DUGA

ミラクルナイト☆第203話

穢川研究所・地下実験棟 ――「生誕の間」

青白い蛍光灯の下、密閉された培養槽の中心で、蠢く黒い影。
透明な液体の中でくるくると泳ぐそれは、やがて浮かび上がり、四肢を広げて大きく背を反らした。

「……始まるよ。僕の新作、擬態と幻惑の怪人――コウイカクロモジの誕生だ」

九頭の声は、抑えきれぬ興奮で震えていた。

槽の底で、無数のチューブが引き抜かれると同時に、ぬるりとした皮膜が裂け、中から姿を現す異形の影。
その身体は烏賊のような丸く膨れた胴体を中心に、黒文字の枝のような細長い触手が背中からゆらゆらと伸びている。
光沢のある甲殻はまるで黒曜石のように冷たく、艶やかだった。

「……っ、これは……」

助手の絹絵は思わず口元を覆う。
実験体の気味悪さよりも、その妖艶なまでの完成度に、目を奪われていた。

「いい……すごくいいわ。これなら、あの奈理子もイチコロね」

柚月がぽつりと呟く。
その瞳は、すでに次の現場を想像していた。奈理子の絶望と混乱――
その心をねっとりと絡め取り、溶かす瞬間。

「この子の擬態能力は過去最高だ。墨と香気で視界と思考を奪う。ヒトデカズラが撒いた精神の裂け目に、この怪人で“仕上げ”をかけるつもりさ」

九頭は一歩、培養槽に近づき、目の前のコウイカクロモジを見上げた。

「君は彼女の“視界”を黒く塗りつぶし、“感情”を香りで洗い流す……いいね、全部忘れさせてあげなさい。奈理子という存在を」

九頭の声に応じるように、コウイカクロモジの背中の触手がわずかに揺れた。
黒墨の霧が槽の中に広がる。

「……九頭先生」

絹絵が不安げに問う。

「この子……言葉、しゃべれますか?」

「もちろん。声も香りも、武器にできる。甘く、優しく、誰の心にも入り込める……最も“洗練された”怪人さ」

九頭は恍惚の笑みを浮かべ、コウイカクロモジを見上げた。
黒墨の霧の中、艶やかに浮かび上がった唇がゆっくりと動いた。

「――私は、すべてを優しく包むのよ」

女のような甘やかで、ゾッとするほど冷たい声。
誕生は、完了していた。


水都市内・ツルバナ女のアジト

空調の風にわずかに揺れる、ツルバナ女の薄紅色の蔓。
彼女は、会議テーブルの端に立ち、黒く艶めく存在を見つめていた。
対面にいるのは、全身を甲烏賊の黒墨で包み、黒文字の枝を思わせる細い触手をたなびかせるコウイカクロモジ。
その瞳は、まるで香りを視るように、じっとツルバナ女を観察していた。

