわじわと染め上げてやる」
笑うアオカビ男の顔には、菌糸のようなひび割れが浮かび、胞子がふわりと漏れ出した。
「私は研究者であり芸術家。作品は、観客の目に触れねばならない」
「観客って……奈理子のパンツ覗き見してるだけでしょ……」
再び呆れる絹絵をよそに、会議は静かに終わりを告げた。
だが、水都にはもうじき“本格的なカビの季節”が到来する。
そのとき、ミラクルナイトは何を守り、何を奪われるのか──
10月とは思えぬ蒸し暑さに、廊下の窓という窓はすべて開け放たれていた。
けれど、吹き抜ける風はねっとりと湿気を孕み、制服の襟元にじっとりと貼りついてくる。
空調はなぜか止まり、窓際のロッカーには──
「……え、カビ?これカビじゃない?!」
突如上がる女生徒の声に、周囲のクラスメートたちがざわつく。
「わ、私のブラウスの襟もなんか臭い……」
「スカートの裾にまで……うそでしょ!?」
「えっ、下着まで……えええっ」
廊下に干していた体操着、カバン、サブバッグ。
さらには生徒たちの私物に至るまで、うっすらと青緑色のカビの染みが広がっていた。
「なんなのよこの街!最近ずっと湿気が変じゃない!?除湿機も効かないし、洗濯物は乾かないし、パンツにカビが生えるなんて思わなかったわよ!!」
一際大きな声で怒鳴り上げたのは、言わずと知れた水都市議の娘──
高慢で繊細なお嬢様、春宮菜々美だった。
菜々美の真新しいセーラー服にも、よく見ると裾に緑色のまだら模様が浮かんでいる。
手にしたハンカチで何度も擦るも、落ちないその痕跡に、彼女の苛立ちは頂点に達していた。
「奈理子さん!!あんたミラクルナイトなんでしょ!?さっさとアオカビ男とかいう奴、退治しなさいよ!!
この街がどんなに迷惑してるか分かってる!?私、今日の午後のティーサロンで“カビ臭い”って言われたのよ!!これ屈辱よ!!」
「う、うん……ご、ごめんね、菜々美さん。でも、敵の正体とか、詳しいことはまだ分かってなくて……」
菜々美の勢いに、奈理子は少しだけ後ずさった。
今日の奈理子の髪も、湿気のせいでわずかにうねり、リボンは心なしかしょんぼりして見えた。
「謝って済むと思ってるの!?このままじゃ水都女学院のブランドに関わるのよ!?水都の守護神ならさっさと――」
「──そこまでになさいませ、菜々美さん」
清らかなソプラノの声が、校舎中に響くように割って入った。
現れたのは、歩くたびに裾がふわりと揺れる、水色のプリーツスカート。
胸元のブローチは生徒会の徽章。そして、周囲の女生徒たちが道をあけて頭を下げる──
「い、一花さん……!」
生徒会長・白銀一花。
代々財閥の家に生まれ、幼少からフランス留学を経験し、マナーと品位を極めた生粋の“水都のお嬢様”だった。
「菜々美さん。あなたのお怒りもごもっともですわ。けれど、今この状況で奈理子さんを責め立てることが、果たして建設的かしら?」
ゆっくりと歩み寄り、菜々美の傍らで微笑む一花。
「奈理子さんがこの街にいてくださるからこそ、私たちはこうして安心して学び、暮らせておりますのよ。
困難の最中こそ、互いに助け合い、信じ合うのが水都女学院の精神。……それともあなた、その校訓をお忘れかしら?」
「う……っ、別に、忘れてません……でも……!」
「では、どうか静かになさい。生徒会としては、この未曾有の事態に際し、奈理子さんを全面的に支援する方針です。
それが、この学院の誇りを守る唯一の道だと私は信じておりますわ」
言葉を選び、柔らかな笑顔のまま、毅然と宣言する一花に、廊下の生徒たちが思わず拍手を送る。
──パチパチパチ……
「……一花さん……っ」
奈理子の目には、思わず感動の涙がにじんだ。
(ありがとう……私、もっと頑張らなきゃ……!)
