ミルキーナイト~胡桃・21歳~☆第8章「揺れる心、軋む絆」
鄙野の駅前通りに、小さなステージが設けられていた。
秋の観光祭。手作りの屋台が軒を連ね、特産品の焼き栗やミルクまんじゅうの香りが漂う。
その一角、ギターを鳴らす青年の姿に、胡桃は思わず足を止めた。
「ありがとー!次はちょっと甘酸っぱい恋の歌、いってみようか」
軽い口調と笑顔、そして涼しげな目元。 銀のピアスが太陽を弾いた。
その青年は、速水レオ。21歳。東京出身。小さなレーベルで活動するバンド“シリウスコール”のボーカル。 旅の途中で鄙野に立ち寄り、観光祭のゲストとして飛び入りしていた。
ステージ後、胡桃が屋台の列に並んでいると、背後から声がした。
「ねえ、お姉さん。今、僕のこと見てたよね?」
「えっ……」
振り向いたその瞬間、彼女の胸が小さく跳ねた。
「すごく綺麗な目だなって思って。あ、ごめん、いきなり変なこと言って。俺、レオって言います。バンドマンで、たまたま今夜、時間が空いてて……」
「……えっと……胡桃、です」
自分でも驚くほど自然に名乗っていた。 そしてそれ以上に、自分の頬が火照っていることに気づいた。
──これがナンパ?
ほんの少し前まで、魔物と死闘を繰り広げていた自分が、こんな風に声をかけられ、名前を呼ばれて照れている。
それが、とても新鮮だった。
「この後さ、駅前の喫茶“どんぐり”ってとこで、時間潰そうと思ってて。もしよかったら、一緒にどう?」
断る理由は、なかった。むしろ、誰かと“ふつう”に過ごしてみたい気持ちが勝った。
* * *
夕暮れ、レオと胡桃は店内で話していた。 音楽のこと、旅のこと、都会の喧騒と鄙野の静けさについて。
「胡桃ちゃんって、都会の人じゃないんだよね?」
「うん、ずっとこの町……昔、一度だけ離れてた時期があったけど」
「そっか。でも、なんか……都会の子っぽいっていうか、芯が強いっていうか」
褒め言葉に照れ笑いしながらも、胡桃は心のどこかで、かつての“自分らしさ”を取り戻せていることに気づいていた。
その背後で、扉が乱暴に開いた。
「……いた」
現れたのは、焔田カスミだった。
「ちょっと、いい加減にしてくれない?」
「カスミ……どうして」
「魔物がまた動いてるってのに、何のんきに男とお茶してんの? この間まで“仲間を探す”って言ってたくせに」
レオが戸惑い、胡桃が立ち上がる。
「……ちょっとくらい、休んでもいいでしょ」
「それが命懸けで戦ってきた人の言葉?」
胡桃は言い返せなかった。レオは立ち上がり、二人の間に割って入った。
「ねえ、喧嘩はやめようよ。俺、なんか変なことしちゃった?」
「……いや、君は悪くない。でも胡桃、あんたには……責任があるんじゃないの?」
カスミはそう言い捨てて、扉を閉めた。
胡桃はテーブルの上のカップを見つめた。 湯気はもう、消えていた。
「ごめん、レオ……私、ちょっと……」
「うん、大丈夫。……でも、俺はまた会いたいな」
その言葉が、胡桃の背中を僅かに震わせた。
心が、揺れていた。 戦う使命と、普通の女の子としての気持ちの間で。
初めてのナンパ、初めての心の浮つき。
そして、誰かに怒られるという重み。
胡桃の中で、何かが動き出していた。
(第9章へつづく)









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