「ふふ……ようやくお会いできたわ、コウイカクロモジさん。私の“精神花嫁作戦”の続き、手伝ってもらえるかしら?」

「……あなたの撒いた種。私は、咲かせるだけよ。散ることすら、美しく」

コウイカクロモジはゆるりと立ち上がり、しなやかに伸びる蔓状の腕で空中をくるくると撫でる。
香気が漂い、部屋全体がどこか湿った、夜の温室のような空気に変わった。

「あなたの香り……うふふ、淫靡で危険。私の蔓と、とても相性が良さそう」

「喜んでいただけて、光栄ですわ。けれど、ツルバナ女様。あなたは“誘惑”を愉しむ方……私は“喪失”を与える者。奈理子の心を、根こそぎ奪うのが目的ですの」

「当然よ。あの小娘、私たちの計画を何度も台無しにしてくれたのだから」

ツルバナ女は天井を見上げ、長く細い蔓をからめてゆるく巻いた。

「次の舞台は……“文化施設”。前回の“幻想の温室”とは別の空間にしましょう。彼女の“日常”と“守るべきもの”を絡めとるには、人々が集う場所が望ましいわ」

「具体的には?」

「市立図書館、あるいは美術館のナイトプログラム……“灯りを落とした静かな空間”が好ましいの」

「ふふ……暗闇と香り。それは私の舞台。ええ、素敵。…私、彼女を、壊したくてたまらない」

ふと、コウイカクロモジの身体から黒墨が薄く霧状に噴き出し、周囲の空間がわずかに揺れた。

「気が早いわね。まだ焦らないで。あなたは“決定打”。私は舞台の設営と情緒の焚きつけ……ふたりでやるのよ、この舞台は」

「了解しました。…ツルバナ女様。私、心の花が散る音を、聴いてみたいの」

「なら、協力しなさい。奈理子に幻想を。そして、甘く湿った絶望を――ふふふっ」

ふたりの蔓が静かに絡み合い、やがて離れる。

新たなる精神攻撃作戦――
**「黒香の迷宮(ミラージュ・パフューム)」**が、密かに始動しようとしていた。


黒香の迷宮作戦:第1段階「誘導と封鎖」

午後五時過ぎ、水都の街には淡い夕陽が差し、制服姿の学生たちが下校の途にあった。
水都女学院の正門からも、次々と水色のセーラー服を着た少女たちが帰っていく。

奈理子は、いつも通り鞄を手に、人気のない商店街を抜ける裏道を歩いていた。日が落ちる前の微妙な気温に、まだ半袖の夏服がよく映える。
ふとした瞬間、通りの電柱に貼られたポスターが目に入った。

【幻想の温室】
―五感で感じる体験型アート―
あなたの香り、記憶に変わる。
入場無料/夕方6時まで

「幻想の……温室?」

ポスターには、幻想的な花々と微かな光が漂うガラス温室のビジュアル。文字の横に貼られていた芳香シートに、何気なく手を伸ばす。

「……ふわぁ……いい香り……」

甘くも落ち着いた香木系の香りが鼻腔をくすぐり、奈理子の思考が一瞬ほどけた。少し疲れていた身体と心が、その香りに誘われるように、気づけば足は「幻想の温室」方面へ向かっていた。

その頃、美術館の内部では、ツルバナ女が薄紅の蔓を窓に巻きつけ、着々と封鎖を進めていた。

「……入れば最後。外へは一歩も出られないようにしておきましょう」

その横では、コウイカクロモジが静かに館内の香気循環装置を起動させていた。展示室には目に見えない香りのベールが張り巡らされ、空気そのものが「異空間」へと変貌していく。

「まもなく来るでしょう。可憐で、愚かで、好奇心に満ちた白い小鳩が」

彼は静かに呟きながら、ふと片手で髪を整える。白のシャツとベージュの細身パンツに身を包んだその姿は、まるでギャラリースタッフか芸術家のように見える。

「任せたわよ、コウイカクロモジ。私は裏から退路を封鎖しておくわ」
「ええ、ツルバナ女様。私の香りで、彼女を……溺れさせてみせますよ」

そして、奈理子は──
人影もまばらな通りを抜け、静まり返った「幻想の温室」へとたどり着いた。

エントランスはガラス張りの小さなドーム。自動ドアが開くと同時に、ふわりと先ほどと同じ香りが奈理子の頬を撫でた。
そこには、受付に立つ一人の青年の姿があった。

長い睫毛に中性的な顔立ち。優しく、曖昧に笑っている。

「ようこそ。香りと記憶の館へ……。おひとり様ですか?」

「え、はい……」

少し戸惑いながらも、奈理子は頷いた。

「でしたら、特別なルートへご案内します。今日がちょうど、その……香りの記憶が、一番深く沁みる日ですから」

「……?」

奈理子は疑問を抱きながらも、なぜか断る気にはなれなかった。
導かれるようにして、奥の展示空間へと足を踏み入れていく――

館の扉が静かに閉まり、外界と遮断された。
次なる段階、「精神的な“火入れ”」へと、罠は動き出す。


黒香の迷宮作戦:第2段階「精神干渉の深化/迷宮への誘い」

幻想の温室――

奈理子が足を踏み入れた展示室は、まるで現実とは思えぬほどの静謐と香気に包まれていた。白を基調にした温室の中には、黒光りする曲線のガラスケースが幾重にも並び、そこに植えられた不思議な草花が淡い光を灯している。香りは甘くも苦く、懐かしくもあり、奈理子の記憶と感情をやさしく撫でていく。

「ここ……なんだか……不思議……」

囁くような声がどこからともなく響く。

「ようこそ、選ばれし者……」

その声とともに、奈理子の背後の自動扉がふわりと閉まった。まるでそれが彼女の運命を閉じる音であるかのように――

展示室の中心に向かうにつれ、香りはより強く、より深く、彼女の感覚を支配していった。天井から吊るされた香炉からは、黒文字の木片を燻した煙がゆらゆらと揺れ、まるで意識の奥へと手招きするかのよう。