そんな奈理子のセーラー服の袖口には、うっすらと胞子のようなものが──
だが、それに気づく者はまだ、誰もいなかった。
水都女学院 生徒会本部・生徒会長室
厚みのあるカーテンがそっと風に揺れる。
秋雨に濡れた窓ガラスの向こう、水都女学院の中庭はすでに一面の青カビに覆われていた。
その湿った世界を、静かに、優雅に見下ろしている少女が一人──
「……美しくないわね。せっかく整えた植え込みも、ベンチも、あの菩提樹も……」
窓辺に立ち、絹のような銀髪を揺らす生徒会長・白銀一花。
その背後から、滑るように寄り添うもう一人の影──
「一花……このままでは、水都は青カビに呑まれてしまう。
それでも──あの子に任せるつもり?あの、"ミラクルナイト"に」
その声は、柔らかく、けれど僅かな棘を帯びていた。
紫色のリボンに包まれた長髪。研ぎ澄まされた所作の中に漂う冷たい知性──
風紀委員長・紫。
だがその正体は、蝶の化身・オオムラサキ女。
一花は振り返らない。窓の外に広がる青い瘴気を、そのまま瞳に映して呟いた。
「……あの子は、弱いわ。とても、脆い。でも──」
すっ……
紫の腕が一花の肩を抱いた。生徒会長の制服の上から、ひんやりとした指が包み込む。
「一花。あなたはかつて、彼女を……"奈理子"を、完膚なきまでに打ちのめした。
今更、あの子に希望を託すなんて──優しすぎる」
「優しさじゃないのよ、紫さん」
一花の唇が、わずかに微笑のかたちに弧を描いた。
「……ただ、彼女の歩みを、見届けたいだけなの。どんなに情けなく、だらしなくても──それでも"守ろう"と立ち上がる姿を、私は見てきたもの。
私たちには、あの眩しさは……もう、届かない」
「……届かない、ですって……」
紫がそっと、一花の首筋に顔を寄せる。
その睫毛が触れる距離で、囁くように問いかけた。
「私は?一花のことを一番よく知っている私には、もう眩しさはない……?」
「ふふ……紫さん。あなたは特別。今も、これからも。
私はあなたを一番頼りにしている。……あなたがいなければ、私の火照りは止められない……」
言葉の代わりに、紫は一花の耳元へそっと唇を寄せ──
だが、そのままそっと頬を寄せるだけに留めた。
雨音がガラスを打つ。
湿気のこもるその空気の中、ふたりの間には、青いカビとはまったく異なる、柔らかく甘い気配が立ち込めていた。
「奈理子さん……見せてちょうだい。その白く、愚かで、美しい……奇跡のような一撃を」
一花の瞳が静かに細められ、遠く、校庭の彼方を見つめる。
「そして──もし、あの子が本当に"守る者"として立ち上がれたなら……
私もまた、かつての"私"を、手放せる気がするのよ」
「……それまで、一花の傍に。私は、一花を慰め続けるよ」
雨の降る午後の一時、生徒会長室にて交わされる密やかな誓い。
今、少女たちの成長を見守る"影"として、静かに佇んでいた──
放課後の水都公園
しとしとと降る秋の雨が、街路樹の葉に湿りを含ませ、空気をどこか青カビ色に染めていた。
「はあ……今日も現れないかなぁ……」