奈理子の瞳がわずかにとろんと霞んだ。

(なんだか……身体が、熱い……)

セーラー服の襟元を指で少し引き、汗ばんだ首筋に風を通そうとする奈理子。だが、空調は完璧なはずなのに、額に滲む汗、胸元に感じる妙な火照り。視界がぼやけるたびに、花弁のような幻影がちらつく。

──過去の記憶が、香りに染められながら浮かび上がる。

中学時代。体育倉庫で転倒し、スカートがめくれあがったあの日のこと。
友達の兄に見られてしまった、淡い恋心と同時に押し寄せた羞恥。
鏡に映った、変身後の自分の姿に泣いた夜。

すべてが――柔らかな香りとなって、奈理子を包み込んでいた。

「これは……幻覚……?」

ふと、展示室の奥に現れる影。中性的な美青年――コウイカクロモジの人間態。

「お疲れではありませんか、天使のようなお嬢さん。こちらに……休める場所をご用意しております」

優しい声。柔らかな微笑み。だがその瞳は、深海のように冷たい。

「あなた……誰?」

「ただの案内人です。あなたの心を癒す、黒香の使い手……」

言葉とともに漂う濃密な香りに、奈理子の意識はさらにふわふわと浮遊する。心がほどけていく感覚。制服の生地が肌に貼りつき、汗ばむ身体が重くなる。思考が鈍く、記憶が薄れ、現実感が遠のいていく。

(ここは……どこ? 私……誰?)

奈理子の瞳から焦点が消えはじめる――
その瞬間、展示室の光がわずかに変化し、彼女の前に無数の黒い蔓が現れる。空間の奥から伸びてくるそれは、まるで夢と現の境界を侵すように蠢きながら、ゆっくりと奈理子へと近づいていった。


黒香の迷宮作戦:第3段階「精神崩壊寸前 → 変身による抵抗」

蒼白な光が満ちる「幻想の温室」の奥、花の天蓋に包まれた虚像のベッドルームで、奈理子は膝を抱え込むようにして座っていた。

「……わたし、なんでここに……?」

ベッドの縁には、さっきまで隣にいたはずの“弟”の姿はもうない。代わりに、天蓋から垂れ下がった蔦が彼女の肩や腰、足首へと優しく絡みついている。花々は静かに囁き続ける。

「そんなに無理しなくていいのよ、奈理子さん」
「もう守らなくていい。もう戦わなくていい。ここにいれば、傷つかなくて済むわ」

奈理子の胸の奥に沈殿していた不安や疲労、誰にも言えなかった孤独が、まるで花弁に浸された蜜のように溶けだしていく。指先の力が抜け、まぶたが落ちてくる。

「わたし……もう、ずっと、こうしていても……」

そのとき──。

どこか遠くから、確かに届いた。

「奈理子さん!!」

誰かの声。幼い少女のようで、それでいて芯の通った、知っている声。甘く優しく、けれど力強い響きが、奈理子の胸に波紋のように広がった。

(寧々ちゃん……)

彼女の中で、何かが確かに芽生えた。熱い光が、胸の奥で脈動する。

「……こんな……ところで……わたしは……終われない……!!」

蔦がざわめく。夢のように揺れていた世界が、軋むように歪み始める。

水色のセーラー服の胸元に、光が宿る──奈理子の手が震えながらもアイマスクを握り締める。

「ミラクル……チェンジ!!」

爆発するような水色の光が奈理子の体を包み込む。花の蔦が焦げて弾け飛び、幻覚空間に亀裂が走る。

その光景を、ガラスの外から見下ろしていたヒトデカズラは舌打ちした。

「おかしい……もう少しで精神核に届くはずだったのに……!」

背後からツルバナ女の声が飛ぶ。

「変身されたなら仕方ないわ。戦闘に移行するしかない──でも、ここはまだ私たちの庭よ」

奈理子の意識が現実へと帰還する。けれど、そこはまだ美術館の内部、温室の中心──展示室に姿を変えた、怪人たちの罠の領域だった。

揺らめく光の中、純白と水色のヒロイン──ミラクルナイトが再び立ち上がる。

その足元に、バラバラと崩れ落ちる無数のヒトデの花弁。その中央に、今まさに本性を現そうとするヒトデカズラの異形が蠢いていた。


黒香の迷宮作戦:第4段階「暗黒の開花」

「ミラクル……チェンジ——!」

奈理子の声が空間に反響し、白と水色の光が幻想の温室を満たす。輝くリボンが舞い、清らかな祈りのような舞踏を経て、彼女の姿は可憐なる守護の戦士《ミラクルナイト》へと変わった。