セーラー服の袖を濡らしながら、奈理子は傘も差さずに街の様子を見回していた。
そんな彼女の隣を、ローファーをコツコツと響かせながら歩くもう一人の少女。
「……菜々美さん、やっぱり危ないから、今日は来なくてよかったのに」
「何よ、アンタ一人じゃ頼りないから一緒に来てやってるのよ! それに私は市議の娘。水都の治安は看過できないの」
ツンと鼻を鳴らす菜々美。その表情はいつもより少し柔らかく、どこか楽しそうだった。
「ふふっ……ありがと……」
奈理子が照れ臭そうに笑いかけたその時──
「奈理子さん!」
元気な声が二人の背後から響いた。
「寧々ちゃん!? え、なんでここに?」
傘を差して駆けてきたのは、市立水都中学の制服を着た寧々と、その隣には整った顔立ちの少年──隆。
「こんにちわ、菜々美さん」
寧々がぺこりと礼をする。
「……こんにちわ、寧々さん」
菜々美が寧々に応えると、寧々が嬉しそうに頷いた。
「え?二人とも知り合い??」
親し気に話す菜々美と寧々の様子に、奈理子は首を傾げる。
「うん、ちょっとね……」
罰が悪そうに答える菜々美。寧々は隆を菜々美を紹介する。
「隆、奈理子さんの親友の菜々美さんだよ。友達思いですごく優しくの──」
「──え? 菜々美さんが……優しい……!?」
奈理子は唖然。頭の上にハテナが飛び交う。
「奈理子さんの弟の隆くんね」
「菜々美さんみたいな綺麗な人に名前を覚えてもらえて光栄です」
隆がすっと前に出て、どこか背伸びした声で微笑んだ。
「……な、何よ突然。……顔だけはイケてるわね」
ちょっとだけ頬を染める菜々美。年が離れた弟はいるが、幼稚園からずっと女子校育ちの菜々美には男に対する免疫は全くなかった。
しかしそのとき──
「ワハハハハ……ああ〜いいねぇこの雰囲気、青カビで染め甲斐があるってもんだ!」
汚れた声と共に、ぬらりと青い影が現れた。
空気が一気に冷たく、そして湿り気を増していく。
「アオカビ男……!」
奈理子の背筋が凍ったように硬直する。
その隣に、粘液をまとった三体のウズムシ男がぬめぬめと出現した。
「ひゃっ!? 本当に来たの……?」
菜々美が一歩引く。
「やあやあ、白き守護者ミラクルナイト──いえ、奈理子……いや、今はまだ制服のままか。変身前に拝めるなんて、今日の私はラッキーだねぇ……」
にゅるにゅると笑みを広げるアオカビ男。だが──
「奈理子さん、さっさとやっちゃいなさい!!」
突然、菜々美が奈理子の前に立ちはだかり、指をビシッと突き付けた!
「え? 菜々美お嬢様!?」
ウズムシ男たちが慌てて一歩下がる。
「市議会議員の娘だよ!? やっべえ……!」
「この街の権力者筋だぞ……下手に手出せねぇ……」
ウズムシ男たちがざわつく中、奈理子は息を飲んで──
「菜々美さん、危ない! 下がって!」
菜々美を押しのけると、鞄からアイマスクを取り出し──空に掲げた。
光が走る。制服の裾が翻る。水色の輝きが彼女を包み──
「ミラクル・チャージ……! 変・身っ!」
奈理子の姿は白と水色のコスチュームへと変わっていった──!