「どんな幻でも、誰かを傷つけるなら…私は、許さない!」

だが、その足は震えていた。さっきまでの幻覚の名残が、恐怖としてまだ心に貼りついている。それでも背筋を伸ばし、白いスカートを翻して一歩踏み出す。奈理子はいつだってそうだった。泣きたくても、怖くても、前を向いて、可憐に戦うと決めていたのだ。

「出ましたね。ついに。」

温室の通路をすべるように現れたのは、薄紅色のツルを揺らす《ツルバナ女》。その隣には、黒紫の和装に身を包んだ《コウイカクロモジ》。どちらもミラクルナイトを見下ろすように立っていた。

「ようこそ、目覚めた白い花よ。ここはもう、あなたの知る現実じゃないわ」

「君の心の香り……崩れていく音がする。もっともっと乱してあげたい」

奈理子が構えようとした瞬間、床下から黒い染みのようにぬるりと現れた影。それは——

「ウズムシ男!?」

「やあ、奈理子ちゃん♡ また会えて嬉しいよぉ……」

くねくねと踊るように増える分身体たち。全部で四体。どのウズムシ男もミラクルナイトを取り囲むようにぬちょりぬちょりとにじり寄ってくる。

「ひっ……!」

「奈理子ちゃん、君の体、柔らかそうだよねぇ。さぁ、ぬるぬるして遊ぼうよ♡」

「あっ、来ないで……!触らないでぇ!」

後ずさるミラクルナイト。だが後ろにはすでに一体のウズムシ男がいた。ぬちっという音とともに足を取られ、ミラクルナイトはスカートをひらめかせて転倒してしまう。

「うあっ……!」

白いショーツが一瞬、露わになる。

「いやあ、さすが純白の天使……美しいパンツですネ……」

「やめなさいっ!!」

叫びながら、ミラクルナイトは震える手で《ミラクル・アクアティックラプチャー》の構えをとる。だが、幻覚の余韻と恐怖がまだ体を縛っていて、水のオーラが震えながら発光するにとどまっていた。