「こ、ここじゃ変身できないっ……!」
寧々は即座に駆け出し、路地裏に走り込む。
そして──
「菜々美さん、こっちです!」
隆が彼女の腕を掴み、素早く安全な場所へと引き寄せた。
「ちょ、な、なんで私が逃げなきゃいけないのよ!?」
「戦いの邪魔になるからです! 菜々美さんは……無事でいてください!」
顔を赤らめながら必死に言い切る隆。
「ふ、ふん……イケメンだからって偉そうに……!」
頬を赤らめながら、まんざらでもなさそうに頷く菜々美だった。
「菜々美さん、隆くん、こちらへどうぞ!」
急遽駆け付けた水都テレビのスタッフたちに促され、菜々美と隆はその場を離れた。
水都公園・噴水広場前──午後4時・小雨
「速報です! ただいま水都公園噴水広場にて、水都を青カビ地獄に陥れた正体不明の怪人“アオカビ男”と、水都の守護神“ミラクルナイト”が対峙しています!」
カメラに向かって叫ぶレポーターの声が、街じゅうのビジョンモニターに映し出される。
撮影用ドローンが何十機も上空を旋回し、照明が雨粒を反射して閃光のように弾けた。
「来た……! 本当に……来たんだわ!」
「見て見て、ミラクルナイトだ!? 今日もヒラヒラスカート、可愛い!!」
「今日こそ決着だぁああああ!! 奈理子がんばれー!!」
多くの市民がスマホを掲げて熱狂の渦に包まれている。
小学生、中学生、大学生、大人、老人──みな水都の誇るヒロインの雄姿をひと目見ようと押し寄せていた。
その中心で、淡く煌めく水色の光に包まれて立つのは──
「わたしが水都の守護神、ミラクルナイト! この街を、あなたのカビまみれにはさせない!」
──ミラクルナイト・奈理子。
決意を込めた瞳で睨みつけるその先には、ぬめった湿気をまといながら悠然と笑う怪人──アオカビ男。
「おぉぉ……来た来た……待ち焦がれたよ、ミラクルナイト。やっぱり君がいなきゃ、この舞台は成立しない」
彼の背後から、ぐにゃりと三つの影が地面を這い出てくる。
ウズムシ男たちが、にやりと歪んだ笑みを浮かべてミラクルナイトの足元へと視線を落とした。
「ほほぉ……今日も生脚ミニスカですかい。健康的ですなぁ」
「これはこれは……大腿筋のラインまで完璧じゃないっすか」
「ふへへへ……その白い太もも、ペチっとしたくなるううう」
ミラクルナイトはスカートの裾をぎゅっと手で押さえ、怒りに震える。
「ちょ、ちょっと! 目線が……完全にアウトッ!」
その頃、噴水広場の一角に設けられた簡易実況席では──
実況:「さあ!水都公園噴水広場で繰り広げられる、世紀の決戦――水都の守護神ミラクルナイトvs怪人ウズムシ男たちのバトルが、まさに始まろうとしております!今日の実況席には、特別ゲストとして水都女学院高校が誇るクールビューティー!お嬢様生徒代表、奈理子さんの親友、菜々美さんと――」
水都テレビの早乙女アナの声が噴水広場に鳴り響く。
早乙女アナ:「水都のアイドルヒロイン・奈理子さんの実の弟で、今やすっかり市民の人気者!隆くんをお迎えしてお届けします!」
菜々美:「こんにちは、水都女学院高校の春宮菜々美です。よろしくお願いいたします」
落ち着いた声でマイクを握る美少女・菜々美。
見た目は完璧なクールビューティだが、あくまで「奈理子の親友」として市民に強烈な存在感を誇る。
隣には、精悍な顔立ちの中学生──奈理子の弟、隆。
隆:「野宮奈理子……じゃなかった、ミラクルナイトの弟の隆です。姉の戦い、今日もしっかり見届けます!」
早乙女アナ:「さぁ、ミラクルナイトさんの前に立ち塞がるのは、例の……スケベ分裂怪人・ウズムシ男たちですね」
菜々美:「あの舐めるような視線…… 奈理子さんの心中、心中お察ししますわ」
観客たちの声援も高まっていくなか、噴水広場の影からもうひとつの影──
「(今は……まだ出ちゃダメ……)」
ドリームキャンディに変身した寧々は、少し離れた木陰から様子を見ていた。
「(今、出たら“脇役感”強くなる……でも、あのスケベ怪人は……っ)」
胸を押さえる寧々。出るタイミングを計りつつ、歯を噛み締めていた。
そして──
ミラクルナイトが、ウズムシ男たちを睨みつけ、スカートを押さえる指に力を込めた。
「わたしの目的はアオカビ男……でも、その前に……!」
ミラクルナイトが足を一歩踏み出す!
「──スケベな視線、やめなさいよっっ!!」
バッと飛び込む彼女に、ウズムシ男たちがぞろりと動いた!