「うふふふ、これじゃあ、純白の天使もただの無防備な小娘ね」

ツルバナ女の蔓がしゅるりと伸びて、転倒したミラクルナイトの右足に巻きつく。すかさずコウイカクロモジが香気を含んだ黒い霧を噴射。視界が曇る。

「うぅ……身体が……熱い……!?」

蔓に吊るされ、ぐらりと体を持ち上げられながら、ミラクルナイトはなおも足掻こうとする。

「奈理子ちゃん、パンツ丸見え―!」
「パンツは純白だけど、少しシミが付いているねー」

ウズムシ男が丸出しになった奈理子のショーツをまじまじと観察する。

「私は……ミラクルナイト……っ、皆を、守るのっ!」

そのとき。

「奈理子さんに触らないで!」

割って入った黄色の閃光。《ドリームキャンディ》の巨大なロリポップハンマーが唸りを上げ、ウズムシ男の一体を吹き飛ばす。

「奈理子さん、今行きます!」

「異様な気配を感じたから来てみたら、やっぱり奈理子が……!」

すかさず、白銀の旋風が舞い込む。《セイクリッドウインド》がガストファングを構え、コウイカクロモジの霧を打ち払う。

「私たちを舐めないで。ミラクルナイトは、私たちの仲間よ!」

ミラクルナイトの目が潤み、唇が震えながらも微笑む。

「ありがとう……みんな……私、負けない……!」

その姿は、吊るされながらも、戦場のど真ん中に咲く一輪の白百合のように、なお美しく、なお凜としていた——。


黒香の迷宮作戦:終局

——幻想の温室、深部ホール。

「ロリホップ・キャンディシャワーッ!」

ドリームキャンディがロリポップハンマーを上空に振りかざすと、空から無数の光弾が降り注ぎ、ウズムシ男を正確に打ち抜いてゆく。

「ぎゃああああッ! 熱いっ! 熱いよぉぉっ!」

キャンディの光に照らされながら、ウズムシ男たちがバチバチと弾け、霧のように消えていく。残された本体が悲鳴を上げてうねりながら逃げ出そうとするも——

「逃がさない。ガストファング・嵐裂!」

セイクリッドウインドの鉄扇が弧を描き、鋭く風を裂いた。強烈な突風がウズムシ男を跳ね上げ、温室の天井に叩きつける。

「ひぃぃぃぃっ! 奈理子ちゃん、またね〜〜っ!!」

ぬちょっとした音を残して、ウズムシ男は消滅。奈理子はふうっと息をついた。

「ありがとう、ふたりとも……わたし、もうちょっとだった……」

「気を抜いちゃダメですよ。まだいますから」

ドリームキャンディの視線の先、壊れかけた花壇の奥で、ツルバナ女とコウイカクロモジが撤退の構えを取っていた。

「……予想以上だったわ。やっぱり、ドリームキャンディとセイクリッドウインドの連携は侮れない」

「僕の香りの罠も効かなかった。うん……面白いね、ミラクルナイト。壊れそうで、壊れない。まるで細い茎に咲いた白花……」

「その花を摘もうとする者は、必ずしっぺ返しを食らうわよ」

セイクリッドウインドが一歩前に出る。だが——

「ここは引くべきね。今日の成果は充分。星痕は彼女の心に残ったわ。次はもっと深く咲かせてあげる……」

「僕はまた香りを調合しておくよ。次は、もっと濃密な迷宮を——」

コウイカクロモジが黒香を撒き、温室全体を包む。煙のような花香に遮られ、二人の姿は消えた。

「消えた……!」

「あの二人、厄介すぎる……」

「早く降ろして……」

セイクリッドウインドが風の刃でミラクルナイトを拘束する蔓を切断すると、落下するミラクルナイトをドリームキャンディが支えた。

「奈理子さん、大丈夫ですか?ウズムシに悪戯されませんでしたか?」

「うん。寧々ちゃん、凜さん、ありがとう」

ミラクルナイトは乱れたスカートを整え、すっくと立ち上がった。

「吊るされたけど……負けなかった。怖かったけど、ちゃんと前に進めた……!」

白いスカートが風にひらめき、幻想の温室に夕方の陽光が差し込んだ。

作戦は防がれた。だが、奈理子の心に刻まれた“星痕”は、まだ完全には癒えていない——


穢川研究所 地下セクターE「発芽室」

鈍く軋むような音を立てて自動扉が開いた。静寂の中に、香の尾を引いて現れたのは、漆黒と緑の葉をまとった二体の影。

ツルバナ女とコウイカクロモジ——もとい、柚月とその部下である青年が任務から帰還したのだ。

迎えるのは、研究所の主である九頭博士と、その傍らに立つ助手・絹絵。

「おかえりなさいませ、柚月さん。そしてコウイカクロモジさん。……ご無事のようで」

絹絵が労うように言葉をかけるが、その視線はどこか険しい。

「“成功”とは……言い難い結果でしたね?」

「ええ。でも無駄ではなかったわ」

柚月は長い黒髪をかき上げ、淡く微笑むと、まるで何かを計算するように端末を見据える。

「奈理子の精神は確実に侵蝕されつつある。あれだけ深い幻覚を植えつけたのは初めてよ。——もう、“あの子の心”に、私たちは足を踏み入れてる」

「そうです。確実に“爪痕”は残っています。香りは記憶を介して、再度効力を発揮しますから」

と、青年が中性的な口調で続けた。

「ツルバナ女様の花香と、私の黒文字香……あの少女は、いずれどちらかを“欲する”ようになります。どちらが欠けても満たされない身体にね」

「うふふ……“香りの依存”」

満足そうに笑う柚月。

そのとき、九頭博士が掌を叩いた。

「——いいね。悪くない流れだ。精神侵蝕の兆候は強化されている。“星痕”は、まだ消えていない」

彼の瞳はぎらぎらと光を宿している。

「さて……“次”はどうしようか。やはり、もっと『日常』に食い込むべきだろうね。学校?家庭?それとも……夢の中?」

「もうひと押しで崩せます。次の打ち手を急ぎましょう」

と柚月は即座に応じる。

「ふふ……“奈理子の心庭”、今に咲かせてみせるわ。私の毒花をね」

第204話へつづく)

あとがき