「うひゃあ!? かわいいポーズで突っ込んで来たああ!!」
「よーし! ミラクルナイト、今度はこっちが遊んであげる番だぁ!」
「捕まえたら一緒にスカートの中、見ようなっ!!」
三体のウズムシ男が四方から飛びかかる──!
だが、ミラクルナイトの目は真剣そのものだった。
「最悪……でも、負けられないっ……!!」
──水都の希望を背負い、スカートを押さえながらも果敢に戦うヒロイン。
水都公園・噴水広場。
雨上がりの空にかかる虹を背景に、白と水色のヒロインコスチュームが眩しく光を放つ――ミラクルナイト、降臨。
「行くわよ、ウズムシ男たち……この水都をこれ以上、カビ臭くさせないためにも!」
その宣言とともに、3体のウズムシ男がぬるりと地面から湧き上がった。ぐにゃぐにゃと形を変えるその体、どこか滑り気味の粘着質な動き。まるでゼリーのように弾みながら、ミラクルナイトを囲む。
「奈理子ちゃん、今日もいい脚してるじゃねぇかぁ〜」
「うへへ、スカートの中、見えそで見えない……でも、見たい!」
ミラクルナイトの頬がかすかに朱に染まる。
「まったく……! なんて失礼な怪人たちなの!」
1体が飛びかかる――!
だが、ミラクルナイトは軽やかにバックステップでかわし、スカートを翻しながらヒールのつま先で鋭く反撃。
「えい!」
「ぎょえええ! でも、分裂しちゃうもんねぇ〜!」
「今日も奈理子は白パンツ♪またパンチラキックやってよ~」
ウズムシ男の体がピチュッと弾けて、2体に増殖。
「また増えた!? やっかいすぎるってば!」
早乙女アナ:「ミラクルナイトの白いパンツに大喜びのウズムシ男。”純白の天使”の本領発揮です。股布が少し汚れているようにも見えましたが…」
菜々美:「まったく……毎度のことながら、奈理子さんはスカートの防御が甘すぎますわ。今回はもう、パンツ見せすぎじゃなくて“ほぼ見せてる”と言っても過言じゃありませんもの。」
隆:「「え、えっと……姉ちゃん、あれは……もうちょっと対策を考えた方がいいかもね……。スポンサーの人たちはパンツが移って喜んでるかもしれないけど、弟としては……あんまり見たくない……」
早乙女アナ:「なんというリアルなご意見!そして、今そのスポンサー企業『ミコール』のコメントが入りました!」
ミコール広報部の音声コメント:「弊社製品“奈理子のショーツ”が、連続して全国生中継で露出されるなんて……想定の10倍の宣伝効果ですよ。今回のパンツ見え、完全に許容範囲内です!」
菜々美:「まさか公式に“パンツ見えはOK”なんてコメントが出るとは思いませんでしたわ……。でもまあ、こういうのが奈理子さんなのよね」
隆:(ぼそっと)「本当に……姉ちゃん、どこまでも“ミラクル”だな……」
カンフーのような構えで迫る1体、背後からぬるぬると触手のような手で抱きつこうとする1体、上から奇襲をかける1体。ミラクルナイトは華麗に舞いながらも、ピンチに追い込まれていく。
「このままじゃ、スカートが……あっ、やだ……!」
ふと、風が吹いた。その一瞬、白い布がちらり。
「見えたー!」
「ラッキーショット!」
「ごちそうさまでぇす!」
「ちょ、ちょっと! なによこのバトル!? 私、アイドル的ヒロインなんだけど!?」
どこからか飛来した小型ドローンが映像を拾い、市民に生中継される。
画面の隅にはスポンサー企業「ミコール」のロゴマークと、「この勝負、支えてます♡」のキャッチコピー。
ミラクルナイトは羞恥に頬を赤らめながらも、唇を引き締める。
「……もう、いい加減にしなさいっ!」
両手に集めた水色のオーラが、渦を巻く。
まるで水のリボンのように光が揺れ、彼女の全身を包む。
「この技で、終わりよ……!
ミラクル・アクアティック・ラプチャー――!」
早乙女アナ:「さあ!戦場ではミラクルナイトが、ついに奥義――ミラクル・アクアティック・ラプチャーを発動ッッ!!水流のような光がウズムシ男たちを次々に包み込み――」
水流のオーラがウズムシ男たちを一体また一体と包み込み、渦に飲み込まれるようにして消滅していく。
「ぎょええええええぇぇ〜〜〜!!」
最後の叫びを残し、スライム状の体が霧散した。
早乙女アナ:「ウズムシ男、全滅!ミラクルナイト、勝利です!!やりましたぁーっ!!」
菜々美:「ふふ、奈理子さん……また勝ったのね。下着姿でも、スカートがめくれてても、あなたはやっぱり――主役なんだから。」
隆:(少し誇らしげに)「お姉ちゃん……かっこよかったよ。」
静寂。
「ふぅ……やっと終わったわ……」
汗ばんだ額を拭いながら、ミラクルナイトは凜と立つ。スカートをそっと押さえつつ、ドヤ顔でカメラを見つめる。
「これで、街の平和は……守られた!」
その笑顔に、会場の観客もテレビの前の視聴者も沸き立った。
ミラクルアクアティックラプチャーが放たれた瞬間の爆光は、ウズムシ男たちの末路を淡い霧に変えて消し去っていた。
水都の空には、いつの間にか重く垂れ込める灰雲が覆いかぶさり、雨が降り出していた。
市民たちが歓声を上げるなか、ミラクルナイトは静かに立ち尽くす。
だがその視線は既に、もう一人の怪人へと向けられていた。
――ざっ……
濡れた石畳を踏みしめて、アオカビ男が姿を現した。
「やっと……二人きりになれたね、ミラクルナイト」
その声には、嗜虐にも似た喜びが滲んでいた。
「あなたが、この街にカビを撒き散らした張本人ね……」
ミラクルナイトの声が震えているのは、怒りのせいか、あるいは冷えた雨のせいか。
「うん、それに……君の“パンツ”にもね、ちゃんと僕の胞子を残しておいたよ……」
観客席にどよめきが走った。実況席も一瞬言葉を失う。
早乙女アナ:「これは……”純白の天使”の象徴である奈理子さんのパンツが、既にカビに犯されてる……ということでしょうか?」
菜々美:「――最低ッ!!」
怒声が飛んだのは、菜々美だった。
隆は拳を握りしめている。
ミラクルナイトは、顔を赤らめながらも、静かに歩を進める。
「あなたの目的は何? どうしてこの街を……こんなに……」
「君の顔が、恐怖に染まる瞬間が見たい。ただそれだけさ」
アオカビ男は笑う。
「この街に撒いたカビは、僕の心の一部。汚く、しつこく、湿っている。消せないんだよ、ミラクルナイト……」
「……違う」
ミラクルナイトが呟く。
「確かに私は、弱い。負けてばかり。でも……それでも私は、諦めない!」
静かだった雨脚が、強くなる。
まるでその叫びに呼応するかのように、風が吹き荒れ、スカートを乱す。
だが、彼女はもう押さえない。
「私はミラクルナイト。水都の守護神よ。あなたを許さない――!!」
⚡
アオカビ男が手をかざすと、無数の青緑の胞子が風に乗って舞い始めた。
ミラクルナイトの周囲を囲むように、カビが具現化し、腕のような触手を伸ばしてくる。
「“カビの抱擁”……これで君は、人前に立てない身体になる――!」
「ならば――!」
ミラクルナイトは背筋を伸ばし、目を閉じた。
「私は、カビなんかで汚されない……!」
全身を包む青白いオーラ。
それが彼女の身体から溢れ出す。
「浄化の奇跡――ミラクル・アクアティック・ラプチャー!!」
再び放たれる奇跡の水が、胞子を浄化させる。
アオカビ男が顔を覆い、呻き声を上げた。
「くっ……があああああッ!! まだ……まだ終わらないッ……!」
しかしミラクルナイトは容赦しない。
彼女の視線は強く、確かに前を見据えていた。
「この街を、私の大切な人たちを、あなたなんかに穢させない――ミラクル・ヒップ・ストライク!!」
跳躍したミラクルナイト――奈理子の股間が光輝く。帯びた奈理子の尻がアオカビ男の顔面に炸裂した。
アオカビ男の身体が解け、カビのように蒸発していく。
最後に残ったのは――静かな雨と、市民の拍手だった。
早乙女アナ:「ミラクルナイト、見事な勝利!今度こそ、水都の平和は守られました――!」
菜々美:「今日は見事だったわ、奈理子さん」
隆:「あれ?ドリームキャンディはどこ行ったんだ??」
アオカビ男を撃破したにもかかわらず、水都中に残る無数の青カビは消えなかった。むしろ、宿主を失った胞子が暴走し始め、再び拡散を始めた。
雨とともにじわじわと街路を侵食していくカビ。
奈理子はひとり、水都神社の本殿に向かう。
そこには、凜――セイクリッドウインドの姿があった。
「……凜さん。お願い、街を救う力を貸して」
静かに奈理子が手を合わせる。
凜はうなずき、手にした鉄扇・ガストファングを静かに掲げる。
「アレをやるしかないわね……去年のクリスマス以来かな?」
「やっぱり、アレしかないの……?」
「奈理子にしかできないことよ。奈理子の奇跡で……水都の守護は果たされる」
凜は、風の戦士セイクリッドウインドに変身した。
奈理子も、水都の守護神ミラクルナイトに変身する。
「さあ、パンツを脱いで」
「うん……」
ミラクルナイトは、恥ずかし気にショーツを膝まで下した。
「全部脱がないの?これじゃ、股を大きく広げられないよ」
セイクリッドウインドに促され、ミラクルナイトは躊躇いながら右足をショーツから抜いた。
「これでお願い……」
ミラクルナイトはセイクリッドウインドに背を向け身を委ねた。
「いいよ。羞恥心が強いほどミラクルナイトの力は増す。この方が奈理子は恥ずかしいんだね」
セイクリッドウインドは笑いながらミラクルナイトを抱え上げた。
「うぅ…恥ずかしい……」
ミラクルナイトは持ち上げられながら大きく股を開く、透明な液体が糸を引いて地に落ちる。
「もっと気持ちを見り上げて……でも、もうちょっと我慢して。一気に放出するよ」
奈理子の水都の街を守る強い思い。それが強烈な羞恥心を克服したとき、奈理子の子宮から、水色の奇跡の光があふれ出す。
「ミラクル・ウーム・シャインシャワー!」
それは、全体を癒す奇跡の光。
街の空に光のシャワーが舞い上がり、青カビの上に優しく降り注ぐ。
胞子はひとつずつ淡く発光し、まるで昇華するように消えていく。
その光景を、寧々や隆、市民たちが見守っている。
「……すごい。やっぱり奈理子さんは水都の女神だわ」
寧々の呟きに、隆もうなずく。
「姉ちゃん……かっこいい」
—
雨が上がり、空に虹がかかる。
水都は再び、澄んだ水の都の顔を取り戻したのだった。
水都の空は、長い秋の雨のあいだずっと曇りがちだったが、アオカビ男の消滅とともに、灰色の雲が次第に薄れ、ついには晴れ間が差し込んできた。湿り気を帯びていた風は乾きはじめ、街のあちこちを覆っていた青カビはまるで夢だったかのように、みるみるうちに消えていく。
「……カビ、消えてる……!」
誰かの呟きが、噴水広場に集まった群衆の間で波紋のように広がった。やがて、街中に歓声が響き渡る。
「やったぁああ!ミラクルナイト万歳!」
「ありがとー!水都の守護神!」
「奈理子ちゃーん!愛してるぅー!」
多くの市民が拳を振り上げ、涙を浮かべ、マスコミの実況カメラはなおも噴水広場をぐるりと撮影しながら、この奇跡の瞬間を余すところなく報道していた。
水都神社では、奈理子は少しふらつきながらも、広場の中心で微笑みを浮かべる。セイクリッドウインド=凜はさりげなく彼女を支え優しく頷いた。
「おつかれさま、奈理子。よくやったね」
「……うん、ありがと……。ほんとに、終わったんだね……」
そこへ、寧々と隆が駆け寄ってくる。
「姉ちゃん、無事だったか!」
「奈理子さん、すごかったです。でも……あんまり無理しないでくださいね」
奈理子は苦笑しながらも、誇らしげに空を見上げた。どこまでも青く澄んだ空。その青の下で、街はいつもの水都の姿を取り戻しつつある。
電車が再び動き始め、カビに悩まされていた商店街にも笑顔が戻った。制服姿の女子たちが談笑しながら通学路を歩き、噴水広場の芝生にはカップルや家族連れが集まり、平和な一日が流れていた。
そしてその中には、あの日の戦いを忘れず、誰にも知られぬところで鍛錬を続ける少女たちの姿もある。
水都の守護神ミラクルナイトは、確かに今日もここにいる。
穢川研究所・地下開発室。
監視用の大型モニターには、水都公園・噴水広場でのミラクルナイトの勝利の瞬間がリプレイされていた。光の奔流がアオカビの海を洗い流し、街を救うその姿は、まさに“神話的な光景”と呼ぶにふさわしい。
その映像を、九頭は無言で眺めていた。椅子にも座らず、顎に指を添えて静かに。
「……終わりましたね。青田さん、いえ、“アオカビ男”の最期です」
白衣を着た助手・絹絵が、そっとモニターに目を落としながら呟いた。
「うむ。だが、あれは予定通りだよ。青田くんは自分の求めた場所にたどり着いた。学会で馬鹿にされ、予算も切られ、存在そのものを否定されてきた彼が、街全体を“青カビ”で染め上げる。…人生最後の、研究成果としては申し分ないだろう」
九頭の口元には、どこか誇らしげな笑みさえ浮かんでいた。
「しかし、街に被害を出すような形で……そんなの、本当に“科学者の本望”なんですか?」
「絹絵くん。君はまだ若い。学問とは、時に社会から逸脱することで革新を生むんだよ。カビとは本来、見た目が不快なだけで、むしろ人間にとっては有益な存在。青田くんの研究は、やがて未来の抗生物質や食の世界を変えていたかもしれない」
「……でも、あの人、自分の足で走るのも辛そうなぐらい、体力なかったですよ。やっぱりミラクルナイトには敵わなかった」
「それもまた当然だ。戦士としての才能は無い。だが、彼は“触媒”として優れていた。あの青いカビは確かに世界を変えかけた……。奈理子くんのあの姿、尊かったね。特に最後の、光に包まれて意識を失う彼女の姿……完璧だった」
「……またそれですか、九頭先生。ほんと、呆れますよ」
絹絵は軽くため息をついたが、咎めるというより、もはや慣れているという表情だった。
「さて。アオカビの時代は終わった。次は、より直接的なものにしよう。奈理子くんには、もう少し“絡みつく”ような恐怖が似合っている。そう……」
九頭は手元のカルテに指を這わせ、ページをめくる。
「触手を操る、“○○女”だ。ぬるりと、しなやかに、愛おしい奈理子くんの肢体を撫でまわすような怪人を、今、僕が仕立てよう」
「……具体的な名前が出るの、怖いですけど、どうせ変なネーミングなんでしょ?」
「ふふふ、誰になるかはお楽しみ。だが一つだけ確かなのは――次こそ、触手の美学が、水都の守護神を捉えるということだよ」
モニターには、今も倒れたままのミラクルナイトが、ドリームキャンディに抱き上げられる姿が映っていた。
九頭の目は、ただその一人の少女――奈理子にだけ焦点を合わせていた。
(第196話へ続く)











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